トカゲの尻尾
城壁から飛び降りたイヴァンは、煙と霊の攻撃を空中でかわしつつ、石畳の地面に着地する。振動が身体を突き上げ、脳が頭蓋の中で踊る。痛くないといえば嘘になるが、それでも彼は、戦いの中で味わう痛みに飢えていた。剣を振るえば血が流れ、矢を射れば皮を貫く。そんな、命を量りにかけているこの瞬間こそ、生を実感できるのだと、彼は信じていた。一国の王としてはかなり野蛮な思考であるが、戦うことこそ生の本分であると、彼は戦いの中で確信していったのだ。
そんな彼の動きは、狩りを行う獅子を連想させるような、獣のような動きである。煙を雷撃で浄化させては、霊を切り伏せる。金の魔鉱石を用いたこの剣の前では、煙も死霊も関係ないのだ。
しかし、黒魔術師の表情は、それでも変わらなかった。
(煙を作るにも、死霊を操るにも、大量のマナが必要なはず……。一体どこにそんな力が……)
マナを必要としているのは、イヴァン自身も同じことだ。雷を放つごとに、身体の奥底が軋むような感覚に襲われる。そも連発するようにできた技ではないのだ。浄化の近道には、それなりの対価を払わねばならないということだ。
「苦しそうだな、皇帝……。諦めてその身を私に委ねたらどうだ?」
粘着質な声は、精神を逆撫でするかのようだ。イヴァンは舌打ちして答える。
「委ねてどうする」
「お前の能力を使い、我が裁断の助けとする」
裁断、つまり彼は彼自身の裁量で、人々の罪を贖わせようというらしい。何という傲慢だろうか、或いは、審判を行う神の代行者を気取っているのだろうか……。どちらにしてもイヴァンは、自分が攻撃できる内は、黒魔術師の好きにはさせないつもりであった。
「裁断とはまた滑稽な、自分が裁き人となったつもりか?」
「…………否、私は裁き人の忠実な下僕である」
イヴァンは、この黒魔術師の言うことが心底気に入らなかった。裁き人とこの男とでは、その存在の質が根本から異なる。己の分をわきまえない男を前に、イヴァンは感情を高ぶらせていた。
「…………、止まれ!!」
オーエンが何かに気づいたように、鋭い声を上げる。急な制止に、一行はつんのめるようにして止まった。
「ど、どうしたんですか?」
アテナの問いには答えず、いや、答える余裕がなかったのかもしれないが、オーエンは懐から紫色の水晶を取り出した。確か、伝送鉱石といったか、騎士団の部下からの連絡がきたのだろう。きっと、いい知らせではないはずである。
「…………。そうか、分かった」
重々しく応答したオーエンは、ハルシュタインとともに踵を返して道の脇の鐘楼を目指す。取り残されては煙にやられかねないし、戦いにおいては情報をより多く得ることが肝要だと聞いていたので、ヒカルとアテナもそれに従った。
「状況が悪くなったんですか?」
石造の螺旋階段は、かなり傾斜が急で、手すりもない。しかし、怪我をしているのにも関わらず、オーエンの歩みは速い。それを必死で追いかけながら、ヒカルは尋ねる。オーエンは、小さく頷いたように見えた。明言こそしなかったが、かえってそれが逼迫した状況を伝えていた。
鐘楼の上からは、王都を葉脈のように走る道々も、各地で起きている戦闘行為も一望できる。王城の付近では皇帝と黒魔術師が交戦中、ヒカルたちのいる通りから二本、東側の通りでは、ソフィーや騎士団員の遊軍が煙を相手に暴れている。この遊軍は、ショーンによって設定されたものだ。今は煙を払うことに全力を尽しているが、ヒカルたち、噴水を目指す部隊に危機が迫れば救援に向かい、皇帝が追い詰められれば黒魔術師の背中を突くための、いわゆる遊びである。
ところが、今はその遊軍の動きが鈍い、煙の回りが予想より速いためであろうか。煙が浸潤してはマナの伝達が断ち切られ、伝送鉱石が使用不可能となるため、その前に連絡を入れてきたということであるらしい。
『こっちはかなりマズい状況よ、煙に取り囲まれかけてる』
「それはマズいですね、ソフィさんたちがやられちゃ、もしもの時の対応が効かない……。そこのところ、ショーンさん、どうしたらいいですかね」
オーエンは、腕を吊る包帯に挟んであった、もう一つの伝送鉱石を取り出した。鉱石の片割れは、王宮から城下を俯瞰している軍師、ショーンが持っている。
『うーん、僕としては見捨てるべきだと思うな。だってトカゲの尻尾は切れても平気だけど、首を切られたら死ぬからね』
『私たちをトカゲの尻尾扱いって、ちょっと貴方非情すぎるんじゃなぁい?』
『大魔導師様の魔力が届いてるみたいだから、退路は確保されてるはずだよ。それより忘れちゃいけないのは、噴水にたどり着くことが勝利の条件ってことさ。オーエンさん、立ち止まってる訳じゃないよね』
オーエンは鉱石を懐にしまい、明らかな失敗をしたなぁ、という表情で振り向いた。どうやら道を急ぐべきだったらしい。
「まったく……。オーエン、早く行きましょう。遊軍は私たちが噴水にたどり着かない限り、あの場を動かないわ」
「そんな……、逃げ出せない位状況が悪いんですか?」
ヒカルの心配に、ハルシュタインは嘆息しながら首を振った。
「逃げ出さないのよ、ソフィが。あれでソフィは、与えられた任務はしっかりとこなすから」
彼女はそう言うと、もと来た階段を、皆に先んじて駆け下りていった。




