様々なる人格
その朝、ヒカルは大きな物音で目が覚めた。そういえば、何やら外が騒がしいように感じる。窓を開けてみると、たくさんの住民が王宮に向かって歩いているのが見えた。
階下に降ってみると、そこには執事のトゥラッシと、銀髪の女性がいた。眼鏡をかけた垂れ目の女性は、ヨハンやショーンと同じような意匠の軍服を着ていた。
「この方はですねぇ、えぇ、ヨハン様の同僚のカリーニ・メスト様ですハイ」
カリーニは、こんにちは。と挨拶した。物腰の柔らかそうな人物である。ヒカルの能力を診断したマリアと同じような耳の形から、エルフやそれに準ずる種族の血族であることは予想できた。
「それで、何故カリーニさんはここに?」
カリーニは深刻そうな表情を崩さずに、はきはきと述べた。
「そうですそうです、お二人とも、早く王宮に退避してください!」
カリーニの先導で、ヨハンの家を出たヒカルは、一路、王宮を目指す。周りには、同じように避難する人々が流れていく。
「今朝、黒魔術の儀式が、何らかの完成に達したのだろうと、大魔導師様がおっしゃっていました」
カリーニは、背後を確認しながら走る。ゲレインの町を囲む城壁、その根本の辺りから、黒く濃い煙が立ち上っている。煙は空に半球を形成し、まるで人々を閉じ込めんとしているかのようである。
「薄い膜みたいなのが見えます」
「……よかった。ヒカルくんは少しずつ、魔法に慣れ始めてるみたいですね」
それでもカリーニに見えているようには感知できていなかったが、零と一の違いはかなり大きい。ヒカルは、常に携帯する刀の鞘を、左の手でしっかりと押さえつけた。
「カリーニ様、皆、煙が見えてるんですかね。それだけ魔力量が多いってことですかね?」
カリーニは、何かを思い出したような表情で応えた。
「いいえ、放送を聞いて避難している人が大多数だと思います。ワルハラの各家庭には、放送用の伝送鉱石が設置されてるんです。それで朝から放送を流してたんですが……。ヨハンさんはその鉱石を、仕事に集中できないと取ってしまわれたので……」
伝送鉱石、また耳慣れない単語が聞こえてきた。カリーニいわく、伝送鉱石は魔力鉱石の一種であり、ある一定の振動を続ける性質を持っているという。その振動は、空気中のマナを媒介にして、遠方まで伝わるため、古くから通信用の装置として使われてきたのだ。
「これは、ヒカルくんにと、ヨハンさんから預っているものです」
カリーニがよこしたそれは、銀製のロケットであった。蓋を開けてみると、中には紫色に淡く光る、鉱石の結晶が入っていた。これが伝送鉱石というものらしい。これと対になる石は、前線に向かったヨハンが持っているのだ。使ってみたい気持はあったが、この非常事態ではそんな暇はない。さらに、黒魔術によって発生した障壁によって、外部との通信は遮断されていたために、王都の外がどんな状況かも分からないそうであった。
王宮には、すでに多くの住民が避難していた。それが住民全体に対して、どれ程の人数かは分からなかったが、避難用の土地の空きはもう僅かしかなかった。それに、ヨハンの家は王宮の近くにあったためにすぐに避難できたのだが、王都外郭の住民は、まだ大部分が王宮には入れていないのかもしれない。人々の中に不安が渦巻いていた。
「ヒカル君、だね?」
後ろから声をかける者がいた。その落ち着いた声に、ヒカルは聞き覚えがあった。最初に皇帝に謁見した時に同座していた、若い緑髪の男、名前は確か、アーネストといったか、皇帝とよく似た顔立ちをしている。
彼こそがワルハラ帝国において、皇帝に次ぐ権力者、アーネスト・ジブライル大公その人であった。彼は、皇帝からの密命を、直々に届けに来た、そんなところであろうか。
「今すぐに、失踪事件調査本部に向かいなさい」
アーネストはそれだけ伝えると、王宮へと戻っていった。
失踪事件調査本部には、アテナ以外にも数人の人間がいた。軍需大臣のエルヴェ・フーシェと、そのメイド、イーリス。その他に二人の見知らぬ人物――。
「ん、やぁ。君がヒカルくんだね、僕はワルハラ騎士団第四隊長のオーエン。前線に派遣されたんだけど敵の奇襲にやられてね……、ご覧の通りさ」
丸眼鏡をかけた気弱そうな青年は、ばつの悪そうな顔で自らの腕を見た。白い包帯で吊られた腕が、なんとも痛々しい。だが、この国難に際して、前線で戦えないことが、彼にとっては最も辛いことであろう。それにしても、何故彼はここにいるのだろうか。その疑問には、机に腰かける桃髪の幼女が答えた。
「どうせ戦えないんだし、僅かながらに残る騎士団員の司令塔ってことでしょ?」
「うん、まぁ、そんなところだね……。何せ団長以下、第一から四隊までが前線に派遣されて、第五隊は東方遠征の途上だから」
ヒカルは皇帝の命令を受けてここに来たし、このオーエンという男も指令を受けてきたのだろう。ともすれば、この桃髪の幼女もまた……。
「少年、私のことが気になる?」
流し目を使う幼女は、その見た目の割に、妙に艶っぽい声で聞いてきた。そして、彼女はヒカルの返答を待たずに、自分の胸に手を当てて自己紹介をした。
「私、ソフィ・ネージュ。ワルハラ王宮の武器庫の管理人なの」
幼女はそう言って、嫣然と微笑んだ。




