黒魔術式の裏側で
太陽の光が墓所に差し込む中、ジャックスは目を覚ました。黒魔術師はとうに姿を消し、魔法陣も幽霊も、跡形もない。
「何で俺、気を失って……」
ぐるぐると辺りを見回す内に、ジャックスは明け方の出来事の記憶を取り戻していった――。
突如として倒れ伏すガリエノに、ジャックスは、咄嗟に反応することができなかった。単に気絶したか、黒魔術の影響か、それとも別の誰かに襲われたのか。まさか、黒魔術の瘴気に当てられた自分の気が狂って、殴り倒したのではあるまいか。様々な考えがまとまる前に、ジャックス自身も強い衝撃を受けて倒れた。幸いなことに彼は朧ながらに意識があった。
「誰だ……、騎士団の何某彼某か……」
しわがれた低い男の声が響く、黒魔術師が発した音声であろう。彼は青い魔法陣を踏み越えながら、こちらに近づいてくる。それに応えるように、倒れた二人の後ろから、誰かが踏み出してくる。
「どうかね君ィ……、首尾は上々かねェ?」
それは背の高い男だった。大量に身に纏った装身具が、ジャラジャラと耳障りな金属音を立てている。身の丈よりも長い、紅色の繻子のマントが、雑草を引き摺っていく。墓所の雰囲気とはまったく噛み合わないその男の登場に、黒魔術師ははっとした表情を浮かべ、居住まいを正した。
「これはこれは……。わざわざお越しにならなくても、私一人でどうにでもできましたのに……」
魔法陣の光に照らされた男の姿が、ジャックスにもはっきりと見える。金色の髪を丁寧に撫でつけた、豪奢な身なりの男である。その髪色と同じような金のアクセサリが、悪趣味な印象を与える。しかし、その男を何よりも特徴づけていたのは、男が放つ、禍々しいまでの魔力であった。目を背けたくなるような、恐ろしく濁った魔力であった。
「しかしィ、君は本当に上手くやるねェ……。儂の術式は常人には使いこなせないと思うんだが、やはり君の血筋かねェ……」
術式、血筋。この男の話の内容は、ジャックスには図りかねた。ただ、この男が黒魔術師に、この術式を授けたことは間違いなかったようだった。
「ところで、あと何人なんだぃ?」
「あと、一人ですね」
金髪の男は満足気に頷いた。あと一人、つまりあと一人で、失踪事件に見せかけた彼らによる誘拐の目標に達するということだ。そして次に金髪の男が放った一言に、ジャックスは凍りついた。
「ン、どうだい。そこに転がってるヤツ、それを拝借しようじゃないかァ……」
「あの騎士団員ですか。そうですね……」
すぐにでも起きて、ガリエノを抱えて逃げ出したかったが、それができなかった。ジャックスは、自分の身体がいつの間にか自由を奪われていることに気がついたが、気づくのが遅すぎたという他あるまい。動かない身体で、目だけをゆっくりと動かして、黒魔術師の様子をうかがう。
「こちらの方が魔力が多い、こちらがいいでしょう」
果たして、選ばれたのはガリエノであった。ジャックスと同様に身体を動かすことができず、まるで石のように固まったガリエノは、黒魔術師によって乱暴に引き摺られて、魔法陣の上まで移動させられた。それを何とか止めようと身体をよじり、声を上げようとしたが、願いは叶わなかった。
その瞬間、魔法陣が強く発光し、風が強く吹いた。大量の霊はそれに呼応するように、縦横無尽に空間を飛び回る。その烈風が収まった時にはガリエノの姿はなく、代わりに何か大きな塊が蹲っている様子が見えた。
「おおぉ、成功だ……!!」
ジャックスの知らぬ言葉、未知の呪文を唱えていた黒魔術師は、その塊の出現に、思わず声を上ずらせて叫んだ。金髪の男もまた、満足気に頷く。
「いいねェ、恨みつらみの総和の顕現かァ……。君のような真人間がやったにしては、いいんじゃァないかなァ……」
賞賛の言葉に、黒魔術師は無言で頷いた。その後ろで、召喚された塊が蠢きだす。ぐらぐらとその外形が変化し、突起部からは巨大な腕が生え、頭が生え……。やがてそれは、王宮の壁の高さに届かん程の、人の骸の形をとった。
(死霊……)
ジャックスは頭の中で、目の前に立ち上がる骸を、そう形容した。墓所に発現した死霊、怪物、或いは死神のようなそれは、骨と骨が触れ合う乾いた音を立てながら、徐々に前方へ進み出す。
「して、この男はどうしましょうか」
黒魔術師の問いかけに、金髪の男はカラカラと笑った。けして気持のいい笑いではない、嫌悪感を煽るような、卑下た笑いである。
「こんなところで死んでも、面白くなかろう? 朝になったら解き放ってやろうかねェ、ワルハラの滅亡がよく見えるようにねェ……、ハッハッハ……」
地面に潜り込みながら、死霊は王都の中心部を目指していく。横たわるジャックスの身体を通り抜けて、朝の光を恐れるかのように、死霊は完全に姿を消した。そこでジャックスは、気を失ってしまったのだ。
ジャックスは今、墓所の中に一人、嗚咽を漏らしていた。恐怖と憤怒の葛藤、正義感と自己愛の念がせめぎ合い、自身が無事である安堵と、助けられなかった自分への嫌悪が交錯する。ガリエノがいた辺りを見ても、その服を形作る糸の一本さえも残されていなかった。
叫び声を上げて拳を地面に打ち下ろすと、無機質な響きが朝の清浄な墓所にこだました。




