第98話 前とは、少し違う
「本当か?」
「昼の査定で正式に出たらしいぞ。17歳でクラス4だって」
「17歳だろ? それって史上初だよな?」
近くを通る生徒たちがそんな話をしている。別の方向からも、ブロムの名前が聞こえてきた。
「……すげえな、あいつ」
素直にそう思った。
今日、ここに来る前の鍛錬は、そこそこ手応えがあった。少しは成長している気がして、シャワーを浴びる頃にはそれなりに満足もしていたのだが、17歳でクラス4なんて話を聞くと、その程度で喜んでいた自分が急に小さく思えてくる。
どうやら、あれくらいで満足している場合ではなかったらしい。
そう思ってから、キツキは隣を見た。
レニアは何も言わなかった。
ただ、下ろしていた手の指が、1度だけ小さく握られた。
キツキはそれを見たが、ここで聞くことでもない気がして、そのまま廊下を歩いた。
人の少ない窓際まで行き、開けられた窓から入ってくる風にしばらく当たった。
本当は研究のことを1度頭から追い出すための休憩だったのだが、代わりに入ってきたブロムの話もなかなか頭から消えてくれなかった。
しばらくして、2人は小演習室へ戻った。
机の上には、行き詰まったところで止まった紙とノートがそのまま残っている。
レニアは席につくと、何事もなかったように紙へ手を伸ばした。
キツキも向かいの椅子に座る。
「レニア、大丈夫か?」
「なにが?」
「いや、ブロム。クラス4になったって」
紙を揃えていたレニアの手が、一瞬だけ止まった。
「……悔しくないとは言わないわよ」
それだけ言って、また手を動かす。
「でも、だからって私まで急にクラス4になれるわけじゃないでしょう」
「それはそうだけど」
「だったら、今できることに集中するわ」
レニアはさっきまで書き込んでいた紙を脇に寄せると、今度はキツキのノートを開いた。
曖昧なところには触れず、確実に分かっている部分だけを拾うように、1つずつ印をつけていく。
キツキが黙ってその手元を見ていると、レニアはふとペンを止め、そのままノートに描かれた杖をペン先で指した。
「……私たち、この杖をそのまま再現しようとしていたわね」
「違うのか?」
「最終的にはね。でも、今はそこまでやる必要はないわ」
レニアは新しい紙を1枚取り出し、机の中央に置いた。
「分からないところまで無理に埋めようとするから進まないのよ。まず、あなたが実際に確認したことだけを見る」
そう言いながら、レニアは紙に短く書き込んでいった。
「魔法が強くなったこと。魔法を維持している間の負担が軽くなったこと。最初から全部まとめて再現しようとせずに、1つずつ分けて調べるの」
キツキは紙に書かれた2つを見比べた。
「つまり、今分かってるところから別々にやるってことか」
「ええ。今みたいに何もかも同時に考えるよりいいわ」
「だったら、まず強くなった方からやろう。あれなら1番はっきり覚えてる」
「そこはあなたがやってちょうだい」
「分かった」
キツキはノートを引き寄せ、記憶を探った。あの場所で試した炎なら、強くなった時の様子もまだよく覚えている。
向かいでは、レニアがもう新しい紙に何かを書き始めている。ふと、さっき廊下で指を握っていた姿が頭に浮かんだ。以前のレニアなら、あんなふうにすぐ机へ戻らなかったような気がする。
そう思うのも、少し勝手な気はした。何が変わったのかと聞かれても、上手く言えない。
キツキはそれ以上考えるのをやめ、ノートのページをめくった。
◇
その日の夜。
エリルは自室の机に向かい、プライムフォーラムまでに確認しておくことを紙に書き出していた。
窓の外はすっかり暗い。
少し離れた窓際では、キュルが椅子にほとんど逆さまになっていた。座面に背中を預け、両脚を背もたれに引っかけ、頭をだらりと下へ垂らしたまま花蜜飴を口の中で転がしている。
エリルはじーっとそちらを見る。
そのうち淑女としての――いや、せめて常人としての椅子の座り方は叩き込まないといけないらしい。
そう思いながら、紙に視線を戻した。
七環術式については、もうそれほど考えることはなかった。自分の答案が成立することは分かっていたし、正式な成果として扱われる以上、プライムフォーラムへの参加資格もじきに得られるだろう。
ひとまず、自分の方はそれでいい。
考えるべきは、キツキの方だろう。
あの答案は、自分の知っているものよりさらに先へ進んでいた。
(……もしかして、私と同じ?)
一瞬だけ、そんな考えが浮かんだが、すぐに消した。
もし先のことを知っているなら、もう少し上手くやるはずだ。入学してからのキツキを思い返してみても、必要もないところで目立ち、その場で見つけたものに首を突っ込み、後になって本人まで驚いていることがある。
先を知って動いている人間にはとても見えない。
学術的な部分だけを見れば、もはや自分の知る水準を超えているというのに。
(頭がいいのか、何も考えてないのか、たまに分からないんだよねー)
もっとも、だからといって価値がないわけではない。むしろ逆だ。
あの答案と同じようなものを他にも持っているのなら、それだけで十分すぎるほど価値がある。
かといって、急に踏み込むつもりもない。
同じクラスの生徒で、必要なら互いに得をする取引のできる相手。今はそれくらいでいい。
それに、キツキが起こした予定外も、今のところ悪いものばかりではなかった。
そこまで考えたところで、エリルはペンを止めた。
(……前にも、こんなこと考えた気がする)
思い返してみれば、つい最近も予定外をそう悪くないと思ったばかりだった。あの時は気にしなかったが、短い間に2度となると話は別だ。
どうやら、自分は少し変わり始めているらしい。
いいことなのかは、まだ分からないが。
そんなことを考えながら紙に視線を戻すと、レニアの名前が目に入った。
モニカの件を越えて、レニアはまた立ち上がった。そして今は、キツキと杖の共同研究まで始めている。
内容までは知らない。ただ、これもまた、エリルの知っている流れにはなかった。
そのズレが、この先どこまで広がるかは分からない。
もっとも、のんびり確かめている時間もない。第2王女シエラが動くのも、もうじきだ。彼女が王座につく未来だけは避けなければならない。
そう考えれば、レニアにはもう少し踏ん張ってもらわなければ困る。
本来なら、もう少しこちらから手を回しておくところだったが、今回はキツキがいる。
それだけで上手くいくとは思わないが、レニアにはすでに以前とは違う変化が出始めている。
なら、今から何もかもこちらで決める必要はない。
今はまだ、もう少しだけ様子を見ていよう。
必要になれば、その時に手を貸せばいい。自分の予定を崩さない範囲で、だが。
エリルはレニアの名をしばらく見たあと、何も書き足さないまま次の項目へペンを移した。
「そういえば」
窓際からキュルの声がした。
「ん?」
「変な人いた」




