第97話 レニアならいいとは言ったけど……
その日は珍しく、授業が午前で終わった。
キツキは昼食を済ませると鍛錬区画へ向かい、いつもの鍛錬を済ませたあと、少し早めに寮へ戻ってシャワーを浴びた。
着替えを済ませ、机の上に置いていたノートを手に取ったところで、ここ数日のことがぼんやりと頭に浮かんだ。
定期考査の最後に、点を取るために書いた七環術式の答案。
それがまさか、エストたちまで集まる話になり、プライムフォーラムへの推薦にまでつながるとは。
そのうえ学院からは研究奨励金まで出て、当分は金を稼ぐ方法に頭を悩ませなくてもよさそうだった。
「……棚からぼたもちだな」
参加資格の目処が立ち、おまけに金まで入った。
ずいぶん都合よく転がったものだと思う。
ただ、あの答案を書けたのも、結局はメガネのおかげだ。
便利なのは前から分かっていた。けれど、便利すぎる。
使う場所や、誰の前でどこまで見せるかは、もう少し気をつけるべきなのだろう。
「……まぁ、レニアなら大丈夫か」
今日は、そのレニアと初めて共同研究をする日だった。
共同研究をすると決めてから数日。授業や七環術式の件もあり、お互いの予定がなかなか噛み合わなかったが、ようやく時間が取れたのだ。
キツキはノートを抱えると、まだ少し早い時間だったが、そのまま部屋を出た。
◇
予定より少し早く、小演習室に着いた。
当然、レニアの姿はまだない。
キツキは机の端に座り、ノートを開いた。
杖の形。覚えている限りの内部経路。曖昧な場所には印があり、どうしても思い出せなかったところは空白のままだ。
何度見ても、よくこれで作ろうと思ったな、と今さらながら思う。
ペン先で曖昧な箇所をなぞっていると、扉が開いた。
入ってきたレニアの姿を見て、キツキは無意識に少しだけ姿勢を正した。
「待たせたかしら」
たしか、こういう時の返事は決まっていたはずだ。
「いや。俺も今来たところだ」
レニアは机の上の開いたノートにちらりと目をやり、それから少し冷めた目でキツキを見た。
何も言わなかった。
その後ろから、以前にも見た黒髪の長身の侍女兼護衛が入ってくる。
腕には数冊の本と紙束、それに標準的な長さの杖まで抱えていた。机の上に次々と置かれていくそれらを見て、キツキは目を瞬いた。
「……多くないか?」
「必要なものを持ってきただけよ」
女性は荷物を置くと、レニアに一礼して部屋を出ていった。
キツキは、自分の前にあるノートを見る。
「俺、ノートしか持ってきてないんだけど」
「ええ。あなたにそこまで期待してなかったわ」
「そうですか……」
一応、思い出したことを書き足したり、気になる場所に印をつけたりと、それなりに準備したつもりだったのだが、どうやら共同研究というものを少し甘く見ていたらしい。
レニアは席につくと、持ってきた紙を何枚か並べた。
「まず今後の予定を決めるわ。プライムフォーラムは7月の半ば。それまでに、最低でも発表できるところまで持っていく」
「あと1か月半くらいか」
「そうよ。ただ、問題は研究だけじゃないわ。あなたの参加資格も――」
「あ」
レニアが止まった。
「……なに?」
「それ、目処が立った」
「……どういうこと?」
「参加資格だよ。エストって人が推薦してくれることになった」
数秒、返事がなかった。
「……エストって、緋石塔のエスト・リバー?」
「うん」
レニアがじっとキツキを見る。
「あなた、一体何をやらかしたの?」
「やらかしたって……考査の最後の問題あっただろ。あれの答案がちゃんと成立してたらしくて、それで評価してもらった」
「……あなたもあれを解いたの?」
「まあ、一応」
レニアは大きくため息をついた。
キツキは気まずそうに頬をかき、少しだけ視線を逸らす。
「ただ、俺が解いたことも、答案の中身も、しばらく外では話さないようにって言われてる」
「……それを私に話してよかったの?」
「まあ、レニアならいいかなって」
レニアは一瞬だけ目を瞬いた。
その顔に、わずかな満足の色が浮かぶ。
「……そう。じゃあ、その答案、後で私に見せなさい」
「いや、それは駄目だろ」
「どうしてよ。私ならいいんでしょう?」
「話すのと見せるのは別じゃないか?」
レニアの眉が分かりやすく寄った。
「私が誰かに話すと思っているの?」
「いや、そういう意味じゃなくて」
「なら、見せられないか聞いてきなさい」
「……俺が?」
「他に誰がいるのよ。それに、研究にも使えるかもしれないでしょう」
「いや、まあ、そうだけど……」
レニアなら見せてもいい気はする。
いや、でも駄目だろ。
とはいえ、確認くらいなら――と思ったところで、別の問題に気づいた。
そもそも、レニアに話したことだって許可は取っていない。そこまで考えると、今ここで答えを出せる話でもなかった。
キツキははっきりした返事をせず、その場を流した。
レニアはまだ不満そうだったが、それ以上は追及せず、資料に視線を戻した。
「参加資格の問題が片づくなら、あとは研究を形にするだけね」
そう言って、レニアは小さく息を吐いた。
それから気持ちを切り替えるように、机の上の資料を引き寄せる。
そうして2人は、普段使われている杖とキツキのノートを見比べていった。
キツキがメガネ越しに杖を観察すると、ノートに残した古杖との違いがすぐに見えてきた。
「ここ、途中で分かれてるな」
「資料にはない構造ね」
「こっちに戻ってたと思う」
レニアの視線が、キツキの目元で一瞬止まった。
「……本当に便利ね、それ」
「なにがだ?」
レニアは今度はキツキの顔を見た。ほんの一拍置いて、
「別に」
それだけ言うと、何事もなかったように資料に視線を戻した。
キツキも杖に視線を戻したが、数秒してからようやく気づいた。
(……今の、絶対メガネのことだよな?)
少し不安にはなったが、当のレニアは何も言わず資料を見ている。なら、こちらから掘り返す必要もない。
そういうことにした。
だが、問題はその先だった。
「ここを流れていた魔力の量は?」
「……分かんない」
「この2つは同時に動いていた?」
「そこまでは見れてない」
「じゃあ、この接続は?」
「たぶん、こうだったと思う」
「たぶん?」
「う……」
最初は順調に埋まっていた紙も、細部に入った途端、それ以上進まなくなった。
形は覚えていたが、実際に同じものを作るとなれば、それだけでは圧倒的に情報が足りない。
レニアはノートに描かれた杖を見下ろした。
「この杖をもう1度見ることはできないの?」
「俺もできるならそうしたいんだけどな」
キツキは、あの場所へ行った時のことを簡単に説明した。
自分から行く方法は分からないこと。そもそもホンペクも、頼めば素直に連れていってくれるような奴ではないこと。
「つまり、今頼れるのは、このノートとあなたの記憶だけということね」
「そうなる」
レニアはしばらく黙ってノートを見ていたが、やがてペンを置いた。
キツキもそれを見て、自分も椅子の背に深くもたれかかる。
「これ、思ってたよりやばくないか?」
「ええ。今のやり方でその杖を再現しようとしていたら、7月には到底間に合わないわ」
レニアも資料から顔を上げた。少し疲れた顔をしている。
「なあ、一回休まないか?」
「……そうね」
そうして2人は揃って小演習室を出た。
凝り固まった頭を少し休ませるつもりだったが、廊下に出ると、周囲は妙に騒がしかった。
何の騒ぎだろうとキツキが顔を上げたところで、すれ違った生徒の声が耳に入った。
「ブロムがクラス4になったって!」




