第95話 予定外は、すぐにやってきた
第1回定期学科考査の答案が返された。
最後の七環術式については詳しい解説がないまま、昼休みには学院の掲示板へ1年生の総合順位が張り出されていた。その前には、すでに多くの生徒が集まっている。
1番上にあった名前を見て、レニアはわずかに目を細めた。
1位、エリル・ポルテュン。100点。
そのすぐ下に、自分の名前がある。
2位、レニア・フォルテア。93点。
3位、ブロム・アステリオン。92点。
1位ではない。当然、悔しくはある。
けれど自分とブロムの名前をもう1度見比べると、口元が緩むのまでは止められなかった。
「負けたよ、殿――レニア」
横から声をかけられ、レニアが振り向く。ブロムは1度だけ言葉を詰まらせたものの、そのまま何事もなかったように笑った。
「僕も間違いなく全力だった。だから、言い訳はないよ。今回は君の勝ちだ」
「……ええ」
レニアはそれだけ返し、緩みかけた口元をすぐに戻した。
「最後の問題、私は3点だったわ」
「僕は2点。……なるほど、そこで1点差か」
ブロムは少しだけ苦笑した。
「あれだけ考えても、最後までは届かなかったけどね」
「それは私もよ」
2人の視線が、自然と掲示板の1番上へ向かった。
ブロムはそのまま、近くにいたエリルへ声をかける。
「すごいね、エリル。最後の問題まで解けたなんて」
「……でしょ?」
エリルはわざとらしく胸を張ってみせた。
ただ、視線だけはもう1度、掲示板に並ぶ100点の数字へ戻る。
一方、少し離れたところで会話を聞いていたキツキは、だんだん落ち着かなくなっていた。
レニアが3点で、ブロムが2点。対して、自分は10点。
(……あれ、そんなにやばい問題だったのか?)
思わず掲示板の1番上を見る。100点のエリル。レニアとブロムまで抑えての満点だ。
こうして見ると、やっぱりあいつもすごい。
(……まあ、少なくともエリルも解いてるし。他にも解いてるやつはいるだろ。たぶん大丈夫だよな)
そういうことにして、自分の順位へ目を落とす。
15位、キツキ。78点。
(くそ、まさか元の世界の歴史がこんなところで邪魔をしてくるとは……)
七環術式より、今のキツキにはそちらの方がよほど悔しかった。
その間に、エリルは掲示板から別の名前を見つけていた。
「キュル、10位じゃん」
すぐ隣にいたキュルの肩が、ぴくりと揺れた。
「私がやらせたところ、ほとんど出たよね?」
「……うん」
「じゃあ、なんで間違えてるの?」
「……エリルがもう1回やらせなかったから」
「私のせいなの?」
「……ちょっとだけ」
エリルは呆れたように息を吐いた。
「ま、10位なら上出来だけどね」
掲示板の前ではしばらく成績の話が続いたが、昼休みが終わると、生徒たちもそれぞれその場を離れていく。
レニアは立ち去る前に、1度だけキツキへ目を向けた。
最後の問題について、彼は何も言わなかった。そのことが少し引っかかったが、レニアも何も聞かず、教室へ向かった。
そして、その日の授業が終わる頃。
「エリル・ポルテュン。それからキツキ。放課後、術式研究棟へ来るように」
「分かりました」
エリルは平然と答えた。
おおかた、七環術式のことだろう。自分が呼ばれることも、その先に誰がいるかも、だいたい見当はついていた。
ただ、キツキまで呼ばれる理由だけが分からない。
隣の席を見ると、本人は教師が去った方をぼんやり見ている。
(……まさか、ね)
エリルはそれ以上考えず、机の上へ視線を戻した。
そして放課後。
2人で術式研究棟へ向かう途中、キツキが首を傾げた。
「これ、なんで呼ばれたんだ?」
「……さあ?」
「エリルでも分かんないのかー」
あまりにも気の抜けた声に、エリルはもう何も返さず前を向いた。
そのまま会話が再開することもなく、ほどなく術式研究棟が見えてくる。
中へ入ると、廊下には学生より教師や研究者の姿が目立った。
指定された部屋では、学院長と2人の研究者、それから1人の老人が待っていた。中央には、複数の魔力経路を組み合わせた大きな術式装置が据えられている。
その構造を見て、エリルの予想は確信に変わった。
やはり、七環術式の件だ。
「来てくれたか、2人とも。急に呼び出して悪いね。早速ではあるが、少しこちらへ来てくれ」
学院長に促され、キツキとエリルは並んで前へ出た。
「まず今回の考査について、少し説明しておこう。最後の1問は、もともと完全に解かせるために用意したものではない。難問を前にしたとき、どこまで構造を読み、考えられるかを見るための発展問題だ。今年は、ここにいる彼から七環術式を提案されてね」
学院長の視線が、隣の老人へ向く。
「緋石塔の塔主、エスト・リバーだ」
キツキはそこで初めて老人を見直した。
学院に来てから、キツキはこの世界の情勢について少しずつ学んできた。フォルテア王国、ルミネーラ皇国、ギルザーク帝国。そして各地にある島や魔術研究の塔。
緋石塔も、その中で何度か目にした名前だった。かなり有名なところだったはずだ。
その塔主が、なぜ自分たちの考査に関わっているのか。ここまで来て、キツキにもようやく嫌な予感がしてきた。
「七環術式は、単に学生には難しいという問題ではない」
今度はエストが口を開いた。
「現在の学術界でも、完全な解法は確立されていない」
「……未解決、ですか?」
キツキの声が、わずかに遅れて出た。
「そうだ。だが今回、書面上、完全に成立する答案が2つもあった」
エリルの目がわずかに動いた。
2つ。
自分のものは分かっている。なら、もう1つは。
隣を見ると、キツキは何でもない顔をしていた。ただ、口元だけがわずかに引きつっている。
「エリル・ポルテュン。そして、キツキ。君たち2人の答案だ」
エストは机の上から1枚目を持ち上げた。細かな計算が幾重にも並び、答案欄のほとんどを埋めている。
エリルには1目で分かった。自分の答案だ。
「こちらは、複数の段階を踏みながら、すべての条件を1つずつ成立させている。考え方そのものが新しい。これだけでも十分、画期的な解答だ」
これだけでも。
その言い方にエリルがわずかに引っかかったところで、エストはもう1枚の答案をその隣へ置いた。
エリルはそちらに視線を移し、眉を寄せた。
短い。あまりにも短かった。
広い答案欄にあるのは、簡単な術式図と、いくつかの式。それから接続の変更箇所だけ。
そのまま答案を追い、もう1度最初から読み直したところで、エリルの目が止まった。
自分がここに持ち込んだ解法は、いくつもの仮定と計算を重ねて、ようやくその構造へ辿り着く。なのにこれは、最初から直接そこへ手を伸ばしている。
それだけではない。この形なら、七環術式だけに留まらず、同じような構造を持つ術式にも応用できる。
(……何、これ)
エリルの表情から、いつもの余裕が消えた。
(3年後どころじゃない。……いったい、何年先の考え方なの?)
もう1度答案を見てから、ゆっくりと隣のキツキへ顔を向けた。




