第91話 私がただの学生なら
「……プライムフォーラムに出す予定だった研究があったの」
キツキは黙って続きを待った。
「ずっと準備していたものよ。けれど、別の学院に、モニカ・ソラリーという1年生がいた」
レニアは、モニカが自分より数か月早く正式な記録を残し、自分が成果の中心としていた地点まですでに到達していたことや、エリルがその資料を見つけ、昨日渡してきたことを、少しずつ話した。
「向こうが私の研究を盗んだわけではないわ」
「うん」
「私も、彼女の研究を真似したわけではない」
そこだけは、レニアの声に少し力が戻った。
「私は私で、同じところまで辿り着いたの」
「……じゃあ、レニアの研究そのものに問題があったわけじゃないってことか」
「ええ」
キツキは1度頷いた。そこで、さっきから引っかかっていた言葉を思い出した。
「……悪い。1つだけ聞いていいか?」
「なに」
「プライムフォーラムって、なんなんだ?」
レニアは数秒、キツキの顔を見た。
「……あなた、本当に何も知らないのね」
「いや、なんかすごいところなんだろうなっていうのは、今の話でわか――」
「知らないのと同じでしょう」
「……はい」
久しぶりに聞いた気がする呆れた声に、キツキは少しだけ肩をすくめた。
レニアは、若い学生や研究者が成果を持ち込む、長く続いている催しなのだと、プライムフォーラムについて簡単に説明した。
「なるほど」
ようやく話の重さが分かってきた。
ただでさえギレルの授業についていくだけでも、キツキには1日が24時間では足りない。レニアが自分よりずっと勉強できることは知っていたが、その上で外部に発表する研究まで準備していたらしい。
そこまで準備していたのだと思うと、改めてすごいとは思う。けれど、それを失ったばかりのレニアに、今言うことではなかった。
「じゃあ、研究が重なってて、モニカの方が先だったから、出さないってことか?」
「それだけなら、続けてもよかったわ」
レニアの指先が、制服の袖をわずかに押さえた。
「もっと先まで進めばいい。重なっていない部分だけを切り出す方法だってあったわ」
「だったら――」
「私がただの学生ならね」
そこでキツキは口を閉じた。
「私が同じ研究を発表すれば、どうなると思う?」
「どうなるって」
「私は王女よ」
そこでキツキは、少しだけ眉を寄せた。
「先に正式な記録を残しているのがモニカだと分かっていても、私の方が注目されるかもしれない。向こうが先だったのに、彼女の方が私を真似したのではないかと疑われることだってある」
「……ああ」
「自分が先だと分かっていても、それを何のためらいもなく主張できる人ばかりではないわ」
前の世界で読んだ物語にも、権力のある側とない側が同じものを主張した結果、弱い方だけが疑われるような話はあった。レニアが気にしていることも、キツキには理解できた。
「だから、出さないことにしたの」
レニアは静かに言った。
「モニカは何も悪くない。エリルも悪くない。私だって、誰かから盗んだわけじゃない」
少しだけ間が空く。
「……悔しくないわけがないでしょう」
言い切ったあと、レニアは小さく息を吐いた。
キツキには、返す言葉がなかった。
ふと周囲を見ると、いつの間にか廊下から人の姿が消えていた。開いた扉の向こうから漏れていた話し声も途絶え、学院の空気はもう授業中のものに変わっている。
キツキは教室のある方へ1度だけ視線を向けた。けれど、戻ることよりレニアの話を聞く方が大事だった。
レニアも、その意味には気づいていた。それでも、今はもう少しだけ、キツキに話していたかった。
「だから、また探せばいいのよ」
「……また、最初から?」
「ええ」
声色はいつものレニアに近かった。けれど、その言葉には、自分を立たせようとするような硬さが残っていた。
「私には必要なの。何か、ちゃんと私自身に価値があると示せるものが」
その言葉を聞いて、キツキはふと、さっきのレニアの言葉とどこか繋がっているような気がした。
「……それが、さっき言ってた『王女だから』ってことか?」
レニアは答えなかった。
キツキも、それ以上は聞かなかった。何がそこまでレニアを駆り立てているのかは分からない。
それでも、自分で積み上げてきたものを、間違っていないと分かりながら手放した重さまで分からないわけではない。
「……それは、きついな」
授業中の静けさが、2人のいる廊下まで広がっていた。
キツキは隣のレニアへ目を向けた。
また探せばいいと言ったその顔には、まだ疲れが残っている。どう見ても、もう平気という顔ではなかった。
何か、自分にできることはないだろうか。
励ますにしても、何を言えばいいのか分からない。まして研究のことなら、キツキが口を挟めるほどの知識もなかった。
それでも何かないかと考えているうちに、ふと今朝まで眺めていたノートが頭に浮かんだ。
このまま黙っているのも嫌で、キツキはほとんど思いつきのまま口を開いた。
「……じゃあさ。俺が作ろうとしてる杖でも、研究にしてみるか?」
口にしてから、自分でもずいぶん軽いことを言ったと思った。
レニアがずっと準備してきた研究の代わりに、作り方すら分からない杖を出してどうする。
「杖?」
「……いや、忘れてくれ。まだ作り方すら見当もついてないんだ」
「……そういえば、あなたが私の部屋に突然現れた時も、杖がどうとか言っていたわね」
「え? ……ああ、そうだったな」
レニアの赤い瞳が、キツキを睨むようにすっと細められた。
「あの時のことなら、最初から最後まで全部覚えているわよ」
……やっぱり怒ってますよね、レニアさん。
もちろん、そんなことは口に出さず、キツキはそっと視線を逸らした。
レニアは視線を逸らしたキツキをしばらく見ていたが、やがてわずかに肩の力を抜いた。
「……それで、どんな杖なの?」
「え?」
「あなたが作ろうとしている杖よ」
まさか、食いついてくるとは思わなかった。
キツキは一度、確かめるようにレニアを見た。レニアは何も言わず、続きを待っている。
「……たまたま見つけた杖があってさ。魔力の通り道がいくつもあって、炎が強くなったり、維持するのが楽になったりしたんだ。どういうふうに働いてるのかは少しずつ分かってきたんだけど、同じものをどう作ればいいのかが全然分からなくてさ」
「……強くなるのに、維持の負担も減るの?」
「ああ。少なくとも、使った時はそうだった」
レニアはそれ以上言わず、考え込むようにわずかに視線を落とした。
「ただ、持って帰れなかったんだ。だから、覚えてる構造をノートにまとめてるだけで――」
「そのノート」
レニアが顔を上げた。
「一度、見せてもらえるかしら」




