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第9話 初めての魔法

 エリルが持ちかけた最初の「取引」は、情報の試供品だった。


「今回は無料だよ」


「取引って言っておいて、無料なのか?」


「初めて見る商品に、いきなりお金を払いたくはないでしょ? 役に立つと分かったら、次から買ってくれればいいから」


 どうやら、話しているうちに客へ分類されていたらしい。


 無料という言葉は魅力的だが、エリルの場合、その先にある有料版まで計算していそうだった。


「それで、試供品の中身は?」


「明日の初回実技について」


 エリルは声を少しだけ落とした。


「正式な内容はまだ発表されていないけど、防御魔法は練習しておいた方がいいよ」


「どうして分かるんだ?」


「担当がガルドだから」


「ガルド?」


「さっきまで君と話していた教師だよ。Sクラスの担任と実技を受け持っている」


 キツキは、脇廊下で交わした会話を思い出した。言葉にクッションを敷く発想がなく、褒める成分は説明に不要だと言い切った男だ。


「……あの人が担任なのか」


「嫌そうだね」


「昨日から調べられて、今日からは担任として見張られるんだぞ。学院の監視体制が思ったより手厚い」


「期待もされてるんでしょ?」


「監視と同じ箱に入れられてるけどな」


 エリルが楽しそうに喉を鳴らした。


「ガルドは、派手な攻撃魔法より先に、自分と周囲を守れるかを見る。去年のSクラスも、初回は防御と反応を確かめる実技だったらしいよ」


「らしい?」


「上級生から聞いた話。絶対とは言わないけど、可能性は高い」


 未来を知っているわけではなく、過去の傾向から予測しているらしい。その程度なら納得できた。


「それに、君は暫定配属でしょう?」


「何回も言わなくても覚えてるよ」


「最初の授業から、間違いなく注目される。最低限の障壁くらい使えないと、少し困るんじゃないかな」


 キツキは返事をせず、自分の手を見た。


 最低限どころか、魔法はまだ1つも使ったことがない。


 無限の魔力も、すべての魔法を使える力も与えられている。だが、実際に魔法を発動できるかどうかは、まだ試してすらいなかった。


「君、本当に障壁を使えるの?」


「……使える予定ではある」


「予定なんだ」


「明日までには実績に変える」


 エリルは一瞬だけ目を丸くしたあと、面白そうに笑みを深めた。


「それなら、今夜のうちに練習しておいた方がよさそうだね。学院の訓練場は、いつでも自由に使えるよ」


「それも試供品に含まれてるのか?」


「施設の使い方まで売りつけるほど、がめつくはないよ」


「安心した。歩くたびに借金が増える学院生活は嫌だからな」


「今日のところはね」


「おい」


 今後は分からないらしい。


 その間、キュルは一言も口を挟まず、広間の窓の外をぼんやり眺めていた。そういえば、名乗ってからほとんど口を開いていない。


 少し気にはなったが、それを考えるのは後でもいい。今は明日の実技に備える方が先だった。何もできずに立ち尽くすより、事前に備えられるだけでもありがたい。


 しかも、同じSクラスにはレニアもいる。彼女の前で再び無様な姿を晒せば、すでに低そうな好感度が、今度こそ地面を突き抜けかねない。


「分かった。まずは障壁を覚えてみる」


「素直でよろしい」


 エリルは満足そうにうなずくと、キュルを伴って歩き出した。


「それじゃあ、明日の成果を楽しみにしてるよ」


 数歩進んだところで振り返り、人当たりのよい笑みを浮かべる。


「これからも、お互いにとっていい取引相手でいられるといいね」


「俺はまだ何も買ってないけどな」


「今日の情報が役に立てば、すぐに買いたくなるよ」


 言い切るだけの自信があるらしい。


 エリルは軽く片手を上げ、今度こそキュルとともに広間を去っていった。


 キツキは2人の背中を見送りながら、今夜の予定を決めた。


 まずは、防御魔法を1つ覚える。そして明日の実技では、暫定という余計な一言を少しでも消しにかかる。


 できることなら、レニアの前で少しくらい格好もつけたかった。


◇ 


 エリルたちと別れた後、キツキは図書館で初心者向けの魔法書を借り、寮で夕食まで読み込んだ。道中では「結界に飛び込んだクラス1」と囁く声も聞こえたが、今は自分も魔法を使えるのか、その方が気になって仕方がなかった。

 

 夕食を終えると、キツキは入門書を抱え、学院の訓練場へ向かった。


 夜になっても利用する生徒は多いらしく、離れた区画から魔法の光が瞬き、時折、重い衝撃音が響いてくる。


「みんな、こんな時間まで頑張ってるんだな……」


 自分も負けてはいられない。そう思うと、初めての魔法を試す緊張よりも、早く使ってみたいという気持ちの方が強くなった。


 キツキが選んだのは、石壁で囲まれた小さな訓練区画だった。奥には魔法を受け止めるための標的が並び、床や壁には焦げ跡や浅い傷が刻まれていた。


 これから自分も、あの傷を増やす側になる。そう考えると、自然と胸が高鳴った。


 本当なら、異世界で初めて使う魔法は、炎や雷を放つような派手な攻撃魔法がよかった。だが、明日の実技で必要になりそうなのは防御魔法だ。


 暫定配属の初日から、何もできずに立ち尽くすわけにはいかない。


「とりあえず、防御魔法からだな」


 攻撃魔法への未練はいったん脇に置き、石造りの台に入門書を開いた。


 防御術式の最初に載っていたのは、クラス1の単層障壁だった。正面に1枚の魔力障壁を形成する、最も基本的な防御魔法らしい。


 キツキはメガネをかけ、術式図に意識を向けた。


 ――この術式を、今の俺が使うにはどうすればいい?


《術式構造:単層障壁》


《術式階級:クラス1》


《必要な魔力経路を表示》


 術式図の上に、魔力を流す順序が光の線となって浮かび上がった。同時に、キツキの体内にも細い経路が表示された。


 初めは魔力を動かす感覚すら分からなかった。だが、表示された経路を何度か追ううちに、胸の奥にある温かなものを意識できるようになった。


 それを腕から手のひらに押し出す。


 淡い光が瞬き、キツキの前に透明な障壁が広がった。


「……できた」


 指先で触れると、硬い水面を押したような抵抗が返ってきた。紛れもなく、自分の意思で発動させた初めての魔法だった。


「本当に魔法を使えたんだな……」


 こめかみにはわずかな痛みが残っていたが、今はそれすら気にならない。初めて魔法を使えた喜びの方が、ずっと大きかった。


 キツキは名残惜しさを感じながら単層障壁を解除し、入門書の先に目を通した。


 クラス2の二重障壁。その先には、3層を個別に維持し、攻撃の威力を段階的に削るクラス3の三重障壁が載っていた。


 指が、そのページで止まる。


 クラス1の魔法を使えることは分かった。


 だが、本当に確かめたいのは、初歩魔法を使えるかどうかではない。願った「すべての魔法」が、階級に関係なく本当に使えるのかだ。


「クラス2を挟む必要、あるか?」


 少し考えたあと、キツキは二重障壁のページを飛ばした。


 どうせ試すなら、一気にクラス3まで行けばいい。


 暫定Sクラスに残るためにも、使える魔法は多い方がいい。それに、単層障壁を出した程度で、レニアに見直してもらえるとも思えなかった。


「よし。三重障壁だ」


 メガネ越しに術式図を解析する。


《術式構造:三重障壁》


《術式階級:クラス3》


 次の瞬間、単層障壁とは比べものにならない量の情報が視界を埋めた。


 3枚の障壁を形成する順序。各層に魔力を供給する経路。層同士を接続し、受けた衝撃を後方に逃がす術式。


 表示を追いながら魔力を動かすと、1層目に続いて2層目の輪郭が現れた。


 その途端、こめかみの奥を鋭い痛みが貫いた。


「っ……!」


 視界が揺れる。それでも3層目を作ろうとした瞬間、崩れかけた層や魔力経路の修正情報が一斉に浮かび上がった。


 頭の中に何本もの針を突き刺されたような痛みが走り、足から力が抜ける。キツキが片膝をつくのと同時に、形成途中の障壁は光の粒となって消えた。


「痛っ……何だ、今の……」


 額を押さえながら、荒い息を整える。


 情報量が増えたせいなのか。三重障壁そのものが重いのか。それとも、メガネと魔法を同時に使ったことが原因なのか。


 まだ結論を出すには早かった。


 痛みが少し引くのを待ち、キツキはメガネを外した。先ほど一度成功した単層障壁を、今度は表示に頼らず再現する。


 胸の奥に意識を向け、覚えた経路に魔力を流すと、透明な障壁は問題なく形成された。先ほどのような頭痛はない。


「魔法だけなら、大丈夫なのか」


 念のため、もう一度メガネをかけたまま単層障壁を作ってみる。障壁は完成したが、再びこめかみに鈍い痛みが生まれた。


 原因は、メガネでの解析と魔力制御を同時に行ったことらしい。術式が複雑になるほど表示も増え、頭への負担が一気に跳ね上がる。


「見ながらが駄目なら、先に覚えればいい」


 キツキは方法を変えた。


 メガネで術式の一部を確認し、外してから記憶を頼りに再現する。崩れた箇所だけを再び確認し、また外して試す。


 1層目。


 2層目。


 3層目。


 最後に、3つをつなぐ魔力経路。


 休憩を挟みながら、何度も確認しては外し、失敗してはやり直した。遠くから響いていた魔法の衝撃音も、いつの間にかまばらになっていた。


 やがて、キツキの前に3枚の透明な障壁が重なって現れた。


 どの層も消えることなく、形を保っていた。


「……できた」


 頭にはまだ強い痛みが残り、額から汗が伝っていた。それでも、目の前には確かに3層の障壁が存在していた。


 キツキは最後にメガネをかけ、確認した。


 ――今、組み上げた術式構造に誤りはあるか。


《術式構造:三重障壁》


《構築状態:正常》


《3層すべての形成を確認》


「正常……」


 胸の奥から、抑えきれない喜びが込み上げた。目の前には、確かに3枚の障壁が並んでいた。


 試しに、もう少し魔力を流し込もうとする。


 だが、3枚の障壁は表面をわずかに揺らしただけで、厚さも輝きも変わらなかった。


「……こういうものなのか?」


 一瞬だけ首を傾げたが、メガネは術式の構造が正常で、3層すべて形成されていると示していた。


「本当に、クラス3まで使えたんだな……」


 改めて目の前の障壁を眺めると、自然に頬が緩んだ。


 クラス1と判定されたときはどうなることかと思ったが、願った「すべての魔法を使える力」は、間違いなく与えられていたらしい。


 喜びを噛み締めながら、もう一度メガネに意識を向けた瞬間、頭の奥が激しく脈打った。


「今日は、ここまでだな……」


 キツキは障壁を解除し、その場に座り込んだ。


 本当なら、このまま攻撃魔法も試してみたかった。だが、メガネをかけ直すだけでも頭痛が強まりそうで、とても続けられる状態ではない。


 それでも、不満はなかった。


 初めて魔法を使えた。


 それも、クラス1の単層障壁だけではない。


 クラス3の魔法を、自分は使えたのだ。


ここまで読んでくださってありがとうございます!


基本、毎日2話更新です!


続きが気になる、また読みに来てもいい、と思っていただけましたら、

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