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第10話 備えは万全

 翌朝、キツキはSクラスの教室の前に立っていた。


 昨夜の練習で酷使した頭には、まだわずかな重さが残っていた。それでも、気分は悪くなかった。クラス1の単層障壁だけではない。自分はクラス3の三重障壁まで使えたのだ。


 もう、魔法を1つも使えなかった自分とは違う。


「よし」


 小さく気合を入れ、キツキは教室の扉を開いた。


 すでに大半の生徒が席についていた。扉の音と同時に、いくつもの視線がキツキに集まった。


 検査室の騒動、学力試験9位、そしてSクラスへの暫定配属。注目される理由には心当たりしかなかった。


 なるべく気にしないよう教室を見回す。


 内部は、階段状に長机が並ぶ小さな講義室になっていた。生徒の数よりも席には余裕があり、ところどころに空席が残っていた。どうやら、座る場所は決められていないようだった。


「キツキ、こっちが空いてるよ」


 後方の席で、エリルが隣の空席を指していた。その反対側には、キュルが机の上に両手を重ね、静かに座っていた。


「初日から席まで勧めてくれるのか。そこにも料金はかからないよな?」


「いい考えだね。じゃあ、キツキにだけ席選びを有料にしようかな」


「俺だけなのかよ」


「最初の顧客は、特別扱いしないとね」


「値上げする方の特別扱いはいらない」


 冗談めかして笑うエリルのもとに、キツキは歩いていった。


「昨日の試供品、どうだった?」


「訓練場を使えたのは助かった。ただ、肝心の情報が当たりだったかは、これからだな」


「それなら、授業が終わったあとに感想を聞かせてよ」


「請求書と一緒に来るなよ」


「感想次第かな」


 実技が始まる前から、次の商売まで考えているようだった。


 エリルの反対側に目を向けると、キュルと視線が合った。昨日と同じように、長い前髪の隙間から銀灰色の瞳がじっとキツキを見つめていた。


「よう、キュル」


「……うん」


 挨拶への返事として正しいのかは微妙だが、昨日よりは一歩進んだ気がした。


「おはよう、キツキ」


 今度は教室の前方から、爽やかな声が届いた。


 ブロムが席から立ち上がり、こちらに笑みを向けていた。


「無事にSクラスに入れたみたいだね」


「名前の横に余計なものはついてるけどな」


「暫定でも、同じクラスには違いないよ。改めてよろしく」


「ああ。よろしく」


 相変わらず、朝から非の打ち所がない。


 キツキは軽く手を上げて応じながら、教室の窓側に視線を移した。


 そこに、レニアが座っていた。


 朝の光を受けた銀髪が、肩から背中に流れていた。右手に巻かれていた白い布も、今朝はすでに外されていた。


 ただ窓際に座っているだけなのに、不思議なくらい絵になる。どうやら彼女は、何をしていても様になるらしい。


 赤い瞳が、こちらを向いた。


 一瞬だけ、目が合う。


 キツキが笑いかけようとした、その直前。レニアは静かに顔を背け、窓の外に視線を移した。


 やはり、待っているだけでは何も変わらないらしい。


 なら、今日の実技でしっかり結果を出す。少しでも見直してもらえたら、今度は自分から声をかけよう。


 昨夜覚えた三重障壁があれば、何もできずに立ち尽くすことはないはずだ。


 キツキはそう自分に言い聞かせ、エリルの隣の空席に腰を下ろした。


 間もなく、授業開始を知らせる鐘が鳴った。


 それまで広がっていた話し声が、少しずつ静まっていった。直後、教室の扉が開き、昨日から何度も顔を合わせてきた男性教師が入ってきた。


 ガルドは教壇に立つと、教室全体を一度だけ見渡した。


「今日からSクラスの担任を務めるガルドだ。実技基礎も俺が担当する」


 簡潔な挨拶だった。生徒たちの反応を待つ様子もなく、そのまま話を続ける。


「このクラスには、学力、魔力、属性、実技能力のいずれかで高い評価を受けた者が集められている。だが、入学前の評価や身分が、そのまま学院での評価になるとは思うな」


 ガルドの視線が、教室内をゆっくり横切った。


「今日から見るのは、ここで何ができるかだけだ」


 王女や名門貴族を前にしても、扱いを変えるつもりはないらしい。


 後方に座るキツキにも、同じ視線が向けられた。


「もちろん、暫定配属も例外ではない」


 やはり、そこはわざわざ言うらしい。


 キツキは口には出さず、小さく息を吐いた。


「初日から座学をするつもりはない。最初に確認するのは、防御の精度と攻撃に対する反応だ」


 隣から視線を感じた。


 見ると、エリルが得意げに片方の眉を上げていた。いたずらがうまくいったようなその表情は、少し可愛かった。


 どうやら、昨日の試供品は当たりだったらしい。


「各自、訓練着に着替えろ。10分後に第1訓練場に集合。遅れた者を待つつもりはない」


 それだけ告げると、ガルドは生徒たちより先に教室を出ていった。


「本当に、必要なことしか言わない人だな……」


「分かりやすくていいでしょ?」


「言葉にクッションがないところまでな」


 生徒たちが次々と立ち上がる中、エリルも楽しそうに席を離れた。


「それで、試供品の感想は?」


「まだ実技は終わってない」


「でも、情報は当たっていたよね?」


「途中経過なら高評価だな」


「それなら、次からは途中まででも料金を取れそうだね」


「感想を細かく分けて請求額を増やすなよ」


 軽口を交わしている間にも、周囲の生徒たちは教室を出ていった。


 キツキも遅れないよう立ち上がり、男子更衣室に向かった。


 学院指定の訓練着は、黒紺を基調に、輪郭や切り替え部分に銀白の細い縁取りが施された戦闘衣装だった。男子用は、やや高い襟を持つ上衣が腰より下まで伸び、深く割れた裾と細身の戦闘用パンツが動きを妨げない作りになっていた。女子用は、腰から分かれた裾が短いコートドレスのように広がり、その下には黒い脚衣を身につける形だった。男女とも、両手には指先まで覆う薄手の黒い手袋を着用していた。


 着替えを終えたキツキは、ほかの男子生徒たちとともに第1訓練場に向かった。


 広い石造りの訓練場には、一定の間隔を空けて複数の射出装置が並んでいた。その前方は、生徒が1人ずつ立てるよう、白い線で区画が分けられていた。


 反対側の入口からは、訓練着に着替えた女子生徒たちも集まり始めていた。


 その中でも、レニアはやはり目を引いた。銀髪と赤い瞳に、黒紺の戦闘服がよく映えていた。


 だが、見入っている場合ではない。


 昨夜覚えた三重障壁を、飛んでくる攻撃に合わせて使えるか。まずはそれを確かめなければならなかった。



 Sクラスの生徒たちが訓練場に揃うと、ガルドは射出装置の1つを軽く叩いた。


 腰ほどの高さがある黒い金属製の台座。その上部には、魔力弾を放つための円形の水晶が取り付けられていた。


「これから、この装置が訓練用の魔力弾を3発放つ。最初の1発は正面から。残る2発は、射出後に軌道を変えて左右から飛ぶ」


 ガルドは装置の前に引かれた白線を指した。


「この区画から出ずに対処しろ。障壁で受けても、逸らしても、迎撃しても構わん。見るのは防御の強さだけではない。発動の速さ、判断、周囲への影響も含めて評価する」


 つまり、ただ頑丈な壁を出せばいいわけではないらしい。


 キツキは少しだけ肩に力を入れた。


 三重障壁の発動には成功したが、飛んでくる攻撃に合わせて使ったことはなかった。昨夜と同じように落ち着いて組み上げられるかは、実際に試してみなければ分からなかった。


「訓練弾の出力はクラス1に固定してある。直撃しても大怪我はしないが、痛みまでは消えない。避けられると思って気を抜くな」


 ガルドが指示すると、生徒たちは白線から離れた位置に並んだ。キツキは周囲の流れに従っているうちに、列の後ろの方に入っていた。


「最初は、ブロム・アステリオン」


「はい」


 名前を呼ばれたブロムが、迷いのない足取りで区画内に入った。


 装置の水晶が淡く光る。


 次の瞬間、白い魔力弾が正面から放たれた。


 ブロムが右手を上げると、淡い金色の障壁が音もなく現れた。魔力弾は正面からぶつかり、障壁をわずかに揺らしただけで消滅した。


 続く2発は、射出後に左右へ大きく軌道を曲げ、時間をずらしてブロムに迫った。


 だが、ブロムの障壁は滑らかに形を変え、どちらも危なげなく受け止めた。


「出力、発動速度ともに問題なし。ただし、最初から広く張りすぎだ」


 ガルドの評価に、ブロムは素直にうなずいた。


「周囲を守る必要がないなら、範囲を絞った方が消耗を抑えられる。覚えておけ」


「分かりました」


 学力試験で満点を取った勇者候補でも、容赦なく改善点を言われるらしい。


 自分の番で何を言われるのか、少し不安になってきた。


「次、エリル・ポルテュン」


「はーい」


 エリルは軽い調子で区画に入った。


 正面から放たれた1発目に対し、障壁を正面に展開する様子はなかった。代わりに、魔力弾の横から風をぶつけ、軌道を斜めに逸らした。


 逸らされた弾は、床からせり上がった小さな土壁に衝突して消えた。


 2発目も同じように流し、最後の1発だけを薄い土壁で受け止めた。


 真正面から力比べをするより、必要な力だけで処理していた。


「判断は悪くない」


「それはどうも」


「だが、逸らす先を間違えれば、後ろの生徒に当たる。自分の正面だけを見るな」


「はい、先生」


 返事は素直だったが、表情にはまるで反省の色がなかった。


 ただ、口元に笑みを残したままでも、琥珀色の瞳はガルドから外れていなかった。聞き流しているわけではなさそうだ。


「キュル」


 名前を呼ばれたキュルが、音もなく前に出た。


 白線の中に立っても、構えらしい構えは取らない。細い両腕を下ろしたまま、装置を静かに見つめていた。


 1発目が放たれた。


 命中する直前、キュルの足元から黒い膜のような障壁が伸び、魔力弾の正面にだけ現れた。


 衝突した弾が消えると、障壁も同時に消えた。


 左右から飛んだ残り2発にも、まったく同じだった。必要な場所に、必要な瞬間だけ黒い障壁が現れ、魔力弾を止めた。


 身体は、ほとんど動いていなかった。


「無駄はない」


 ガルドは短く評価したあと、わずかに眉を寄せた。


「だが、引きつけすぎだ。着弾直前まで待つ必要はない」


「……止められる」


「今回はな。相手の出力を見誤れば、それで終わりだ」


 キュルはしばらくガルドを見つめてから、小さくうなずいた。


「……分かった」


 普段の反応の薄さが嘘のように、魔法には迷いがなかった。


 キツキが感心している間にも、実技は次々と進んでいった。


 どの生徒も、最低限の防御魔法は当たり前のように使っていた。形や対処方法には差があっても、何もできずに立ち尽くす者はいなかった。


 やはり、ここはSクラスなのだ。


 キツキは昨夜覚えた三重障壁の手順を、頭の中でもう一度なぞった。


 メガネなしでも発動できた。術式の構造にも誤りはなかった。


 落ち着いてやれば、自分だって通用するはずだ。


「次、レニア・フォルテア」


 その名前が呼ばれ、キツキは反射的に顔を上げた。


 列から進み出たレニアが、黒紺の裾を静かに翻しながら白線の内側に入っていくと、訓練場にいた生徒たちの視線が、自然と彼女に集まった。


 本人はそれを気にする様子もなく、白線の内側で射出装置と向き合った。右手を軽く持ち上げると、長い銀髪が背中で静かに揺れた。


「始めるぞ」


 ガルドの合図と同時に、装置の水晶が光った。


 正面から放たれた1発目に対し、レニアは足を動かさなかった。


 目の前に薄い氷壁が立ち上がり、魔力弾を正面から受け止める。弾が消滅すると同時に氷壁も細かな粒となって砕け、光を反射しながら宙に散った。


 間を置かず、2発目が射出された。弾は右側に大きく軌道を曲げ、レニアに迫った。


 レニアが手首を返すと、横から吹き込んだ風が魔力弾の軌道を押し曲げた。弾は白線の外に出ることなく、足元の石床に吸い込まれるように消えた。


 最後の1発は左側に回り込み、鋭くレニアに迫った。


 赤い瞳が射線を捉える。


 一瞬遅れて、細い雷光がレニアの指先から走った。空中で魔力弾を貫き、接触する前に跡形もなく消し飛ばした。


 氷、風、雷。


 3発すべてを、異なる属性で処理していた。


 周囲から小さなどよめきが起こる。


「すごいな……」


 キツキも、思わず声を漏らしていた。


 4属性を使えるとは聞いていたが、実際に見ると、その異常さがよく分かった。三重障壁を完成させるだけでも、昨夜の自分は何度も失敗した。


 それをレニアは、飛んでくる魔力弾に合わせて異なる属性へ次々と切り替えていた。


 魔法を操るその姿から、キツキは目を離せなかった。


「防御と判断は問題ない」


 ガルドの声が、周囲のざわめきを止めた。


「だが、風から雷へ切り替える際に一拍遅れた。今回は間に合ったが、相手がさらに速ければ直撃している」


「……分かっています」


 レニアは表情を変えずに答えたが、わずかに唇が引き結ばれた。


 複数の属性を使えるからといって、切り替えまで完全というわけではないらしい。その欠点を含めても、これまで見た生徒の中で明らかに高い水準にいるように見えた。


 レニアが白線の外に戻ろうとする。


 その姿を目で追いながら、キツキはふと思い出した。


 ――そういえば、メガネを使えば、今の魔法も詳しく見られたんじゃないか?


 入門書の術式から、自分が魔法を使うための情報を引き出せた。なら、誰かが実際に発動した魔法から、自分が使うための手順まで読み取れるかもしれない。


 今まで、一度も試していなかった。


 緊張して自分の順番ばかり気にしていたとはいえ、せっかくの機会を逃した気がする。


 次の生徒では試してみよう。


 そう考え、訓練着の内側にしまっていたメガネに手を伸ばしかけたときだった。


 これまでの生徒では、3発目が消えると同時に、水晶の光も完全に消えていた。次に灯ったのは、ガルドが新たな起動指示を出してからだった。


 だが、レニアの3発を撃ち終えた水晶の奥には、まだ淡い光が残っていた。


 キツキの手が止まる。


 その光は一度消えたかと思うと、ガルドが操作していないにもかかわらず、再び小さく灯った。


「……ん?」


 近くにいた生徒たちは、レニアの実技について話していた。ガルドも次の生徒を呼ぶため、手元の名簿に視線を落としていた。


 一昨日の検査装置も、最初はわずかな異常から始まった。その記憶のせいで、ただの光まで怪しく見えているだけかもしれない。


 入学してから、まだ3日目だ。


 さすがに、また何か起こるわけじゃないよな。


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