第11話 間に合った
次の瞬間、水晶の奥に灯った光が一気に膨れ上がった。
「先生、装置が――」
キツキが言い切るより早く、ガルドが顔を上げた。
「全員、装置から離れろ!」
鋭い声が訓練場に響く。ガルドは台座の側面に手を叩きつけた。刻まれていた術式が赤く瞬き、円形の水晶から光が消える。
止まった。
そう思った直後、金属製の台座の内側から別の光が漏れ出した。表面の術式とは異なる細い光の筋が幾重にも走り、水晶の中心に集まっていく。
ガルドの表情が変わった。
「伏せろ!」
透明な障壁が装置の正面に展開される。ほぼ同時に、水晶の周囲へ十数個の光球が浮かび上がった。
「嘘だろ……」
先ほどまでの訓練弾よりも、光が明らかに強い。
光球が一斉に射出された。正面へ飛んだ数発がガルドの障壁に激突し、重い衝撃音とともに透明な表面へ波紋を広げた。
だが、残る魔力弾は障壁の手前で急激に軌道を曲げ、左右へ散開した。その先には、まだ退避できていないSクラスの生徒たちがいた。
「装置は俺が止める! 各自、防御を最優先にしろ! 動ける者から後方へ下がれ!」
ガルドは正面の障壁を維持したまま、片手を台座に押し当てた。
突然の事態に反応できず、何人もの生徒がその場に立ち尽くしていた。慌てて障壁を張ろうとしても、魔力がまとまらず消えてしまう者もいた。
その中で、ブロムが真っ先に両腕を広げた。淡い金色の障壁が生徒たちの前に大きく展開される。先ほどの実技で広すぎると指摘された障壁が、今度は何人もの生徒をまとめて覆っていった。
キツキも手を前に伸ばした。
三重障壁。
昨夜、何度も繰り返して覚えた。1層目を作り、2層目を重ね、最後に3つをつなげればいい。
分かっている。
分かっているはずなのに、胸の奥にある魔力をどう動かせばいいのか、急に分からなくなった。
轟音。悲鳴。飛び交う光。
目の前の情報が多すぎて、昨夜は順番どおりに思い出せた手順が、頭の中でばらばらになっていく。
「出ろ……!」
手のひらに淡い光が集まりかけたが、形になる前に消えた。
次の瞬間、ブロムの障壁がキツキの前まで広がった。白い魔力弾が金色の表面に激突し、視界を埋めるほどの光を放つ。障壁は大きく揺れたが、砕けることなく攻撃を受け止めた。
キツキは反射的に顔を背け、肩をすくめた。
光が収まると、前に伸ばしていた手は、いつの間にか胸元まで引き戻されていた。その掌には、障壁の残光すら残っていない。
昨夜、静かな訓練場で術式を完成させただけで、実戦でも使えるつもりになっていた。だが、本当の危険を前にした途端、障壁の1枚すら形にできなかった。
キツキは空の手を強く握り締めた。
悔しかった。
その間にも、動けた者たちはそれぞれの判断で行動を始めていた。
正面から迫る複数の魔力弾を、レニアの氷壁がまとめて受け止めた。表面にひびが走ると、すぐに風を巻き起こして、氷壁を回り込んだ弾の軌道を上空へ逸らす。さらに別の弾に赤い瞳を向けると、指先から放った雷で空中から撃ち落とした。
レニアが自ら前に出たことで、動けずにいた生徒へ向かう弾が大きく減っていった。
「動ける人はこっち! 早く!」
エリルが片腕を振るうと、立ち尽くしていた生徒たちの身体が風に押され、射線の外へ運ばれた。その直後、空いた場所から土壁がせり上がり、追いかけるように曲がってきた魔力弾を受け止める。
別方向から、1発の光がエリルの背後へ迫った。
黒い膜が、先ほどの実技よりも早くその射線へ割り込んだ。魔力弾が消えたあと、少し離れた場所に立っていたキュルは、何事もなかったように次の弾へ銀灰色の瞳を向けていた。
ブロムも、レニアも、エリルも、キュルも動いていた。それなのに自分は何もできてない。
「くそ……」
キツキはもう一度、胸の奥に意識を向けた。
今度こそ障壁を出そうとしたとき、すぐ近くで誰かが床に倒れた。衝撃に驚いて足をもつれさせたらしい。クラスメイトの男子が、片足を押さえている。
頭上では、ブロムの障壁が次の弾を受け止めていた。
魔法を出すことだけにこだわっている場合ではない。
「立てるか?」
キツキは倒れた生徒の腕を取り、自分の肩に回した。
「あ、ああ……悪い」
「謝るのは後でいい。もう少し下がろう」
キツキは男子生徒の身体を支えながら、障壁のさらに後方へ移動した。
前方では、レニアの氷壁がまた1発を砕き、エリルの土壁が別の弾を受け止めていた。キュルの黒い障壁が瞬き、ブロムの金色の壁が大きく揺れる。
ガルドは片手で正面の障壁を維持したまま、もう片方の手を台座に押し当て続けていた。
「止まれ……!」
低い声とともに、台座を走っていた光の筋が1本ずつ消えていく。最後に残った魔力弾をレニアの雷が撃ち抜くと、訓練場を満たしていた轟音が途切れ、水晶の光も今度こそ完全に消えた。
キツキは支えていた生徒をゆっくりと床に座らせ、荒くなった息を吐いた。
結局、三重障壁は1度も出せなかった。
悔しさは残ったが、今はそれどころではない。
訓練場には荒い呼吸と小さなうめき声が重なり、砕けた氷が床に散らばっていた。立ち上った土煙の向こうでは、まだ障壁を維持したまま周囲を警戒している生徒もいた。
「全員、その場を動くな。障壁もまだ解くな」
ガルドの声が、緩みかけた空気を引き締めた。
「負傷している者は声を上げろ。近くにいる者は、無理に動かさず状態だけ確認しろ」
ガルド自身は装置から手を離さなかった。水晶から光が消えても油断せず、台座に刻まれた術式を目で追っている。ブロムもすぐには障壁を解かず、金色の表面越しに周囲を見回していた。
「足、どうだ? 立てそうか?」
「ああ。ひねっただけだと思う」
キツキが支えていた男子生徒は、痛みに顔をしかめながら答えた。
「なら、今はそのまま座ってた方がいいな」
「助かったよ。ありがとう」
「俺も守ってもらってただけだけどな」
そう返しながら、キツキは自分の右手を見た。指先が、わずかに震えている。
手順は覚えていた。魔力もあった。それなのに、実際に攻撃が飛んできた途端、何ひとつ形にできなかった。昨夜の成功だけで、少し浮かれていたのかもしれない。
近くでは、エリルが座り込んだ生徒たちに次々と声をかけていた。その半歩後ろをキュルがついて回り、周囲に異常がないか確かめるように視線を動かしている。
少し離れた場所では、レニアが身体を装置の方へ向けたまま、倒れた女子生徒にだけ顔を向けていた。
「どこか痛むところは?」
「だ、大丈夫です。少し驚いただけで……」
「無理に立たなくていいわ。教官の確認が終わるまで、そのままでいなさい」
周囲への警戒は解かず、簡潔にそう告げた。
第1波で誰より多くの弾を処理したはずなのに、呼吸がわずかに乱れている程度だった。
やはり、すごい。自分とは違う。
そう思った瞬間、胸の奥に先ほどの悔しさが戻ってきた。実技で結果を出してから話しかけるつもりだったが、今さらどんな顔で声をかければいいのか分からなかった。
「装置の停止を確認した」
ガルドが台座から手を離した。
「障壁を解いて構わん。ただし、負傷者は動かすな」
ブロムの金色の障壁がゆっくりと薄れ、消えていく。張り詰めていた生徒たちから、安堵の息が漏れた。
ガルドは入口に近い生徒を2人、手で示した。
「お前たちは治療術師と警備担当を呼んでこい。残りはその場で待機しろ」
「はい!」
指名された生徒たちが入口へ走り出す。
終わったらしい。
キツキも肩から力を抜きかけた。
そのとき、訓練場の端で小さな光が瞬いた。最初は、砕けた魔力弾の残滓かと思った。
光は床すれすれを滑り、誰もいない壁際へ向かっていた。その先に人はいない。このまま壁にぶつかって消えるなら、誰かに当たる心配もなかった。
キツキも一度は視線を外しかけた。
だが、光は壁に届く寸前で、わずかに速度を落とした。その軌道が、ほんの少しだけ傾く。
壁際を進む光と、その先に立つレニア。まだ線にはなっていないはずの2つが、キツキの視界の中で重なった。
嫌な予感が背筋を走る。
レニアまでは、およそ10メートル。まだ危険だと断定できるものは何もなかった。それでもキツキは、考えるより先に床を蹴っていた。
次の瞬間、小さな光が不自然なほど鋭く向きを変え、床際から跳ね上がるようにレニアへ加速した。
「レニア!」
キツキの声に、ガルドとブロムが振り返った。
「フォルテア、伏せろ!」
ガルドの鋭い声が飛ぶ。
レニアが振り返り、赤い瞳が背後から迫る光を捉えた。右手を上げた瞬間、その周囲の空気が熱で揺らぎ、長い銀髪の毛先が薔薇色に染まり始める。
キツキはその変化を確かに目にしたが、意味を考えている余裕はなかった。
レニアの掌の先には赤い火花が集まり始めていたものの、まだ魔力弾を遮る炎にはなっていない。ガルドの障壁も、ブロムの金色の光も、完成には届いていなかった。
だが、軌道が変わる前から走り出していたわずかな差だけが、キツキを先へ進ませていた。
先ほどは何もできなかった。
だが、今回は立ち尽くすわけにはいかない。
見るのは、レニアに迫る魔力弾だけ。やることも、あれを防ぐことだけだった。
キツキは彼女の前に滑り込み、右手を突き出した。胸の奥から腕へ、昨夜何度も繰り返した魔力の流れを一気にたどる。
「三重障壁!」
1枚目。
透明な障壁が、キツキの正面に広がった。
2枚目。
そのすぐ後ろに、同じ形の光が重なる。
3枚目。
最後の障壁が形成され、3層をつなぐ魔力経路が光った。
すべて出た。
昨夜と同じ形で、間違いなく完成していた。
――間に合った。
安堵が胸をよぎった直後、魔力弾が1枚目の障壁に激突した。
甲高い破砕音が響く。
「え……?」
1枚目が、ほとんど抵抗もできずに砕けた。
魔力弾の光はわずかに弱まったものの、勢いは止まらない。そのまま2枚目へ突き刺さり、透明な表面を一瞬でひび割れさせた。2枚目も砕け散る。
何が起きているのか、理解できなかった。
これはクラス3の魔法だ。
術式の構造にも間違いはなかった。メガネだって、3層すべてが正常に形成されていると示していた。
なのに。
最後の1枚が衝撃に押し込まれ、中央が大きくへこんだ。
「耐えろ……!」
キツキは無我夢中で魔力を流し込んだが、障壁の厚さも輝きも変わらない。中央から伸びた亀裂は瞬く間に全体へ広がり、最後の障壁も光の破片となって弾け飛んだ。
3枚の障壁に威力を削られても、魔力弾は止まらなかった。残った衝撃が、左肩から胸にかけて叩き込まれる。
強烈な衝撃に息が止まり、左肩と胸の奥で骨が折れる嫌な音が響く。さらに焼けるような痛みが左半身へ広がり、悲鳴を上げる間もなく身体が宙へ投げ出された。
激しく回転する視界の中で、遅れて展開されたガルドの障壁が爆風を押さえ込み、ブロムの金色の光が周囲に飛び散る破片を受け止めた。それでもキツキの身体は止まらず、そのまま石床に叩きつけられた。
「っ――」
声にならなかった。
胸の奥では、呼吸をするたびに何かが擦れた。左腕は感覚すらなく、動かそうとしても指1本応えない。口の中には、鉄のような味が広がっていく。
「キツキ!」
レニアの声が聞こえた。
初めて、彼女が自分の名前を呼んだ。
本当なら、嬉しかったはずだった。
だが、返事をしようと息を吸った瞬間、胸を内側から引き裂かれるような痛みが走った。喉から漏れたのは、声にもならないかすかな空気だけだった。
「動かすな!」
駆け寄ろうとしたレニアを、ガルドの鋭い声が制した。
「その場にいろ! 下手に触れば損傷が広がる!」
足音が近づく。ガルドが短く指示を飛ばし、ブロムが周囲の生徒を下がらせていた。レニアはその場から、何度もキツキの名前を呼んでいた。
すべて聞こえた。
石床の冷たさも、左肩から胸を焼き続ける痛みも、浅い呼吸のたびに肺の奥が軋む感覚も、何ひとつ薄れてくれない。
霞むことのない視界の端で、薔薇色に染まった銀髪だけが激しく揺れていた。
痛みも、三重障壁が砕けた事実も、もう何も考えたくなかった。
意識を手放したい。
そう願って、キツキは固く目を閉じた。
身体から力を抜き、思考まで放り出すように、ただ意識が沈んでいくのを待つ。この痛みから逃れられるなら、ほんの一瞬でよかった。
だが、瞼の裏が暗くなっただけだった。
意識は少しも遠のかない。
それどころか、レニアの乱れた呼吸も、ガルドが床を蹴る音も、口の端を伝う血の温かさも、先ほどより鮮明になっていく。
――嘘だろ。
これだけ身体が壊れているのに、意識が遠のく気配すらない。浅い呼吸も、痛みも、すべてが途切れず続いていた。
そのとき、最悪の考えが頭をよぎった。
まさか。
健康な身体って、そういうことなのかよ。
死なない限り、この痛みを全部味わい続けろっていうのかよ。
ここまで読んでくださってありがとうございます!
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