第8話 暫定、という便利な言葉
翌朝、キツキは所属クラスの発表が行われる学院中央棟に向かっていた。
昨夜はベッドに倒れ込んだまま、朝まで眠ったらしい。頭痛はすっかり消えていたが、身体の節々にはまだ昨日の疲労が残っていた。
中央棟の広間には、すでに大勢の新入生が集まっていた。正面の壁には何枚もの大きな紙が掲示され、その周囲を生徒たちが取り囲んでいた。学力試験の順位と、所属クラスが発表されているらしい。
「見えないな……」
キツキの身長では、人垣の後ろから掲示を見るのは難しかった。
隙間を探して左右に動いていると、前方から驚きの声が上がった。
「ブロム様、満点だって!」
「やっぱり首席は勇者候補か」
「レニア殿下も2位らしいぞ」
どうやら、上位者の結果はすでに広まっているらしい。
人が少し動いた隙に、キツキはどうにか前に入り込んだ。最初に目に入ったのは、学力試験の上位者一覧だった。首席の名前の横には、満点と付記されている。
《学力試験結果》
《第1位 ブロム・アステリオン 満点》
《第2位 レニア・フォルテア》
《第3位 エリル・ポルテュン》
上位には、見覚えのある名前が2つ並んでいた。
ブロムが1位なのは予想できた。試験中も余裕があり、最後には答案を見直す時間まで残していた。
レニアが2位なのには驚いたが、4属性を持つクラス3の天才なのだから、不思議ではないのかもしれない。それにしても、可愛いうえに頭までいいのか。余計に気になるじゃないか。
3位のエリル・ポルテュンという名前には、覚えがなかった。
キツキはそのまま、下に視線を滑らせていった。
4位。
5位。
6位。
自分の名前はなかった。
「まあ、歴史はほとんど空欄だったしな……」
メガネを使ったとはいえ、最後の数問も解き切れなかった。上位に入れなくても仕方がない。
そう思いながら、さらに下を見た。
《第9位 キツキ》
「……あった」
思わず声が漏れた。
キツキは、そこに記された自分の名前を指先でなぞった。
見間違いではない。名字も何もついていない「キツキ」という名前が、確かに9位に載っていた。
異世界に来た当日に受けた試験で、約700人の新入生のうち9位。
メガネの力を使った結果とはいえ、予想していたよりはるかに高かった。
「これ、結構すごいんじゃないか?」
口元が自然に緩んだ。
しかし、すぐ近くで掲示を見ていた生徒たちは、別の意味でキツキの名前を見ていた。
「こいつが、昨日の検査室に飛び込んだ生徒か?」
「クラス1だったって聞いたぞ」
「それで学力9位? どうなってるんだ?」
小声で交わされる会話が、はっきり耳に入った。
昨日から、自分の噂が広がりすぎている気がした。
キツキは聞こえないふりをして、隣に掲示された所属クラスの一覧に目を移した。
クラスはSからCまでの4段階に分けられていた。
最初にSクラスの欄を確認すると、何十人もの名前が並んでいた。その中には、先ほど順位表で見た3人の名前もある。
《ブロム・アステリオン》
《レニア・フォルテア》
《エリル・ポルテュン》
さらに下には、名字を持たない名前が1つあった。
《キュル》
キュルという名前にも、聞き覚えはなかった。
ほかの生徒たちの名前を追いながら、一覧の末尾近くまで視線を下ろしていく。
名前の列が終わった、そのさらに下に、自分の名前が付け加えられていた。
《キツキ――暫定配属》
「……暫定?」
名前があることへの喜びより、後ろについた4文字の方が気になった。
周囲の生徒の名前には、そんな言葉はついていなかった。
キツキだけが暫定だった。
「これ、Sクラスに入ったって喜んでいいのか?」
少なくとも、最初から追い出されたわけではない。
だが、正式に認められたわけでもなさそうだった。
どうにも落ち着かない言葉だった。
「キツキ」
背後から名前を呼ばれ、振り返った。
昨日の聞き取りを担当した男性教師が、人垣の外に立っていた。
「掲示を確認したようだな。少しいいか?」
教師はキツキの名前の横にある「暫定」の文字に、一度だけ目を向けた。
「君の試験結果と、その配属について説明する」
教師に連れられ、キツキは掲示板を囲む人垣から離れた。広間に続く脇廊下まで来ると、周囲の喧騒が少し遠のいた。
「まず、学力試験についてだ。君の順位は9位。総合点だけを見ても、Sクラス候補として検討できる成績だった」
「やっぱり、結構すごかったんですね」
キツキの口元が緩んだ。
「ただし、答案の内容にはかなり偏りがある」
「……ですよね」
「魔法史、法制度、安全規則には空欄が多い。基礎的な知識を問う問題にも、いくつか答えられていなかった」
予想どおりの指摘だった。キツキは笑みを引っ込め、視線を逸らした。
「その一方で、最初の総合応用問題には完全な正解を書いている」
「第1問ですか?」
「あの問題を完全に解答したのは、君とブロム・アステリオンの2人だけだ」
キツキは数秒、教師の言葉を理解できなかった。
「……2人だけ?」
「ああ」
「じゃあ、あれは全員が解く前提の問題じゃなかったんですか?」
「むしろ逆だ。新入生が容易に解ける問題ではない。複数属性の術式構造と、上級課程で扱う魔力計算を組み合わせている。解けないと見切り、後回しにできるかどうかも含めて時間配分を見るためのものだ」
キツキの脳裏に、試験中のブロムの姿が蘇った。
前方では、勇者候補が迷う様子もなく羽根ペンを動かしていた。それを見て、ここで諦めたら負けだと思ったのだ。
どうやら、最初から基準にしてはいけない相手を基準にしていたらしい。
「俺、入学初日から比較対象を間違えたのか……」
「何の話だ?」
「勇者候補を普通の新入生として数えた、俺の敗因です」
「学力試験では負けている。だが、9位で敗因を語るのは早いだろう」
「負けてるところは否定してくれないんですね」
「事実だからな」
この教師、言葉にクッションを敷くという発想がないらしい。
その遠慮のない返答に、キツキは改めて試験中の判断を振り返った。最初から第1問に全力を使わなければ、頭痛も軽く済み、最後まで解けたかもしれない。
今さら気づいても遅かった。
「レニア殿下も、あの問題だけは完全な解答に至っていない。途中まで検討した形跡はあったが、早い段階で次に進んでいる」
「レニア……殿下でも、解けなかったんですか?」
思わず聞き返した。
「そうだ。だからこそ、君の答案をどう評価するべきか、教師の間でも意見が割れた」
教師は手にしていた書類を開いた。
「最高難度の問題には正解しながら、基礎知識には大きな欠落がある。加えて、クラス1、属性判定不能、魔力量測定不能。これほど評価の定まらない新入生は珍しい」
「褒められてる気がしないな……」
「褒めてはいない。事実を説明している」
「そこ、少しくらい褒める成分を混ぜてもよくないですか?」
「説明に不要だ」
教師は淡々と言い切った。
思っていた以上に、褒める成分が一滴もなかった。
「それで、暫定っていうのは?」
「そのままの意味だ。君をSクラスに置くことは決まったが、正式な所属ではない」
「何が違うんですか?」
「期間は1か月。その間に、授業への適応、能力の伸び、判定不能だった適性を確認する。Sクラスに残るだけの力があると判断されれば正式配属となり、基準に達しなければ適切なクラスに移ってもらう」
「つまり、1か月以内に結果を出せってことですか?」
「簡単に言えば、そうなる」
クラス1のまま、学年最上位の生徒たちが集まる場所に放り込まれる。いきなり追い出されなかっただけありがたいが、安心できる状況でもなかった。
「俺が危ないから、目の届くところに置いておきたいっていうのもあります?」
教師は一瞬だけ黙った。
「それもある」
「否定してくれないんですね」
「君は入学初日に検査装置の異常を見抜き、防護結界に飛び込み、クラス1、属性判定不能、魔力量測定不能という噛み合わない結果を残した。警戒するなという方が無理だろう」
反論したかったが、並べられると自分でも怪しい。
「じゃあ、期待されてるのか、監視されてるのか、どっちなんですか?」
「両方だ」
「期待と監視って、同じ箱に入れていい言葉じゃないと思うんですけど」
「君の場合は入る」
どうやら、自分専用の箱が用意されているらしい。
キツキは小さく息を吐き、広間の掲示板にある自分の名前を思い浮かべた。
《キツキ――暫定配属》
学院側にとっては、期待も疑いも先送りにできる便利な言葉だったらしい。
「分かりました。1か月で、正式に認めさせればいいんですよね」
「言うのは簡単だが、Sクラスの授業はクラス1に合わせてはくれないぞ」
「それでも、やるしかないので」
キツキが答えると、教師はわずかに目を細めた。
「その意気込みが、いつまで続くか見せてもらおう」
説明を終えた教師は、明日からの授業について簡単に告げると、中央棟の奥に去っていった。
キツキはその背中を見送ったあと、再び広間へ戻った。
《キツキ――暫定配属》
見直しても、やはり「暫定」の2文字は消えてくれない。
「暫定、か。便利な言葉だよね」
すぐ後ろから、楽しそうな声が聞こえた。
誰だろうと振り返ると、紫色の長い髪を背中に流した少女が立っていた。柔らかく細められた琥珀色の瞳と、親しみやすい笑み。顔立ちは明確に可愛らしいが、堂々とした立ち姿と余裕のある表情には、どこか貴公子めいた雰囲気があった。
その半歩後ろには、もう1人、小柄な少女が立っている。
腰近くまで伸びた薄い水色の髪。長い前髪の隙間から覗く銀灰色の瞳が、瞬きもせずキツキを見つめていた。
こちらも驚くほど整った、儚げな少女だった。
2人とも、文句なしに可愛い。
昨日出会ったレニアといい、この世界は美少女を身近に配置しすぎではないだろうか。6つ目の願いは、思っていた以上に仕事が早いのかもしれない。
しかも、人数は1人だけとは言われていない。
この調子なら、最高にかわいいヒロイン候補は、まだほかにもいるのではないか。
異世界での生活に、再び期待が膨らんだ。
「学院は君を正式に認めなくて済む。君はSクラスの席を確保できる。どちらにも都合がいい言葉だと思わない?」
「俺には、あんまり都合よくないけどな」
「そう? 最初から下のクラスに入れられるよりはいいと思うけど」
少女は笑みを深めた。
ただの感想にしては、学院側の考えにまで妙に踏み込んでいる。
「エリル・ポルテュン。学力試験の順位表で、私の名前も見たんじゃない?」
「ん? ……ああ、3位の」
「覚えてくれていたんだ。嬉しいな」
声音は柔らかい。それでも、どこか反応を試されているように感じた。
「それで、こっちはキュル。私の遠縁で、護衛みたいなもの」
紹介された少女が、わずかに顎を上げる。
「……キュル」
「俺はキツキ。よろしく」
キツキが笑いかけても、キュルは答えず、その顔をじっと見つめ続けた。
返事を待つ間にも、だんだん笑顔の置き場が分からなくなってくる。
そろそろ頬が引きつりそうになった頃、ようやく小さな唇が動いた。
「……よろしく」
エリルの瞳が、ほんの一瞬だけキュルへ向いた。
珍しい反応だったのだろうか。
聞く間もなく、エリルは何事もなかったようにキツキへ向き直った。
「それにしても、入学初日からずいぶん目立ったね。王女殿下を助けるために結界に飛び込んで、学力試験では9位。それなのにクラス1で、Sクラスには暫定配属」
「もうそこまで知ってるのか?」
「掲示板に書いてあることと、広間で聞こえた噂をつなげただけだよ」
エリルはこめかみを指先で軽く叩いた。
「情報なんて、特別な場所に隠れているとは限らないからね。大抵は、誰も拾おうとしないところに落ちているものだよ」
言われてみれば、どれも簡単に知れることだ。特別な情報を握っているわけではない。
ただ、それを初対面の相手へ次々と並べながら、エリルはキツキの反応を楽しそうに観察している。
情報を集めたことよりも、その使い方の方が気になった。このまま話していると、いつの間にか彼女のペースへ乗せられてしまいそうだ。
改めて2人を見る。
笑顔のまま会話を主導するエリルと、相変わらず瞬きもせず見つめてくるキュル。
声をかけられた直後なら、可愛いクラスメイトが一気に2人も増えたと、素直に喜べていたかもしれない。
だが、片方は何かを企んでいそうで、もう片方は何を考えているのか分からない。
油断できないというより、揃って少し癖が強そうだった。
「それで、何の用なんだ?」
「用がなければ、クラスメイトに話しかけたらいけないの?」
「そんな楽しそうな顔で言われても、何か企んでるようにしか見えない」
「あら、会ったばかりなのに失礼だね」
口ではそう言いながら、エリルは不快そうにするどころか、むしろ答えを気に入ったように笑った。
「まあ、用があるのは正解だけど」
「やっぱりあるんじゃないか」
「君、学院のことをほとんど知らないでしょう?」
キツキは返事に詰まった。
「……どうして分かった?」
「掲示を見る目も、周りを見回す回数も、知らない場所へ来た人のそれだったから」
顔だけではなく、行動まで見られていたらしい。
出会って数分も経っていないのに、すでに自分の方が情報を取られている。
「Sクラスの授業、教師の評判、学院内の施設、貴族同士の関係。知らないまま入るには、少し危険な場所だと思うよ」
「教えてくれるのか?」
「もちろん」
エリルは人当たりのよい笑みを浮かべた。
「無料だとは言っていないけどね」
「その笑顔で請求書を出すなよ……」
「お金でも、仕事でも、情報でもいいよ。支払い方法は相談に乗ってあげる」
逃げ道を用意しているようで、どれを選んでも彼女の取引相手になる。
親切なのか、囲い込もうとしているのか。おそらく両方なのだろう。
まだ正式にSクラスへ残れるかどうかも分からないのに、早くも新しい借りを背負わされそうになっていた。
その隣では、キュルが相変わらず無言でキツキを見つめている。
「それじゃあ、同じクラスのよしみで、最初の取引を始めようか」
エリルの笑顔は親しみやすく、どう見ても悪人には見えなかった。
だからこそ、簡単にうなずいてはいけない気がした。




