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第7話 俺より主人公っぽい奴

 答案の回収が終わり、退室を許可されても、キツキはしばらく席を立てずにいた。


 メガネはすでに外していた。それでも、こめかみの奥には鈍い痛みが残り、周囲の声が普段より遠く聞こえた。


「思ったより、きつかったな……」


 額を押さえながら立ち上がった途端、足元が揺れた。キツキは慌てて机に片手をついた。


「顔色が悪いけど、大丈夫かい?」


 すぐ近くから、聞き覚えのある爽やかな声がした。


 顔を上げると、試験中に何度も視界に入ってきた金髪の少年が立っていた。


 明るい金髪に、光を溶かしたような金色の瞳。キツキより明らかに背が高く、近くで見ても非の打ち所がないほど整った顔をしている。


 勇者候補と呼ばれていた少年だ。


「ああ、大丈夫。ちょっと頭を使いすぎただけだから」


「試験で?」


「お? 今、俺が試験で頭を使ったのが意外って顔したな?」


「いや、そこまで顔色が悪くなるほど頑張ったのかと思って」


 少年は困ったように笑った。本当に悪意はなかったらしい。


 キツキは机に置いていたメガネを上着の内側にしまい、改めて少年を見上げた。


「俺はキツキ。君は……ブロム、だったか?」


「知っていたんだね」


「試験が始まる前から、周りが勇者候補って騒いでたからな」


「それなら、改めて。ブロム・アステリオンだ」


 ブロムは自然な仕草で右手を差し出した。


「これから同じ学院で学ぶことになるし、よろしく」


「ああ。よろしく」


 キツキも手を伸ばし、握り返した。


 名門貴族で、勇者候補で、クラス3。それだけ揃っていれば、多少は偉そうにしていても不思議ではない。それなのに、ブロムの態度には相手を見下すようなところが少しもなかった。


「それにしても、俺の名前まで知ってたんだな」


「レニア殿下の検査で、結界の中に飛び込んだ生徒だろう?」


 ブロムの言葉に、キツキは思わず周囲を見回した。


「もうそこまで広まってるのか……」


「僕がいた検査室にも、終わる頃には話が回ってきたからね。あれだけの騒ぎなら、広まるのも早いよ」


「早すぎるだろ……」


「詳しいことは聞いていないけど、君もレニア殿下も無事でよかったと思ってる」


 ブロムはそう言って、まっすぐキツキを見た。


 慰めや社交辞令ではない。本心からそう思っているのだと、疑う余地のない目だった。


 おそらく、この少年があの場にいたなら、キツキと同じように結界に向かっていたのではないか。


 そんな気がした。


「……本当に、勇者みたいな奴だな」


「何か言ったかい?」


「いや、何でもない」


 ここまで揃っている相手を見れば、少しくらい面白くなくても仕方がない。


 それでも、嫌いになる理由は見つかりそうになかった。


 ブロムと並んで講義室を出ようとしたところで、出口付近の人の流れがわずかに割れた。


 前方から、レニアが歩いてくる。


 右手にはまだ白い布が巻かれていたが、足取りに不安定さはない。周囲の生徒たちは道を譲りながらも、距離を保ったまま彼女の姿を目で追っていた。


 キツキも、つられるように足を止めた。


 レニアの赤い瞳が、こちらを向いた。


 一瞬だけ目が合った。


 だが、キツキが声をかけるより先に、ブロムが姿勢を正した。


「レニア殿下。お身体はもうよろしいのですか?」


「ええ。問題ないわ」


 レニアは短く答えた。


 ブロムの言葉遣いには、王女への敬意こそあっても、必要以上にへりくだる様子はない。レニアもまた、彼を見上げながら淡々と言葉を返していた。


「別の検査室にいたため、騒ぎを知ったのは後からでした。大事に至らなくて、本当によかったです」


「そう」


 レニアの視線が、ブロムからわずかに横へ動いた。


 その先にいたのは、キツキだった。


 今度こそ何か言われるかと思ったが、赤い瞳はすぐに伏せられた。


「失礼するわ」


 それだけ告げ、レニアは2人の脇を通り過ぎていった。銀髪が揺れ、青薔薇を彷彿させるブルーの香りだけが残った。


 キツキはその後ろ姿を目で追った。


 やはり、避けられている気がする。


 試験前だから集中していたという言い訳も、今度は使えなかった。


「ブロム様とレニア殿下、並んでいると本当に絵になるわね」


 近くを歩いていた女子生徒の声が聞こえた。


「どちらもクラス3でしょう? 家柄まで考えれば、お似合いよね」


「アステリオン家なら、王家とも釣り合うもの」


 声を潜めているつもりなのだろうが、十分に聞こえていた。


 改めてブロムを見る。


 名門貴族の出身で、勇者候補。背が高く、容姿も整っていて、人柄まで申し分ない。


 一方のレニアは王女で、4属性を持つ天才だ。


 たしかに、並んでいるだけで妙に絵になっていた。身分も、才能も、容姿も釣り合っている。


 そう認めた途端、無意識に唇が結ばれた。


「どうかしたかい?」


「いや、別に」


 キツキは反射的に答えた。


 異世界に来て初めて会ったばかりの少女だ。助けたとはいえ、まともに会話すらできていない。それなのに、レニアとブロムがお似合いだと言われただけで、なぜか少し面白くなかった。いや、かなり不愉快だ。


 キツキは廊下の先に消えていった銀髪をもう一度見た。


「……本当に、何なんだろうな」


「何が?」


「何でもないって」


 首を傾げるブロムから顔を背け、キツキは歩き出した。



 学力試験を終えた新入生たちは、学院職員の案内で男女それぞれの寮に向かった。


 正式な所属クラスが決まるのは翌日だが、寮の部屋はすでに仮割り当てされていた。特別な事情がない限り、そのまま正式な部屋になるらしい。


 キツキに割り当てられたのは、男子寮の3階にある1人部屋だった。

 

 室内にはベッドと机、衣装棚が置かれ、壁際には小さな洗面台と鏡まで備え付けられていた。


「今日はもう、何もしたくないな……」


 基礎適性検査では騒動に巻き込まれ、事情を聞かれ、ようやく受けた学力試験ではメガネを使いすぎた。


 こめかみの痛みはかなり治まっていたが、身体には重い疲労が残っていた。


 キツキは冷たい水で顔を洗い、濡れた前髪をかき上げた。何気なく顔を上げると、洗面台の正面に大きな鏡が掛けられていた。


「……誰だ、この美少年は」


 鏡の中には、黒い髪と澄んだ青い瞳を持つ少年が映っていた。


 男性としては少し長めの髪が、濡れて額や頬に張りついていた。輪郭はすっきりと整い、目元には少年らしい柔らかさが残っている。


 ブロムのような、立っているだけで英雄に見える華やかな格好よさとは違う。


 どちらかといえば可愛らしく、親しみやすい顔立ちだった。それでも、どの部分を見ても不自然なほど綺麗に整っていた。


 キツキが目を丸くすると、鏡の少年も同じようにきょとんとした顔をした。そこでようやく、それが自分だと理解した。


「そういえば、容姿端麗も頼んでたな……」


 転生してから鏡を見る余裕など、今まで一度もなかった。


 キツキは確かめるように頬に触れた。鏡の中の少年も、同じ場所に手を当てる。


 試しに眉を寄せると、普段の柔らかい印象が消え、青い瞳だけが思いのほか鋭くなった。


「おお……ちょっと怖いな」


 力を抜くと、すぐに元の顔へ戻った。


 健康な身体。


 すべての言語を理解できる力。


 壊れないメガネ。


 そして、鏡の中のこの顔。


 少なくとも、願った力のいくつかは確かに与えられていた。


 キツキは少しだけ安心し、鏡に向かって笑ってみた。


 整った顔がくしゃりと崩れ、急に年相応の少年らしい表情になった。


「……悪くないかもな」


 顔がよければ、レニアからの印象も多少は良くなるかもしれない。


 そう考えた直後、廊下で聞いた「お似合い」という言葉が頭に蘇った。


 対して自分は、名字すらなく、クラス1で、学院からどう評価されているのかも分からない。


「顔だけじゃ、どうにもならないか……」


 鏡の中の少年が、分かりやすく眉を下げた。


 ただし、容姿が整ったからといって、人生の難易度まで下がるわけではないらしい。


 キツキは濡れた顔を拭くと、深く考えるのをやめてベッドに倒れ込んだ。


 翌朝には、学力試験の結果と所属クラスが発表される。


 不安はあった。だが、自分の名前に余計な一言が添えられる可能性までは考えず、キツキはすぐに眠りに落ちた。


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