第6話 正解は分かる。意味は分からない
謎ばかりが残る基礎適性検査を終え、キツキは今度こそ、新入生の学力試験会場に来ていた。
会場に使われていたのは、階段状に机が並ぶ大きな講義室だった。すでに100人近い新入生が席についており、キツキが扉を開けた途端、いくつもの視線が集まった。
検査室で結界に飛び込んだ姿を見ていた生徒もいるのだろう。何人かが隣の者と顔を寄せ、小声で何かを話していた。
少しくらい尊敬されているのかもしれない。
そんな期待を抱きながら空いている席を探していると、前方で午後の光を受けた銀髪が目に入った。
レニアだ。
右手にはまだ白い布が巻かれていた。レニアは机に視線を落としていたが、キツキの視線に気づいたのか、ふと顔を上げた。
赤い瞳と目が合った。
だが、声をかける間もなく、レニアは正面に視線を戻した。
――やっぱり、避けられてないか?
一瞬そう思ったものの、これから試験が始まるのだ。集中したいだけだろう。きっとそうだ。そういうことにしておいた方が、今は精神的にも良かった。
キツキが案内された席に向かおうとすると、通路の先で、配布用の答案用紙を運んでいた職員が紙束の一部を落とした。白い用紙が床に散らばる。
近くにいた金髪の少年がすぐに席を立ち、答案用紙を拾い集めて職員へ差し出した。
「手伝います」
「助かった。ありがとう」
「いえ、このくらいなら」
少年は柔らかく笑い、席に戻ろうとした。その途中、隣の机に座る男子生徒が、緊張した様子で両手を握りしめていることに気づいた。
「大丈夫。今まで勉強してきたことを出せばいい」
「で、でも、僕……」
「分からない問題があっても、そこで全部が決まるわけじゃないよ。落ち着いていこう」
少年が肩を軽く叩くと、男子生徒は何度か深呼吸し、小さくうなずいた。金髪の少年は、それ以上何かを言うでもなく、自分の席へ戻っていった。
周囲から、密かな声が聞こえた。
「やっぱり勇者候補は余裕が違うな」
「適性検査もクラス3だったんだろ?」
「しかも、あの見た目だぞ。ずるいだろ……」
明るい金髪。光を映した金色の瞳。キツキより明らかに背が高く、同じ制服を着ているはずなのに、立っているだけで妙に様になっていた。整った顔立ちには嫌味がなく、笑えば周囲まで安心させるような爽やかさがある。
――どう見ても、俺より主人公っぽい。
6つもチートを持って転生してきた自分より、あちらの方が正統派の主人公に見えた。少し納得がいかない。
「キツキ。席はそこだ」
試験監督の声に呼ばれ、キツキは我に返った。
指定されたのは、講義室の中央よりやや後方の席だった。腰を下ろすと、監督者がキツキの顔を見て、黒縁のメガネへ視線を移した。
「その眼鏡は、先ほど検査を受けたものだな」
「はい。普通の眼鏡です」
丈夫すぎるだけの。
心の中で付け加える。
監督者は手元の記録を確認すると、特に疑うことなく次の席へ進んだ。どうやら、メガネは試験会場でも問題なく使えるらしい。
しばらくして、問題冊子と答案用紙が配られた。講義室の前に立つ監督者が、全員を見渡した。
「試験時間は120分。魔法史、基礎術式理論、魔力計算、法制度、安全規則について出題する。不正行為が確認された場合、その時点で失格とする」
キツキの胸がわずかに痛んだ。メガネを使うことが不正なのかどうかは、考えないことにした。転生特典なのだから、自分の能力の一部と言えなくもない。
「始め」
合図とともに、室内のあちこちで一斉に紙をめくる音が響いた。
キツキも問題冊子を開いた。
文字は読めた。言葉の意味も理解できた。だが、第1問を読み終えたところで、手が止まった。
そこには、複数の属性を組み合わせた巨大な術式図が載せられていた。問われているのは、術式内部にある3つの欠陥を特定し、最小限の変更で安定させる方法。それに加えて、修正後に発生する魔力消費量まで算出せよ、とある。
「……何これ」
小さく声が漏れた。
文章は読めるのに、何をどう考えればいいのか、まるで分からない。記号の1つ1つが何を示しているのかさえ知らなかった。
キツキは周囲の様子を確かめようと顔を上げた。その視線が、前方に座る金髪の勇者候補で止まった。
彼は迷う様子もなく、問題冊子に視線を走らせながら羽根ペンを滑らせていた。何を書いているのかまでは見えないが、手が止まる気配はなかった。
「嘘だろ……」
勇者候補とはいえ、同じ新入生が当たり前のように解答している。なら、少なくとも学院の上位を目指すなら、ここで飛ばしていい問題ではないのかもしれない。
6つもチートを持っている自分が、最初の1問から諦めるわけにはいかなかった。
キツキはメガネの奥から、もう一度術式図を見つめた。
――この問題の答えを知りたい。
そう意識した瞬間、術式図の上に無数の文字と線が浮かび上がった。
魔力の流れと3つの欠陥、変更すべき箇所、修正後の消費量が一度に表示される。
《第1欠陥:火属性経路と風属性経路の位相不一致》
《第2欠陥:出力分配部における循環構造》
《第3欠陥――》
「っ……!」
一気に流れ込んできた情報に、こめかみの奥が熱を持った。
しかも、表示されたのは答えだけではない。欠陥が生まれる理由や修正によって安定する仕組み、計算に必要な法則まで、次々に頭へ送り込まれてきた。
キツキは額を押さえ、必要な情報だけに意識を絞った。
――説明はいい。答案に書く内容だけ教えてくれ。
表示が整理され、記述すべき文章と計算式だけが残った。
「最初から、そうしてくれよ……」
小さく呟き、羽根ペンを握った。
表示された内容を答案用紙に写していく。書かれている理論の意味は、ほとんど理解できない。それでも、何をどこに書けばいいのかだけは分かった。
複雑な計算式を最後まで書き終えると、視界の表示が消えた。
キツキは答案を見下ろした。
自分で書いたはずなのに、何が書いてあるのかまるで分からない。だが、正解であることだけは確信できた。
第1問を解くことには成功した。その代わり、試験はまだ始まったばかりだというのに、こめかみには早くも鈍い痛みが残っていた。
キツキは重い息を吐き、次のページをめくった。
第2問にも術式図が載っていたが、第1問ほど複雑には見えない。もっとも、記号の意味を何1つ知らないキツキにとっては、難しいことに変わりはなかった。
――この問題の答えは?
意識を向けると、術式図の上に短い表示が浮かんだ。
《解答:第2経路の接続順を変更》
その理由と、答案に必要な説明が続く。
第1問と比べれば、流れ込んでくる情報はずっと少なく、こめかみの痛みも強くならなかった。どうやら、すべての問題が最初と同じ難しさというわけではないらしい。
「第1問だけ、おかしくないか……?」
小さく呟きながら、表示された答えを答案用紙に書き写した。
続く魔力計算も、提示された数値と術式から答えを導く問題だった。キツキ自身には計算方法が分からなかったが、メガネへ意識を向ければ、必要な式と答えが表示された。
問題文を読む。メガネで解析する。表示された内容を書き写す。
その繰り返しで、答案の空欄は順調に埋まっていった。自分の頭で解いているわけではない。それでも、羽根ペンが止まらず動き続けているだけで、少し賢くなったような気がした。
これなら、かなり高い点数が取れるかもしれない。
そんな期待を抱きながらページをめくり、キツキの手が止まった。
次に並んでいたのは、魔法史に関する問題だった。
フォルテア王国の成立過程。過去に起きた大規模な魔法災害の名称。中立都市ミザルが現在の立場を確立するきっかけとなった条約。
文字は読める。何を聞かれているのかも理解できる。ただし、答えとなる知識が1つもなかった。
キツキは、とりあえず最初の問題へ意識を向けた。
――この答えを知りたい。
視界に表示が浮かぶ。
《特定不能》
《回答に必要な過去情報を、現在の観測対象から取得できません》
「……そうなるのか」
犯人を調べようとしたときと同じだった。
メガネが解析できるのは、今、観測できるものだけだ。問題用紙をどれほど見つめても、そこに書かれていない過去の出来事までは分からない。
念のため、もう一度意識を向けたが、表示は変わらなかった。
「なんでも分かるんじゃなかったのかよ……」
小声で文句を言っても、メガネは答えてくれない。
キツキは迷った末、魔法史の解答欄を空白のまま残し、次の問題へ進んだ。
法制度や学院の安全規則にも、事前知識がなければ答えられない暗記問題が混じっていた。一方、提示された資料から結論を導く問題や、術式と数値を分析する問題なら、メガネで正解を得られた。
だが、問題を判別するたびに解析を使い続けたことで、頭痛は少しずつ強くなっていった。こめかみの奥で、鈍い痛みが脈打っていた。
キツキは額を押さえ、問題冊子から一度目を離した。
試験会場を見渡すと、前方の金髪の勇者候補は、すでに最後の方まで進んでいるらしい。羽根ペンを止め、ときおり答案を見直していた。その姿には、焦りも苦しそうな様子もない。
「余裕ありすぎだろ……」
自分はメガネに頼っているのに、すでに頭が痛い。しかも、歴史問題にはほとんど答えられていなかった。
このまま休んでいるわけにもいかない。
キツキが再び問題冊子に視線を戻すと、残り時間を知らせる鐘が鳴った。
「試験終了まで、あと30分」
監督者の声が響いた。
まだ数ページ残っている。
キツキは問題文を読み、答えを求めてメガネへ意識を向けた。表示された式を書き写し、次の問題へ進んで、再び解析する。それを繰り返すうちに、文字の輪郭がわずかに揺れ始めた。
「っ……」
頭の奥に、針を差し込まれたような痛みが走った。
キツキは一度メガネを外した。視界を埋めていた表示は消えたが、当然ながら、問題の答えも分からなくなった。
残された時間は少ない。
目を閉じて数回深呼吸し、再びメガネをかけた。
今度は、すべての問題を解こうとはしなかった。
問題文と提示資料だけでは答えを導けない暗記問題は飛ばす。計算や術式図など、メガネで解析できそうなものだけを選び、解答欄を埋めていった。
それでも、第1問で受けた負荷は消えていない。解析を重ねるたびに痛みは増し、やがて視界の端が白く霞み始めた。
最後のページにたどり着いたとき、終了を告げる鐘が鳴った。
「そこまで。全員、筆記具を置け」
キツキは、書きかけていた羽根ペンを止めた。
答案用紙には、最初の難問を含め、多くの解答が書き込まれている。しかし、魔法史を中心にいくつもの空欄が残り、最後の数問も解き切れなかった。
それでも、異世界に来たばかりの人間が書いた答案としては、かなり埋められた方だろう。
監督者が順番に答案を回収していった。
キツキの前まで来た監督者は、答案を受け取ると、第1問の解答欄へ一瞬だけ視線を止めた。
わずかに眉が動く。
だが、何も言わず、そのまま次の席へ進んでいった。
キツキは痛むこめかみを押さえ、遠ざかる答案を見送った。
正解は分かる。
けれど、その意味を最も理解していないのは、答案を書いたキツキ本人だった。




