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第80話 この学院は休ませる気がない

 ブロムが基礎鍛錬区画へ向かうより、少し前のこと、中央棟上階の小演習室から、レニアとキツキが出てきた。


 レニアの腕には、白い獣が抱かれている。扉の前で足を止めた2人は、何かを短く話していたが、少し離れた廊下の曲がり角までは、その内容は届かない。


 やがてキツキが両腕を差し出すと、レニアは抱えていたホンペクを、その腕に預けた。


 受け渡しのために、2人の距離が自然と近づく。

 その後も、レニアはすぐには離れず、何かを確かめるようにキツキを見ていた。


 そんな光景を前に、セドリックは気づけば奥歯を強く噛みしめていた。

 学院内でレニアの動向をことさら気にかけていた彼は、彼女がキツキと小演習室へ入ったという話を聞きつけ、確かめに来たのだ。


 だが、着いた時には、2人はすでに部屋を出るところだった。

 やがて短く言葉を交わすと、それぞれ別の方向へ歩き出した。どちらも、こちらに気づいた様子はない。


 セドリックはその場を動かず、廊下の奥へ消えていくキツキの背から視線を外さぬまま、ここ数日で集めた情報を頭の中でなぞった。


 セドリックが声をかけたのは、フォルテア王国出身者の中でも、自分より家格の低い生徒たちだった。学院では身分を振りかざす行為は好まれない。それでも、彼らが自分の問いを断りにくいことを、セドリックはよく分かっていた。制服を着ただけで、生まれ育った国の上下まで消えるわけではない。


 そうして集めた話では、キツキは入学時学力試験で総合9位だったという。順位だけなら、特別に目を引くものではない。


 異様だったのは、最難関とされた第1問を正解したのが、満点を取ったブロムとキツキの2人だけだったことだ。


 ブロムは、出題者が想定していた正攻法で答えを導いた。一方、キツキが書いたのは、誰も想定していなかった別の解法だったらしい。

 それほど異質な結果を残しておきながら、出身も家柄も分からない。さらに、魔力検査では測定不能だったという噂まである。


 あまりにも、出来すぎている。

 素性の知れない男が、最難関の1問を誰も思いつかなかった方法で正解したなど、セドリックには到底信じられない。


 ならば、答えを知る何者かが裏から手を貸したに違いない。キツキはその助力を自分の才覚であるかのように装い、レニアに近づいたのだ。


 不正さえ暴けば、学院で得た評価も、レニアから向けられる信頼も崩れる。


 そうなれば、レニアもようやく目を覚ますはずだ。誰を疑い、誰を信じるべきなのか、今度こそ正しく理解するだろう。


 誰がキツキを支えているのか。どのような手段で学院を欺いたのか。

 必ず、その証拠を暴いてやる。



 数日後の朝。


「第一回定期学科考査を、10日後に実施する」


 Sクラスの教室に入ってきたガルドは、前置きもなくそう告げた。


「結果は今後のクラス査定にも影響する。出題範囲は、今から配る資料で確認しろ」


 教室に、小さなどよめきが広がった。


 どうやら、ダンジョン実習の一件を受けて一部の実技日程が見直され、それに合わせて学科考査の日程が前倒しされたらしい。しかも、一年生だけではなく、全学年が対象だという。


 キツキは、配られた資料を受け取りながら眉を寄せた。

 この学院は、生徒を休ませる気がないのだろうか。


 ダンジョン実習が終わってから、それほど日も経っていない。魔法の研究も、金策も、ホンペクのことも、何1つ片づいた気がしない。


 そのうえ、10日後には考査である。


 正式にSクラスに入ったのは、もうしばらく前のことだ。だが、ギレルでは一度所属したクラスに、そのままずっといられるとは限らないらしい。


 それはSクラスに限った話ではない。どのクラスも所属は固定されておらず、学科、実技、課題などを含めた評価次第で、上のクラスへ進むこともあれば、下のクラスへ落ちることもある。


 今回の考査だけで、すぐに降格が決まるわけではないが、手は抜けなかった。


 術式図や魔力計算なら、メガネでどうにかできる。

 だが、魔法史や過去の事件、条約の内容までは、問題用紙を見ただけでは分からない。入学時の試験で、その限界は嫌というほど思い知らされていた。


 分からないものを嘆いていても、点は増えない。まずは、メガネの力が及ばない範囲から覚えるしかない。


 その一方で、少し離れた席では、キュルが机に頬をつけていた。考査の重要性を理解していないのか、すでに眠そうだった。


 その隣に座るエリルは、配布資料から視線を上げ、キュルをしばらく見た。


 ブロムは表情を変えずに出題範囲に目を通している。レニアも焦った様子はなく、資料を読みながら今後の予定を組み直しているようだった。


 周囲が落ち着いている分だけ、キツキの中で不満が増していく。

 授業を受け、鍛錬をし、金策を考え、ホンペクの面倒を見て、そのうえ考査の勉強までしなければならない。


 いったい、いつ青春を送ればいいのだろう。


 もっとも、青春が具体的に何をするものなのかは、キツキにもよく分かっていなかった。



 エリルは、いつも教えてくれる。どうすればいいのかを。

 分からないことばかりだった頃から、ずっと。


 考査の発表があった日の夜も、エリルはキュルのために勉強を教えようとしてくれていた。


 それは分かっている。

 けれど、勉強より先に花蜜飴を食べてはいけないのだろうか。


 エリルの部屋の机には、教本と何束もの紙が並んでいた。考査が告げられたのは今朝のことだったが、覚えるべき項目も、繰り返し解くための問題も、すでに分けてまとめられていた。


 もっとも、キュルは不思議には思わない。エリルならそれくらいできる。

 それよりも気になるのは、机の端に置かれた花蜜飴の小瓶だった。


「まず、この範囲から覚えて。計算は答えだけじゃなくて、途中の手順も――」


 エリルが話している間に、キュルはそろりと手を伸ばした。


 まだ遠い。


 少しだけ椅子を寄せる。


「記述は長く書かなくていいよ。必要な言葉を入れれば点になるから――」


 あと少し。もう届く。


 そう思った瞬間、

 とん、とエリルの手が小瓶を押さえた。


「キュル。聞いてる?」


「……聞いてる」


「じゃあ、私が何を話してたか教えて」


 キュルは小瓶を押さえるエリルの手を見つめた。


「花蜜飴は、勉強に必要」


 ぴん、と額を弾かれた。


「いたい」


 小瓶がするりと遠ざかり、そのままエリルの手元へ行ってしまった。


「ここまで終わったら、1つあげる」


 代わりに目の前へ差し出されたのは、最初の問題だった。

 キュルの喉から、声にならない悲鳴が漏れた。


 そんな2人が机に向かっていた頃、学院最古の塔――原初の塔では、1人の客が最上階の学院長室を訪れていた。


 その人物が10日後の考査に何を持ち込もうとしているのかを、生徒たちはまだ知らない。

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