第78話 扱いの差に納得がいかない
レニアはホンペクから手を離し、立ち上がった。
「それより、その子を見せるために戻ってきたのでしょう?」
「ああ。そうだった」
本来の目的を思い出し、キツキは腕の中のホンペクに目を落とした。
学院に事情を伝えると、話はすぐに通った。ムルガドからホンペクについての報告が届いていたらしく、ほどなくキツキとレニアは検査室へ案内された。
もっとも、その検査は順調とは言い難かった。
検査台へ乗せようとするたび、ホンペクはキツキから離れまいと体を寄せてきた。どうにか台へ乗せた後も落ち着かず、隙があればすぐに降りようとした。
霊的な反応を調べる器具を近づけられれば身をよじり、体を押さえられれば不満そうに鳴く。
動画で見たことのある、病院へ連れてこられた犬そのものだった。
レニアはというと、キツキのすぐそばで、何度もホンペクへ手を伸ばしかけては引っ込めていた。
いくつかの検査と、精霊に関する記録との照合が終わる頃には、キツキの方が疲れ果てていた。
「精霊に近い反応は確認できました。おそらく、何らかの精霊獣でしょう。ただ、測るたびに反応がわずかに変わっています。正確な種類までは特定できません」
結果をまとめていた男性職員が、手元の資料から顔を上げた。
「危険性は?」
そう尋ねながら検査室に入ってきたのは、ガルドだった。
「今のところ、明確な敵意や攻撃性は確認されていません。検査中も抵抗はしましたが、逃げようとしただけです」
男性職員が答えた。
逃げようとしたというより、病院を嫌がる犬のように暴れていただけなのだが、訂正する必要もないだろう。
検査を終えて台から下ろされたホンペクは、素早くレニアの脚の後ろへ回り込んだ。そこから顔だけを出し、男性職員を不満そうに見ている。
足元に視線を落としたレニアの表情はいつもと変わらないように見えたが、口元だけがわずかに緩んでいた。
ガルドはレニアの脚の後ろに隠れたホンペクを一瞥し、キツキに尋ねた。
「こいつは、お前の指示には従うのか?」
「ある程度は。全部聞いてくれるわけじゃないですけど」
その間も、ホンペクは男性職員を睨んだままだった。
「無理に引き離す方が面倒そうだな」
ガルドは続けて、キツキへ言い渡した。
「当面はお前が面倒を見ろ」
結局、そうなるらしい。
「……分かりました」
キツキが不満を隠し切れない声で答えても、ガルドは特に反応しなかった。そのまま男性職員へ向き直り、検査結果についていくつか尋ね始めた。
これ以上ここに残る必要もなさそうだったので、キツキたちは検査室を出た。
廊下を歩きながら、キツキはレニアの足元にいるホンペクへ視線を落とす。
学院の検査では、何らかの精霊獣だろうというところまでしか分からなかった。正確な種類も能力も不明なままだ。
念のため、メガネで確認しておいた方がいいだろう。
そう考えていると、隣を歩くレニアが口を開いた。
「それで、これからどうするの?」
「もう少し、こいつについて確認したいことがあるんだ」
「そう。なら、私も行くわ」
「レニアも?」
メガネを使うつもりだったため、思わず聞き返す。
レニアは足を止めると、わずかに目元を険しくした。
「そうよ。私が一緒では困るの?」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
ホンペクのことが気になるのは、レニアも同じなのだろう。それに、先ほどから当のホンペクはレニアの足元を離れようとしなかった。
拒む理由を見つけられず、キツキは小さく息を吐いた。
「……分かった。じゃあ一緒に行くか」
「最初からそう言えばいいのよ」
キツキは何か言い返そうとしたが、結局やめた。
「なるべく人のいない場所がいいんだけど、どこかないか?」
レニアは理由を尋ねず、少しだけ考えた。
「この時間なら、小演習室が空いていると思うわ」
行き先が決まると、キツキたちはほどなく中央棟上階の小演習室へ入った。
キツキが扉を閉めると、以前この部屋でレニアと2人きりになった時のことを思い出した。
あの時と同じように、今も少し落ち着かない。
ただ、今回はホンペクがいる。完全な2人きりではない。
邪魔なやつが1匹増えたとも言えるが、そもそも、こいつがいなければ再びここへ来ることもなかった。少しくらい感謝してもいいのかもしれない。
当のホンペクは、そんなことなど知るはずもなく、すぐに部屋の中を歩き始めた。壁際の道具に鼻を近づけ、今度は床の匂いを嗅ぎながら、気ままにうろついている。
「おい、じっとしてろ」
当然のように無視された。
「こちらにいらっしゃい」
レニアがしゃがんで手を差し出す。
するとホンペクは素直に向きを変え、レニアのもとへ歩いていった。
扱いの差に納得がいかない。
レニアが頭から背中へ手を滑らせると、ホンペクはその場に腰を下ろした。撫でられている間なら、少しは大人しくしているつもりらしい。
キツキは服の内側からメガネを取り出した。かける前に、一度だけレニアを見る。
人前で使うようなものではない。
それでも、相手が彼女なら、なぜかまあいいかと思えた。
キツキがメガネをかけてホンペクへ目を向けると、その姿に重なるように見慣れた文字が現れた。
《種別:神霊》
表示されたのは、それだけだった。期待していた能力についての情報は、どこにもない。
精霊ではない。
神霊だ。
正確な意味は分からないが、名前からして普通の精霊獣より格が高そうなのは分かる。
こいつ、思っていたよりかなりやばいやつなんじゃないだろうか。
そんなキツキの考えを知ってか知らずか、ホンペクはレニアに撫でられながら平然としている。
レニアは何も言わず、メガネをかけたキツキを見ていた。表示は見えていないはずだが、自分の表情が変わったことには気づかれているらしい。
その視線を意識し、キツキはどう説明するかを考えた。
学院でも分からなかった正体を、そのまま口にするのはまずい。なら、神霊という言葉の意味だけを聞けばいい。
このタイミングなら、ホンペクのことだとは気づかれるだろう。だが、メガネで見抜いたとまでは分からないはずだ。
「……なあ、レニア。神霊って知ってるか?」




