第77話 本人が話したくなるまでは
人間の順応とは恐ろしいものだ。
転生して間もない頃は、鏡を見るたびに、誰だこいつと思った。動きも表情も自分のものなのに、映っている顔だけが他人のように見えたのだ。
それが今では、すっかり自分の顔として受け入れている。
ただ、容姿のチートにまったく不満がないわけではない。顔は十分に整っている。けれど、キツキが望んでいたのは、もっと格好いい系の美形だった。実際はどちらかといえば、可愛い、綺麗と言われる方だ。
ブロムのように、背が高く、格好よく、性格までいい男を見ると納得がいかない。こちらはチートを1つ使って、ようやく見た目だけは整えたというのに、あいつは最初から全部持っている。
不公平ではないだろうか。
もっとも、そう考えているキツキ自身も、可愛い系のチート級美少年ではある。
そして今、まさにその目の前では、2人の美少女が向かい合い、キツキを巡って争いが始まろうとしている――なんてことは、もちろんなかった。
レニアはキツキの方など見ていなかった。
フィリンの青い髪と顔を見つめたまま、何かを確かめるように目を細めている。
「あなたは確か――アイレス家のフィリンだったわね」
フィリンの目がわずかに見開かれた。
「……私をご存じなのですか?」
「ええ。幼い頃、外交の席でルミネーラ皇国を訪れたことがあるの。その時に見かけたわ」
レニアは迷いなく答えた。
「アイレス家は、精霊使いの一族として有名だったもの。両親のそばで、小さな精霊に囲まれていたでしょう。幼い頃から精霊と契約していたと聞いて、覚えていたの」
精霊使いの一族。
その言葉に、キツキはフィリンへ目を向けた。
てっきり、ホンペクに興味を持った少し変わった冒険者だと思っていた。だが、もしかしてフィリンは貴族なのだろうか。
だとすれば、ただの貴族ではない。幼い頃に一度見かけただけのレニアが、家名だけでなく名前まで覚えていたのだ。それほど知られた家の娘ということになる。
「その後のことも聞いているわ」
レニアは、ほんのわずかに間を置いてから続けた。
フィリンの視線が落ちる。
「……そうでしたか」
声色は変わらなかった。けれど、先ほどまでの柔らかさは、その顔から消えていた。
何かを抱えていることだけは分かったが、キツキにはその中身までは読み取れなかった。
レニアは、そんなフィリンをしばらく見つめていた。
「その恰好……今は冒険者をしているの?」
「はい。色々と理由がありまして……」
フィリンはわずかに目を伏せ、そこで言葉を切った。
レニアの眉がわずかに寄る。
「どうして、あなたみたいな子が――」
その時、足元でホンペクが鼻をひくつかせた。
右へ左へと顔を向け、何かの匂いを探すようにうろついたかと思うと、何も言わずに開いた門の向こうへ駆け出した。
「あっ、おい! 待て!」
キツキはレニアの言葉を遮るように叫ぶと、そのまま学院へ入っていくホンペクを慌てて追った。
「悪い、フィリン! また今度!」
走りながら声を投げる。
フィリンも一歩踏み出しかけたが、招かれてもいない部外者がそのまま門をくぐるわけにもいかず、学院の門前で足を止めた。
「……まったく、騒がしいわね」
レニアは小さく息を吐くと、フィリンに向き直った。
「私もこれで失礼するわ」
「は、はい。お時間をいただき、ありがとうございました」
フィリンが姿勢を正して頭を下げる。
レニアも短く応じると、先を走るキツキたちを追い始めた。
その時、門前に残ったフィリンの声が、先を走るキツキまで届いた。
「……また会えますかー!?」
「ああ、多分な!」
キツキは振り返らず、返事だけを残して学院の中へ駆けていった。
◇
学院前庭まで追いかけてきたキツキを待っていたのは、噴水脇で呑気に足を止めるホンペクの姿だった。
花壇に鼻先を突っ込み、花から花へと移りながら、しきりに匂いを嗅いでいる。
本当に犬じゃないか。
必死に追いかけてきたのが馬鹿らしくなるほど、当のホンペクは呑気なものだった。
キツキは後ろから近づくと、ホンペクの両脇に手を入れ、そのまま持ち上げた。
「勝手にどっか行くな。預かってるこっちの身にもなれよ」
「うるさい」
反省する気はまったくないらしい。
そんなことをしているうちに、かなり遅れてレニアも前庭へ姿を現した。
背筋を伸ばし、優雅な足取りでこちらへ歩いてくる。
先ほどは2人の美少女が向かい合う光景に気を取られ、服装まで見る余裕がなかったが、改めて見ると、レニアは制服ではなかった。
白いロングコートの下に黒いシャツを合わせ、襟元には赤いリボンを結んでいた。普段の制服よりも格式のある、いかにも王女らしい装いだった。
普段の制服姿でも十分に異次元だが、見慣れない装いの新鮮さまで加わった今のレニアは、もはや次元を超えた美少女だった。
「急に走り出して、どこか傷めてはいないでしょうね」
「別に何ともないと思うけど」
レニアはキツキの返事を聞き流すと、抱き上げられたホンペクへと顔を近づけた。
怪我がないか確かめるように、まずは頭に手を置く。続いて耳の周りに触れ、頬に手を添えた。
黒いリボンでまとめられた銀髪が、肩からさらりと滑り落ちる。
怪我を確かめていたはずの手は、いつの間にか両頬へ回り、ホンペクの顔をわしゃわしゃと撫で始めていた。
これはもう検分ではないだろう。
どうやら、フィリンだけではなくレニアまでこいつに夢中らしい。
転生するなら、人間ではなく犬を選ぶべきだったのかもしれない。
ひとしきりホンペクの顔を撫でながら、レニアが口を開いた。
「それで、どうしてあなたがアイレス家の娘と一緒にいたの?」
「街でこいつを見て、声をかけてきたんだ。質問に答えてたら、そのまま学院までついてきた」
それだけ答えれば十分なはずだった。
「今日会ったばかりだぞ」
別に弁解する必要はないはずなのに、なぜかその一言まで付け足していた。
「そう」
レニアは短く答えた。
両手は、まだホンペクの頬から離れていない。
「なあ。さっき言ってた、アイレス家って――」
そこまで口にして、キツキは言葉を止めた。
アイレス家とはどんな家なのか。フィリンは本当に貴族なのか。レニアが名前を覚えているほど知られた家の娘が、なぜ今は冒険者をしているのか。
レニアが口にした「その後」という言葉も気になった。
だが、門前で見せたフィリンの表情を思い出す。なんとなく、本人がいないところで聞くのは違う気がした。
「……いや、やっぱり何でもない」
キツキはわずかに視線を逸らした。
「……そう」
レニアは短く答え、その横顔を見つめた。
途中まで口にしたのだから、アイレス家について知りたかったのだろう。
それでも、キツキは自分にそれ以上聞こうとはしなかった。
その姿に、以前のことが重なった。
『放っておいてほしかった』
入学したばかりの頃、レニアはキツキにそう告げた。
助けてもらった直後に口にする言葉ではなかったし、今でも思い返したい出来事ではない。
けれど、キツキは理由を聞かなかった。気になっていたはずなのに、無理に踏み込んではこなかった。
レニアにも、キツキに聞きたいことはある。
ダンジョンで一度見ただけの『治癒』を、なぜ使うことができたのか。どの属性を使えるのか。ほかにも、レニアの知らない力があるのか。
聞きたいことは、山のようにある。
それでも、今は聞かないことにした。
キツキが自分にそうしてくれているように、自分も彼が話したくなるまで待ってみよう。
もっとも、いつまで待てるかは分からないが。




