第75話 精霊使いの少女
懐にあるメガネを使えば、魔道具や魔法に関わる仕事はできるかもしれない。実際、エリルが持ち出した板も、何人もの魔道具職人や研究者には起動すらできなかった物だ。
だが、キツキはまだ、この世界の組織や権力関係を十分に知らない。自分の秘密の核心に近い力を見せれば、誰に目をつけられるかも分からない。
そんな状況で、見知らぬ相手の前でメガネを軽々しく使う気にはなれなかった。
稼ぐ手段にはなりそうだが、秘密を守ったまま安全に仕事へつなげる方法が思いつかない。となれば、相談できる相手は限られてくる。
真っ先に浮かんだのは、エリルだった。
情報屋をしているだけあって、街の事情には詳しいはずだ。それに、エリルにはすでにメガネの力の一端を見せている。何も知らない相手へ持ちかけるよりは、まだ相談しやすい。
とはいえ、この前も用途不明の板で試されたばかりだ。すぐにこちらから頼るのは、なんとなく癪だった。
おまけに、エリルは口がうまい。金策を相談したつもりが、気づけば妙な契約へ同意させられているかもしれない。
あいつに頼るのは、最後の手段にしよう。
とはいえ、他にいい方法はないだろうか。稼ぐのが難しいなら、いっそ誰かに生活の面倒を見てもらうという手もある。
例えば、王族の召使いとして雇ってもらうとか。
レニアの召使いになれるなら、それはそれで悪くない。むしろ、喜んで従える気がする。いや、ぜひ従わせてください。
そこまで考えて、キツキは足を止めた。
「……何を考えてるんだ、俺は」
金策を考えていたはずが、いつの間にか別の方向へ進んでいた。
小さく息を吐いて再び歩き出す。
気づけば、冒険者ギルドへ続く通りまで来ていた。
冒険者になるつもりはない。実習であれだけの目に遭ったばかりで、自分から危険へ近づく気にはなれなかった。
それでも、仕事や依頼が集まる場所を見ておけば、何か参考になるかもしれない。
答えが出ないまま、キツキは通りを歩き続けた。ふと横を見ると、白い獣が当然のように隣を歩いていた。
キツキは一度そのまま前を向き、数歩進んだ。
それから足を止め、ゆっくりと横を見る。
白い獣は、何事もなかったようにキツキを見上げていた。
「……ホンペク?」
「なんだ」
「いや、なんだじゃないだろ。お前、何度呼んでも出てこなかっただろ。消えたのかと思ったぞ」
「寝てた」
「……ずっとか?」
「そうだ」
「……どれだけ寝るんだよ」
ホンペクは、それが何か問題なのかと言いたげにキツキを見返していた。
キツキは呆れてため息をついた。学院からは、ホンペクが再び姿を見せたら知らせるよう言われている。
とはいえ、今すぐ引き返すほどのことでもない。帰る時まで姿を保っていたら、そのまま学院へ連れていけばいいだろう。
それより先に、確かめておきたいことがあった。
キツキは制服の懐に手を入れ、メガネを取り出そうとした。
その時、冒険者ギルドから出てきた少女が、キツキたちの横を通り過ぎかけて足を止めた。少女の視線はキツキではなく、隣にいるホンペクへ向けられていた。
キツキはメガネから手を離し、懐から手を抜いた。
どこかで見た顔だと思い、キツキは少し記憶をたどった。以前、冒険者ギルドですれ違った少女だ。ひと目で印象に残る容姿だった。確か、フィリンと呼ばれていたはずだ。
フィリンはしばらくホンペクを見つめたまま、口を開かなかった。
「その子、あなたについてきているんですか?」
ただ眺めているだけだと思っていたキツキは、一瞬遅れて口を開いた。
「ああ、一応な。こいつが勝手についてきてる」
ホンペクは否定も肯定もせず、フィリンを見返した。
「名前はホンペクだ」
「ホンペク……」
フィリンは確かめるように名前を繰り返した。それから少し身をかがめたが、手は伸ばさなかった。見る角度だけを変えながら、ホンペクを観察する。
まあ、じっくり眺めたくなるくらい見てくれはいいもんな。
「……この子、何者なんですか?」
思っていたより真剣な聞き方に、キツキはわずかに目を瞬いた。
「種類ってことか? 俺もよく分からないけど、精霊獣の類らしい」
「精霊獣、ですか」
フィリンはもう一度ホンペクへ目を向け、しばらく黙り込んだ。
「でも、この子、本当に精霊獣なんですか?」
「どういう意味だ?」
「私、精霊使いなんです」
思いがけない答えに、キツキはフィリンを見返した。
「精霊使い?」
「はい。精霊と触れ合う機会が多いので、普通の精霊なら、なんとなく分かるんです」
フィリンはそう言って、再びホンペクへ目を向けた。
「でも、この子は少し違います」
「違う?」
「精霊に近い何かは感じるのに、私の精霊は、この子を同じものだとは思っていないみたいなんです。警戒しているわけでも、興味を示しているわけでもなくて……どう反応すればいいのか分からないように感じます」
そこまで一気に話したところで、フィリンは自分ばかり喋っていたことに気づいた。少しだけ視線を伏せてから、続ける。
「こんな反応は初めてなので、少し気になったんです」
精霊使いという存在を今知ったばかりのキツキには、説明の半分も理解できなかった。ただ、フィリンが思わず声をかけるほど、隣のこいつは普通ではないらしい。
とりあえず隣に目を向けると、ホンペクは興味なさそうにフィリンを見上げている。
「この娘は、少し見る目があるようだ」
「何を偉そうに言ってるんだよ」
思わず返してから、キツキは口を閉じた。
フィリンが、不思議そうにこちらを見ていた。
「今、この子と話していましたか?」
「い、いや。ただ鳴いたから、なんとなく返しただけだ」
「そうですか?」
フィリンは納得した様子を見せなかった。ホンペクとキツキを交互に見比べてから、小さく首を傾げる。
「でも、この子……あなたに返事をしているように見えます」
さっきまでホンペクへ向けられていたフィリンの視線が、今度はまっすぐキツキへ向けられていた。
そのまっすぐな目には、キツキには見えていないものまで、本当に映っているような気がした。
これ、何を言っても誤魔化せないやつじゃないか。
いっそ、このまま走って逃げたら駄目だろうか。




