第74話 秘密の使い道
落ち着いた声がセドリックの言葉を遮った。
鍛錬区画の方から歩いてきたのは、生徒会副会長のテオド・クロムレイだった。四年生の彼も訓練着姿で、鍛錬を終えたばかりらしい。
周囲では、同じように鍛錬を終えて戻る生徒が数人、足を緩めてこちらを見ていた。
「彼女は鍛錬を終えたばかりだ。疲れている一年生を引き留めるのは、上級生として感心しないな」
「誤解です。私はただ、殿下を案じて――」
「案じているなら、休ませるべきだろう」
テオドの声はあくまで冷静だった。
セドリックの口元がわずかに引きつった。周囲へ目を向けはしなかったが、足を止めた生徒たちの存在を意識したのか、すぐに取り繕うような笑みに戻った。
「……おっしゃる通りです。少々、話が長くなってしまいました」
「副会長、ご配慮ありがとうございます」
レニアはテオドへ短く頭を下げ、それからセドリックへ向き直った。
「では、私はこれで失礼します」
返事を待たずに一礼すると、レニアは振り返ることなく寮へ向かって歩き出した。
その姿が廊下の角へ消えるまで、セドリックは笑みを崩さなかった。
「ご忠告、痛み入ります」
「分かったならいい。次からは、相手の都合も考えることだ」
テオドはそれだけ告げると、セドリックの横を通り過ぎた。様子を見ていた生徒たちも、何事もなかったように歩き始めた。
その足音が遠ざかってから、セドリックは強く拳を握った。
話しかけるタイミングを誤ったのかもしれない。鍛錬を終えた直後ではなく、日を改めるべきだったのではないか。
そんな考えが、一瞬だけ浮かんだ。
だが、レニアは迷惑がっていたわけではない。返事は短かったが、きっと鍛錬を終えたばかりで疲れていただけだ。それをテオドが勝手に決めつけ、2人の会話に割り込んできた。
しかも、レニアの前で、まるで自分が彼女を困らせているかのように。
生徒会副会長だからといって、あのような口を利く必要はなかったはずだ。
テオド・クロムレイ――あの男の名も、レニアの前で受けた屈辱も、決して忘れない。
その一方で、レニアとの会話にも1つだけ気にかかることがあった。
ブロムの名を出した時には、レニアの声は変わらなかった。だが、キツキについて話した時だけは、その声がはっきりと硬くなっていた。
セドリックの知る限り、キツキは目立った実績もない一年生にすぎない。それでも、レニアはあれほど強い言葉で庇った。
しかも、今回に限ったことではない。これまでも、セドリックがレニアに声をかけた時、キツキがそばにいれば、彼女は決まってあの男を庇い、その側に立っていた。
ここまで重なれば、ただの偶然とは思えない。
なぜ、レニアはあの男にそこまで肩入れするのか。
理由を考えようにも、セドリックはキツキについて何も知らなかった。出身も、入学した経緯も、Sクラスへ所属することになった理由も分からない。
ならば、調べるしかない。
あいつが何者なのかを突き止め、レニアがあの男を見誤っていることを証明する。
そうすれば、彼女も目を覚ますはずだ。
◇
それから数日が過ぎた。
中止となったダンジョン実習の扱いも、その間に決まった。
ガルドからは、課題魔物の討伐と討伐証の提出が確認されたため、キツキたちの班を実習達成として扱うと告げられた。
異常ゲート内での出来事に特別な評価や報酬はなく、認められたのは、あくまで本来の課題を達成したことだけだった。
一方、事故によって実習を完了できなかった生徒には、後日、別の実習が用意されることになった。今回の中止によって、成績上の不利益を受ける者はいないという。
キツキも、その決定に異論はなかった。
そして迎えた休日、キツキはミザル市街の店先で、金入れの中を見つめていた。
「……思ったより減ってるな」
金入れの底には、何枚かの硬貨が残っているだけだった。
今朝、部屋の冷蔵庫を開けると、毎朝飲むのが日課になっていたコーラが1本もなかった。そのため、わざわざ街まで買いに来たのだが、支払いを済ませてから残金の少なさに気づいた。
ギレル魔法学院では寮の費用こそかからないものの、食事や教材、日用品には金がいる。ブロムへの見舞いの品も含め、細かな出費が重なっていた。
とはいえ、一番大きいのは、ほとんど毎日買っているコーラだろう。
この世界では少し贅沢な嗜好品らしく、毎日買っていれば、それなりの出費になる。それでも、やめる気にはなれなかった。
キツキは手にした瓶へ目を落とした。少し迷った末、栓を開けて一口飲む。
冷えた甘さと刺激が喉を抜けた。
「……うっっま」
味は前の世界で飲んでいたものとよく似ている。口にすると少し懐かしい気分になる一方で、こちらのものには、向こうにはなかった独特の美味しさもあった。魔法でも混ぜているのだろうか。冷え具合も炭酸の強さも申し分ない。
もう一口飲んでから、キツキは改めて金入れを見た。
「……こういうところだな」
今すぐ生活に困るわけではないが、今のうちに手を打っておいた方がいい。せっかく街まで来たのだから、この機会に自分にもできそうな仕事を探しておくことにした。
キツキはコーラを片手に、店先に出された募集や働く人々へ目を向けながら通りを進んだ。
いくつか目につく仕事はあったものの、その多くは決まった時間に働くことを前提としていた。
ギレルでの生活は忙しい。授業と鍛錬だけでも1日の大半が埋まり、店の手伝いや荷運び、工房の見習いに回せる時間はほとんどなかった。どれも片手間で務まるような仕事ではない。
明日を生きるだけなら、まだ困らない。
けれど、好きなものを1つ買うたびに残金を気にするような暮らしは、キツキが思い描いていた異世界生活とは違った。
それに、ダンジョン実習であれだけの目に遭った以上、これまで以上に強くなる必要もある。金を稼ぐために、授業や鍛錬の時間を削るわけにはいかなかった。
となれば、必要なのは短時間でまとまった金を稼げる仕事だ。
だが、そんな都合のいい仕事が簡単に見つかるとは思えない。
けれど、それを可能にするかもしれないものなら、すでに持っていた。
キツキは制服の懐に入れたメガネへ意識を向けた。




