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第73話 望まない理解者

 答えを返さず、エリルはキツキのメガネへ視線を移した。人目がないことを確かめてから、声を落とす。


「そのメガネ、少し貸してくれる?」


「その前に、当たってるのか?」


「それはあとで。メガネをかけてから、板の見方が変わったでしょ」


「……気のせいだろ」


「なら、確かめさせてよ」


 キツキは露骨に嫌そうな顔をした。


「かけても、たぶん何も見えないぞ」


「いいからいいから」


 キツキはしばらく迷った末に、メガネを外して差し出した。

 エリルは受け取ると、髪を耳へ払い、メガネをかけた。


「こんな美少女に使ってもらえて、このメガネも喜んでるよ」


「そいつは俺一筋だ」


「似合う?」


「先にそっちなのかよ」


 キュルが焼き菓子を食べながら、エリルの顔を見た。


「似合ってる」


「ほら」


「……別に疑ってない」


 エリルは笑いながら、光の模様が残る板へ目を向けた。

 見え方は何も変わらなかった。とはいえ、これだけでメガネが無関係だとは断定できない。


「もういいか?」


「うん。ありがと」


 メガネを返すと、キツキはすぐにかけ直した。


「それで、さっきのは当たりだったのか?」


「たぶんね」


「……たぶん?」


「私も今、初めて分かったから」


 キツキの動きが止まった。


「は?」


「使い方も、何をする物なのかも知らなかったよ」


「じゃあ、裏の溝をどの順番でなぞればいいかも知らなかったのか?」


「順番?」


「反応する箇所をつないだんだ。たぶん、あれで魔法を記録できる状態になった」


 エリルは何度か瞬きをしてから、台の上の板を持ち上げて裏返した。刻まれた溝を目で追っても、どこをどうつないだのかは分からない。


「そんなことまでしてたの?」


 キツキは呆れたようにエリルを見た。


「お前、知ってるみたいに言ってただろ」


「知ってるとは言ってないよ」


 エリルは悪びれずに笑い、板を手に入れた経緯と、何人もの魔道具職人や研究者にも起動できず、最後にはガラクタだと言われたことを簡単に話した。


 そんな話を聞かされるうちに、キツキの顔はどんどん険しくなっていく。


「つまり、俺を試したのか」


「そういうことになるかもね」


「先に言えよ」


「先に言ったら、警戒して使ってくれなかったでしょ?」


 キツキは否定しなかった。


「……次からは先に言ってくれ」


「分かったよ」


 エリルは板を元の向きに戻して台に置いた。滑らかな面には、まだ光の模様が薄く残っている。


 その光に指先で触れながら、エリルは考えをまとめる。


 やはりキツキには、未知の仕組みを読み解く何かがあるらしい。その正体がメガネなのか、キツキ自身の力なのかまでは分からない。それでも、確かめたかったことは十分に確かめられた。


「似たようなの、ほかにもあるよ」


 キツキは嫌そうな顔をしながらも、光の模様が残る板から目を離さなかった。


「……どんなのだ?」


 エリルは笑みを深めた。


「気になる?」


 話を続ける2人をよそに、キュルは焼き菓子をかじりながら、空を流れる雲を眺めていた。



 放課後、レニアは鍛錬区画を後にした。

 訓練着の下には、まだ身体を動かした熱がこもっていた。普段は下ろしている銀髪も、今日は一部を後ろで束ねたままだ。額には汗がにじんでいる。


 いつもより長く鍛錬を続けた。それでも、頭の奥に残るものは、少しも薄れてくれなかった。


 額の汗を指先で拭い、寮へ続く廊下へ出た。

 その先の壁際に、セドリックが立っていた。


 鍛錬区画から寮へ向かうこの廊下は、ほかに用のある者が通る場所ではない。しかも、セドリックは訓練着ではなく制服姿だった。

 偶然ここにいたとは考えにくい。おそらく、どこかでレニアの居場所を知り、待っていたのだろう。


 レニアに気づいたセドリックは壁から離れ、進路を塞ぐ位置へ歩み寄ってきた。


 できることなら、そのまま通り過ぎたかった。だが、相手は上級生だ。レニアは小さく息を吐き、足を止めた。


「レニア殿下、ダンジョン実習、お疲れさまでした」


「……ありがとうございます」


 短い返事にも、セドリックはわずかに表情を明るくした。


「ご無事だと分かり、心から安堵いたしました。実習でトラブルがあったと耳にし、案じておりました」


「ご心配をおかけしました」


「実は、信頼できる筋から、もう少し詳しい話を聞きまして。殿下を含む5人が一時行方不明となり、複数の負傷者が出たそうですね」


「その話なら、すでに一年生の間にも広まっています」


 セドリックの表情が一瞬だけ固まった。


「もちろん、表向きの噂はそうでしょう。しかし、学院が詳しい事情を伏せていることまで把握している者は、そう多くないはずです」


「そうかもしれませんね」


 レニアがそれ以上話を広げずにいると、セドリックは声を落とした。


「殿下にも、周囲には打ち明けられないことがおありなのでしょう」


「学院から口外を禁じられているだけです。お気遣いには及びません」


 そう告げて、レニアはセドリックの向こうへ続く廊下に視線をやった。


「それでも、お一人で抱え込む必要はありません。フォルテアの事情を知る者として、私であれば殿下のお力になれることもあるでしょう」


 どの言葉も、レニアを気遣う形をしていた。

 けれど、短い返事にも、会話を終えようとする素振りにも、セドリックは気づこうとしなかった。


 レニアは何も返さず、身体をわずかに寮の方へ向けた。それでもセドリックは引かず、少し間を置いて話題を変えた。


「ところで、同行されていた方々の中にも負傷者がいたと聞きました」


「……ええ」


「ブロムのような実力者が同行していたのは幸いでした。ですが、キツキも一緒だったそうですね」


「……それがどうかしましたか?」


「正式にSクラスに所属したとはいえ、目立った実績もない男です。かえって殿下の足を引っ張ったのではありませんか?」


 レニアはセドリックをまっすぐに見た。


「誰も足を引っ張ってはいません。それに、キツキがいなければ、私たちは戻れなかったでしょう」


 自分でも分かるほど、声が硬くなっていた。

 その変化に気づいたのか、セドリックは目を瞬かせた。だが、すぐに気遣わしげな表情を作った。


「殿下はお優しい。危険をともにした者を庇いたくなるお気持ちは分かります。ですが――」


「セドリック、その辺にしておけ」

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