第72話 見極めるために
5人がギレル魔法学院に帰還した翌朝、第二王女シエラ・フォルテアは、魔物被害を受けた領地から届いた報告書に目を通していた。
死者と負傷者、焼けた家屋、失われた農地、避難所に残る人々。並んだ数字を追い、必要な食料と治療に回せる人員を確かめる。
「南部の避難所へ食料を多めに回して。農地の復旧には、近隣領から人手を借りられるよう話を通しておくから」
「王家の備蓄を使うことになりますが」
「今出し惜しみをして、来年の収穫まで失う方が困るでしょう?」
シエラが明るく笑うと、文官は安堵したように頭を下げた。
支援が遅れれば、来年の収穫だけでなく、その先の税収にも響く。今ここで食料と人手を回す方が、将来の損失は少なかった。
文官と入れ替わりに、薄い書類を手にした側近が入ってきた。
「ギレル魔法学院の第三王女殿下について、情報が入っております」
側近は手元の書類へ目を落とした。
「実習中、レニア殿下を含む生徒5人が一時行方不明となりましたが、全員帰還しております。複数人が負傷し、学院は関係者に厳しい口止めをしているとのことです。通常とは異なるゲートが関係したとの噂もありますが、確証はありません」
「まあ。レニアも無事だったのね。本当によかったわ」
シエラは安堵したように微笑んだ。
だが、レニアが死んでいたとしても、シエラが困ることはない。生きているなら、まだ使い道がある。どちらでも構わなかった。ただ、簡単には壊れなかったという結果には、少し興味を引かれた。
ただ、目を向けるべきなのはレニアだけではなかった。
今回の件がただの事故なのか、自分を狂信する者が動いたのか、それともまったく別の誰かの思惑によるものなのか、まだ見当もつかない。だからこそ、今は余計な手を出さず、情報だけを集めるべきだった。
「学院には接触しないで。情報だけ、引き続き集めてちょうだい」
「第三王女殿下についてでしょうか」
「一緒に戻った4人についてもね」
シエラは書類を閉じ、穏やかに微笑んだ。
「今は、見ているだけでいいわ」
◇
2日間の休講が明けると、学院は何事もなかったかのように授業を再開した。
もちろん、本当に何事もなかったわけではない。
教室に入った時から、エリルたちには何度も視線が向けられていた。実習中に5人が行方不明になったことは、すでに一年生の間へ広まっているらしい。
席に腰を下ろすと、塞がった傷の奥がわずかに引きつった。エリルは顔には出さず、背もたれに身体を預ける。
何があったのか尋ねてくる生徒もいたが、答えられることはほとんどなかった。事情を知る者には、学院から詳しい内容を口外しないよう厳しく言われている。
適当にはぐらかしているうちに午前の授業が終わり、エリルはキュルを連れて中庭へ向かった。
日当たりのよい中庭の一角では、先に呼び出しておいたキツキが卓について待っていた。卓上には、学院の売店で買ったらしい飲み物が置かれている。
「遅かったな」
「女の子にはいろいろ準備があるんだよ」
「教室からここまで来るだけだろ」
エリルは答えず、キツキの向かいの長椅子に腰を下ろした。キュルもその隣に座ると、持ってきた焼き菓子の包みを開き始める。
「……身体はもう大丈夫なのか?」
「まだ少し痛むけど、授業に出るくらいなら問題ないよ」
「そっか。……それで、何の用なんだ?」
「君におもしろいものを持ってきたんだ」
エリルは鞄の中から、布に包んだ物を取り出した。
中に入っていたのは、手のひらより少し大きな、黒に近い長方形の板だった。片面はガラスのように滑らかで、裏面には細い術式が刻まれている。
「これは?」
キツキが長方形の板を手に取った。
「見覚えない?」
「ないな。何に使うんだ?」
「そう。少し古いものだからかな」
「いや、だから何なんだよ」
「触ってみれば分かるよ」
エリルが何でもないことのように言うと、キツキは眉を寄せた。
その反応を見て、エリルは口元に笑みを浮かべる。
ゲートの中で、エリルはキツキならできるかもしれないと思い、『治癒』を使ってみるよう促した。半ば勘に近い試みだったが、キツキは初めて見たはずの魔法を、その場で再現してみせた。
あれ以来、エリルにはひとつ確かめたいことがあった。
あの時、キツキは何を見て、あの再現を可能にしたのか。
本人に尋ねても、素直に答えるとは思えない。
そこで持ち出したのが、幼い頃、ポルテュン家へ出入りしていた遺跡探索家からもらったこの板だ。
何人もの魔道具職人や研究者に見せ、考えられる限りの方法を試してもらったが、板は反応せず、刻まれた術式も誰一人読み解けなかった。最後にはただのガラクタだと言われ、それでもエリルは手元に残していた。
正体も仕組みも分からない物を前にした時、キツキがどうするのか。それを見れば、答えに近づけるはずだった。
そんなエリルの思惑に気づいた様子もなく、キツキは板の滑らかな面を指でなぞり、側面や裏側を順番に確認した。首を傾げながら、何度か板を持ち替えている。
やがてキツキは制服の懐からメガネを取り出し、かけようとした。だが、エリルの視線に気づくと、わずかにためらう。それでも手を止めたのは一瞬だけで、そのままメガネをかけ、長方形の板に目を向けた。
しばらく黙って眺めたあと、表側を見たかと思えば裏返し、刻まれた溝を指先でなぞる。何を見ているのか、エリルには分からない。ただ、先ほどまでとは目の動きが明らかに変わっていた。
「どう? 分かった?」
「もう少し待ってくれ」
キツキは板を両手で持ち、わずかに魔力を流した。
しかし、何も起こらない。
「まだ分かんないの?」
「今見てる。急かすな」
キツキは少し不機嫌そうに答え、もう一度板に視線を落とした。
隣では、キュルが焼き菓子をかじりながら、興味なさそうに空を眺めている。2人のやり取りに口を挟む気はないらしい。
キツキは何度か板の向きを変えたあと、滑らかな面を上にして卓へ置いた。
「これ、魔力を入れる道具じゃないのかもしれない」
「そう」
「エリル、簡単な魔法を使ってみてくれ」
「この辺りで?」
「板には当てなくていい。近くで使うだけでいい」
「……いいよ」
キツキが何を確かめようとしているのか、エリルにはまだ分からない。
それでも表情には出さず、言われた通り板のそばへ右手をかざし、小さな風を起こした。掌の上で空気が渦を巻き、細い風が中庭の草を揺らす。
その瞬間、黒い板の表面に淡い光が灯り模様が浮かんだ。
エリルは思わず身を乗り出した。幼い頃から何度触れても沈黙したままだった板が、今は確かに光を宿している。
焼き菓子に手を伸ばしていたキュルも、その手を止めて小さく呟いた。
「光った」
キツキは板を持ち上げ、浮かんだ模様を食い入るように見つめていた。
「たぶん、近くで使った魔法を記録する物だ。魔法そのものじゃなく、術式や魔力の流れを残してる」
キツキは浮かんだ模様から顔を上げ、少し得意げにエリルを見た。
「どうだ、当たりか?」
エリルは答えなかった。
板に残る光ではなく、キツキの横顔を見つめていた。
何人もの専門家にも分からなかった物を、キツキはわずかな時間で起動させ、その用途にまで見当をつけた。
やっぱり、キツキは――




