第67話 最低の指示、最高の獲物
今回の指示は、これまで受けた中でも最低だった。
5人がゲートから戻る前、ダルマティアは壁に肩を預けたまま、折り畳まれた紙に目を落としていた。
自分なら簡単に終わらせられる仕事を、わざわざ格下の出来損ないに任せ、その回収だけを押しつけてきた。
紙の端が、指の間でかすかに軋む。
だが、それ以上は力を込めなかった。
不満はあっても、あれに逆らうほど、ダルマティアは馬鹿ではない。
仲介役から渡された紙には、今回の手順が簡潔に記されていた。
対象となる5人班がダンジョンのボスを倒したあと、ゲートが開かれる。そこへフォールンを1人送り込み、ブロム・アステリオンを殺害し、フォルテアの王女を確保する。
ダルマティアに命じられたのは、そのあとだった。
任務を終えて戻ってきたフォールンと王女を回収し、渡された魔道具を使って拠点へ戻る。
ただ、それだけだ。
魔道具に黒い魔力を流し込めば、指定された場所へ移動できるらしい。細かな仕組みなど聞かされていないが、使い方さえ分かれば問題はなかった。
気に入らないのは、そこではない。
ゲートの中へ送られたのは、自分よりはるかに弱い出来損ないだった。
名前も一度は聞かされた気がするが、覚えていない。理性もろくに残っていない、醜く歪んだイカレ野郎だ。死んだところで惜しくもない。
そんなものに実働を任せ、自分には回収役をやらせる。
考えれば考えるほど、腹が立った。
相手は、学生が集まった5人班にすぎない。その中の1人を殺し、王女を生かしたまま連れ出す程度なら、自分が行けばすぐに終わる。
そう思うほど、命令どおり回収役に徹するのが馬鹿らしくなった。
いっそ、自分で片づけてしまおうか。
一瞬浮かんだ衝動を、ダルマティアは紙を折り直す指先に押し込めた。
そして紙から目を離し、薄暗い通路の奥を眺めた。
何も起きないまま、長い時間が過ぎた。
やがて、薄暗い通路の奥でゲートが揺れた。
これでようやく、この退屈から解放される。
そう思ったダルマティアの前に現れたのは、戻るはずだった出来損ないではなく、傷だらけの5人の子供だった。
ほんのわずかに、ダルマティアの興味が動いた。
クラス3程度と聞かされていた子供たちが、格上のフォールンを倒した。
少しくらいは楽しめるかもしれない。
そう思ったのも、一瞬だけだった。
2人は仲間に身体を支えられ、自分の足で立つことすらままならない。銀髪の生意気そうな少女もひどく消耗し、残る2人にも戦う余力があるようには見えなかった。
結局、期待するだけ無駄だったようだ。
予定は少し狂ったが、王女だけを連れ帰り、残りを始末する。それだけで、この退屈な任務も終わる。
だが、王女は言うことを聞かない。
もう面倒だった。
ダルマティアは、かすかに息を吐いた。
残りの4人はまとめて殺す。王女は生きてさえいればいい。動けない程度に壊して、無理やり連れていけばいい。
最初から、そうしておけばよかったのだ。
そうして残りの4人をまとめて消すために作った黒い球は、放つより先に跡形もなく消えた。
直後、背後から声が響く。
振り返ったダルマティアの視線の先で空間が揺らぎ、そこから大柄な男が姿を現した。乱れた橙色の髪。見る者を威圧するような顔。
世間に疎いダルマティアでさえ、その男が誰なのかは知っていた。
その正体に気づいた瞬間、長く持て余していた退屈は消え失せた。
ダルマティアの口元が、ゆっくりとつり上がる。
「おいおい。とんでもねえ有名人がいんじゃねえか」
ダルマティアは、待ち望んでいた獲物でも見つけたように男を見つめた。
「なあ、ムルガド」
その名が通路に響いた瞬間、キュルに支えられていたエリルが大きく息を吐き、張り詰めていた身体から力を抜いた。キュルへ預ける体重が、わずかに増す。
その様子を見ても、キツキは警戒を解けなかった。
エリルがなぜそこまで安堵したのかも、現れた男が自分たちにとってどういう存在なのかも分からなかったからだ。
ムルガドはダルマティアの言葉には答えず、その姿を上から下まで眺めた。
「フォールンか」
「俺をあんな出来損ないどもと一緒にすんな」
ダルマティアは不愉快そうに言い返したが、すぐに口元に笑みを戻した。
「せっかく会えたんだ。少しくらい付き合えよ」
名の知れた魔法使いを前にしても、ダルマティアの笑みには恐れの色ひとつ浮かんでいなかった。
ムルガドは興奮するダルマティアを見ても、表情を変えない。
「別に、お前に興味はねえんだがな」
「なら持たせてやるよ」
2人のやり取りについていけないまま、キツキは少しでも情報を得ようとメガネに意識を集中させた。
だが、視界に文字が浮かぶより早く、ダルマティアの全身から黒い魔力が噴き出した。そのまま地面を蹴り、ムルガドへ向かって一気に踏み込む。
黒い影が、キツキの視界から消えた。
反射的に視線を走らせる。
だが、再びその姿を捉えたときには、ダルマティアはムルガドの目前で不自然に動きを止めていた。
ムルガドは、ただそこに立っている。腕を上げた様子もなければ、魔力の揺らぎすら見えない。
それなのに、ダルマティアの胸の中央は、周囲の空間ごと抉り取られていた。肉も骨も、その奥にあるはずの心臓も、跡形すら残っていない。
何が起きたのか、キツキには分からなかった。
そして、異常はそれだけではない。
ダルマティアは倒れず、胸に空洞を抱えたまま、なおムルガドへ腕を伸ばしていた。
その光景に、レニアが息を呑んだ。
「心臓を失ったのに……?」
フォールンは心臓を潰せば死ぬ。少なくとも、魔法使いたちはそう教えられている。
ムルガドがわずかに片眉を上げる。
「ほう?」
短く漏らすと、ムルガドはダルマティアの頭部を空間ごと切り取った。
首から上が跡形もなく消え、伸ばされていた腕が止まる。
やがて、頭部を失った身体の輪郭が崩れるように薄れていった。
キツキは、息をすることさえ忘れていた。
つい先ほどまで、自分たちの死を確信させた相手が、何ひとつできないまま目の前から失われていく。
ほどなく、リスク7のフォールンは跡形もなく消えた。
だが、キツキの緊張は少しも緩まなかった。
ダルマティアを一瞬で葬った男の視線が、ゆっくりと5人へ向けられた。




