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第55話 助けたい

 戻ってきた教師は、入口のすぐ内側に残された印を見下ろした。

 本来なら、もっと奥の壁につけられていたものだった。


 教師が石床に手を置いた。指先から伸びた淡い光は通路の奥へ進み、やがて不自然に曲がると、そのまま入口へ戻ってきた。


「道は塞がれていません。ですが、空間のつながり方が歪められています」


「解除は」


「……今ここにいる者だけでは、すぐには」


 ガルドは入口の暗闇から目を離さなかった。


「空間魔法に精通した者を呼べ。学院内に限るな。到着を待つ間も、人数と進入条件を変えて試せ。とにかく手を止めるな」


「はい」


 騎士団員たちが、再び入口の前に集まっていく。


 4人の反応は、まだ盤面に残っていた。

 そこにいる。それだけは分かる。


 だが、そこに続く道が、どこにも見つからない。


 ――頼む。間に合うまで、耐えていてくれ。



 キツキがゲートへ飲み込まれてから、まだほとんど時間は経っていなかった。


 ブロムは、まだ強ばっていた指を一度握り直し、懐中時計から危険信号を送った。


 だが、懐中時計から学院側の状況を知ることはできない。

 信号が届いたのか。教師たちがこちらへ向かっているのか。それすら、4人には分からなかった。


 淡い青紫色の膜だけが、目の前で静かに揺れている。

 エリルはその光を見つめたまま、何も言わなかった。


「……答えなさい。エリル」


 レニアの声が、静かな通路へ落ちた。


 エリルの視線が、ゆっくりとレニアへ向く。


「……ゲートが発生するなんて知らなかったよ」


「では、何を知っていたの」


 今度の問いには、さきほどよりも鋭いものが混じっていた。


 エリルはすぐには答えなかった。

 ゲートの膜が揺れるたび、その淡い光が琥珀色の瞳を横切っていく。


「今回の実習で、何かが起きるかもしれないってこと」


 レニアの眉が、わずかに動いた。


「フォールンが関わっている可能性もあった。狙われているかもしれない生徒がいるって話も、噂程度には掴んでた」


「誰が狙われていたの」


「……確証はなかった」


「聞いているのは、そこではないわ」


 レニアが一歩、エリルに詰め寄った。


「誰が狙われていると知っていたの」


 エリルの口元からは、いつもの笑みが消えていた。


「君と、ブロム」


 通路に、短い沈黙が落ちた。


 ブロムがわずかに目を見開いた。だが、何も言わなかった。


 レニアの赤い瞳は、エリルから離れない。


「それを疑っていながら、なぜ何も言わずに私たちを同じ班へ集めたの」


「知ってたわけじゃない。確証のない噂だった」


「論点を変えないで」


 レニアの声が強くなる。


「危険があると考えていたのでしょう。なぜ、それを私たちに共有しなかったの」


「証拠がなかったから」


 エリルも視線を逸らさなかった。


「出どころも明かせない情報じゃ、学院は動かせない。それでも何かが起きたときに対応できるようにしたかった。狙われているかもしれない人を別々の班に置くより、戦える人間を集めた方がいいと思った」


「だからって、私たちに聞かずに決めたの?」


 レニアは手を強く握った。


「その結果が、これよ」


 視線の先では、キツキを飲み込んだゲートが変わらず揺れていた。


「危険があると分かっていたのに、何も言わずにキツキまで巻き込んで」


「殿下」


 ブロムの声が、2人の間へ入った。


 レニアは振り向かなかった。


「今は、誰が悪かったのかを話し合っている場合じゃない」


 ブロムはゲートを見た。


「これからどうするか。まず、それを決めよう」


 レニアは何も答えなかった。

 握られた手も、エリルへ向けた視線も、そのままだった。

 だが、ブロムの言葉を無視して責め続けることはしなかった。


 エリルが小さく息を吐き、ゲートへ視線を戻す。


「危険信号は出した。学院が受け取っていれば、もう動いてるはずだよ」


「受け取っていなければ?」


「その可能性もある」


「なら――」


「だからって、今すぐ入るべきだとは思えない」


 エリルはレニアの言葉を遮った。

 淡い青紫色の膜へ目を向けたまま、いつもの軽さを消した声で続ける。


「普通のゲートなら、一度入れば閉鎖条件を満たすまで戻れない。中がどうなっているかも、何をすれば閉じるのかも、外からは分からない」


「そんなことは知っているわ」


「これは普通のゲートじゃないかもしれない」


 レニアの視線が、エリルからゲートへ移った。


「擬似ダンジョンの中で、狙ったみたいなタイミングで発生した。自然にできたと考えるより、人工的なものだと考えた方がいい」


 エリルはゲートを見つめた。


「普通のゲートと同じルールが通じる保証もない。キツキと同じ場所に着くとは限らないし、私たち4人が一緒の場所に出られるとも限らない」


 誰も否定できなかった。

 ゲートの向こうにキツキがいる。それさえ、今の4人には確かめられない。


「学院を待つべきだよ」


 エリルは言った。


「信号が届いているなら、教師も騎士団も動いてる。私たちだけで入るより、確実な戦力を待った方がいい」


「いつまで?」


 レニアが尋ねた。


「それは……」


「キツキが、どんな場所にいるのかも分からないのよ」


 ゲートの光が、レニアの赤い瞳に映り込んでいた。


「怪我をしているかもしれない。何かに襲われているかもしれない。それでも、誰かが来るまで待てと言うの?」


「入ったところで助けられる保証はない」


「だからって何もしないの?」


「残った4人まで戻れなくなるよりはいい」


 そう言ったあと、エリルは一瞬だけ目を伏せた。

 だが、言い直しはしなかった。


「私たちまで入って、5人全員が危険に身を置くより、今は教師たちが来るのを待つ方が――」


「なら、私1人で行くわ」


 レニアがゲートへ向き直った。


「殿下」


 ブロムがすぐに呼び止める。


「あなたたちまで巻き込むつもりはないわ。私はキツキに何度も助けられた。彼を追える道がすぐ目の前にあるのに、何もせず待つなんてできない」


 その言葉にエリルの目が、わずかに細くなった。


「1人で行かせるわけにはいかないよ」


 ブロムが、静かな声で割って入った。


「これは私の判断よ」


「それなら、なおさらだ」


 ブロムはレニアより先に、ゲートの前へ出た。


「誰か1人が入るなら、僕が行く」


「何を言っているの」


「僕は前衛だ。近くでの戦いにも、距離を取った戦いにも対応できる。誰かが行くなら、僕が入るのが一番合理的だ」


「ブロムまで……待ってよ」


 エリルが2人の間に踏み込む。


「それが一番悪手だよ。着いた先で孤立したら、何の解決にもならない」


「それでも、僕は行くよ」


 ブロムの声は穏やかなままだった。

 それだけに、止まるつもりがないことが伝わった。


「キツキが助けを待っている可能性があるなら、ここには残れない」


「可能性だけで、自分の命まで賭けるの?」


「うん」


 ブロムは、迷わず答えた。


「助けられる可能性があるなら、それで十分だ」


 エリルの眉が、わずかに寄る。迷いのないその言葉に、あらためてブロムという人間の危うさを思い知った。


 この男は、そういう男だった。


 レニアも、ブロムも、もう言葉だけでは止められない。


「ねえ」


 小さな声とともに、制服の裾が引かれた。


 エリルが振り向く。


 キュルが、その裾を指先でつかんでいた。


「どうしたの、キュル」


「いこ」


 エリルが、わずかに目を見開いた。

 小さく息を呑み、ひと呼吸置く。


「……中に入っても、キツキと同じところに行けるとは限らないんだよ?」


「うん」


「別の場所に送られるかもしれない。もう帰ってこれないかもしれない」


「うん」


 キュルはエリルを見上げた。


「でも、助けたい」


 エリルの目が、今度こそ大きく見開かれた。

 キュルが、自分の望みをこれほどまっすぐ口にすることはほとんどなかった。


 ほんの一瞬、思考が止まった。だが、すぐにレニア、ブロム、キュルへ視線を走らせる。


 3人とも、もう止まらない。

 それなら、自分はどう動くのが最善か。


 エリルは、制服の裾をつかむ指へ視線を落とした。

 その指先を見つめたまま、しばらく言葉を返さなかった。


 やがて、小さく息を吐いた。


「……分かった」


 キュルの指が、わずかに動いた。


「行こう」


 レニアとブロムが、同時にエリルを見た。


「ただし、入るなら、できる限り間を空けない」


 エリルはゲートへ向き直った。


 エリルが指先の魔力を淡い青紫色の膜へ近づけると、光の表面に細い線が浮かび、縁に沿ってゆっくりと巡った。


 示された進入上限は5人。すでにキツキが入っている。なら残りは、ちょうど4人だ。


「私たちが入れば上限に達する」


 少なくとも、解析できた範囲では、人数制限は普通のゲートと変わらなかった。

 通常通りなら、ゲートを攻略するまで、外から新たに入ることはできない。


 つまり、攻略するか、中にいる全員が死ぬか。


 誰も、その意味を口にはしなかった。


「それでも……行くんだね?」


 エリルが確認すると、レニアは迷わず頷いた。


「ええ」


「僕も気持ちは変わらないよ」


 キュルも、エリルの制服の裾から手を離した。


「行く」


 エリルは短く息を吐いた。


「順番は、ブロム、レニア姫、キュル、私。前の人が入ったら、すぐに次が入る。向こうに着いても、その場を動かない。全員が揃うまで待つこと」


「分かった」


 ブロムは短く頷き、ゲートへ向き直った。


 一度だけ息を整えると、迷わずその中へ踏み込む。レニア、キュルも間を置かず、そのあとに続いた。


 淡い青紫色の膜が揺れるたび、1人ずつ、その姿が向こう側へ消えていく。

 残されたのは、エリルだけだった。


 エリルは、来た道へ目を向けた。


 教師たちは、もうこちらに向かっているかもしれない。

 あと少し待てば、もっと安全な方法が見つかる可能性もあった。


 それでも、今さら3人だけを行かせることはできない。


 何より、キュルの選択を信じてみたくなった。


「ほんとに……予定どおりにならないね」


 誰に言うでもなく呟き、エリルもゲートへ足を踏み入れた。


 その姿が完全に消えた直後、青紫色だった膜は、音もなく赤へ変わった。

ここまで読んでくださってありがとうございます!


基本、毎日2話更新です!


続きが気になる、また読みに来てもいい、と思っていただけましたら、

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