第54話 残されたゲート
来た道を戻り始めてからも、ブロムは討伐証を手に持っていた。
学院の刻印が入った、小さな金属の札。
キツキは隣を歩きながら、何度もそこへ目を向けていた。
「それ、俺にも見せてくれ」
「討伐証かい?」
「どんなものなのか、気になってさ」
ブロムは足を止めず、手にしていた討伐証をキツキへ差し出した。
「落とさないようにね」
「分かってるって」
受け取った札は、見た目よりも少し重かった。
死にかけた恐怖は、まだ胸の奥に残っている。けれど、札の重みを手のひらに感じると、自分たちでロックドレイクを倒した喜びが、恐怖を押しのけるように込み上げてきた。
キツキは歩きながら、メガネ越しに表と裏を眺めた。
片面には学院の刻印が入っていたが、それだけではない。その周囲には細かな印が幾重にも重なり、札の表面だけでなく、金属の内側にまで複雑に入り込んでいる。
いくつあるのか、ひと目では数えきれない。
これを全部再現しろと言われても、まず無理だろう。
「そんなに珍しい?」
横から、レニアが討伐証を覗き込む。
「ああ。思ってたより、ずっと細かく作られてる」
レニアは討伐証に目を凝らしたが、よく分からないというように、わずかに眉を寄せた。
「なくさないうちに、ブロムに返しておきなさい」
「そんなに俺って信用ないか?」
レニアは迷わず頷いた。
「……分かったよ」
キツキはもう一度だけ討伐証を裏返してから、少し前を歩くブロムへ顔を上げた。
「ブロム、これ――」
振り向いたブロムに討伐証を差し出しかけた、その時だった。
――ジィィィッ!
空気の裏側を焼くような響きが、通路を走った。
誰も、それを耳で聞いた音だとは、すぐに理解できなかった。
キツキの目の前で、通路の景色がわずかにずれる。
石壁と石床の境目が引き伸ばされ、空間が縦に裂けていく。
「え――」
キツキが声を漏らした時には、裂け目はもう目の前まで広がっていた。
キュルが半歩踏み出し、手を伸ばした。
けれど、その手が届くより先に、キツキは討伐証を握ったまま、裂けた空間へ沈み込むように飲み込まれた。
景色が一度、大きく歪む。
次の瞬間、キツキの姿だけが消えていた。
残された裂け目の内側に淡い青紫色の光が広がり、薄い膜となって裂け目を覆った。膜の表面は、水面のように揺れていた。
ブロムは、討伐証を受け取ろうと差し出した手を、下ろせずにいた。
レニアも声を失い、目の前に残ったゲートを見つめていた。
最初に声を出したのは、エリルだった。
「ダンジョンの中にゲート……」
エリルは目の前のゲートを見つめたまま、重く息を吐いた。
予測していたどの可能性にも当てはまらない。その苦さが声に滲んでいた。
「そんなの、読めないよ」
レニアがエリルへ一歩詰め寄った。
「……あなた、何か知っているの?」
問いかける声が、わずかに震えていた。
「知っているなら、今すぐ言って。キツキはどこへ行ったの」
エリルは答えなかった。
淡く揺れる光の膜を見つめたまま、何も返せずにいた。
◇
監視区画の盤面から、「キツキ」と表示された白い点だけが消えた。
「第7入口、キツキの反応が消失!」
監視区画に緊張が走った。
ガルドは、キツキの点が消えた場所を睨んだ。
「残りの4人は」
「全員、同じ場所に留まっています」
「歪みの反応は?」
「まだ残っています」
盤面の端では、薄い光が不規則にひずみ続けていた。
ガルドはすぐに振り返った。
「騎士団員を第7入口へ向かわせろ。教師も2人つけろ」
「はい!」
「実習はすべて中断。新たな進入を止めて、中にいる班の帰還を確認しろ」
教師たちが一斉に動き出した。
「この盤面から目を離すな。4人の反応に変化があれば、すべて記録しておけ」
それだけ言い残し、ガルドも監視区画を出た。
◇
ガルドが第7入口へ到着した時には、騎士団員と教師がすでに集まっていた。
ほかの入口でも、実習班を帰還させる動きが始まっていた。
第7入口そのものに、目立った異常は見えなかった。
地下へ続く石造りの通路が、暗い口を開けている。
その先に、エリルたちがいるはずだった。
「2人で入れ」
ガルドの指示に、騎士団員が頷いた。
「異常を感じたら、無理に進むな」
「了解しました」
2人が入口をくぐった。
靴音は石床に響きながら遠ざかり、やがて聞こえなくなった。
入口に残った者たちは、通路の奥を見つめたまま、誰も口を開かずに待った。
しばらくして、今度は奥から2人分の足音が近づいてきた。
ガルドが目を細める。
暗がりの中から現れたのは、先ほど中へ入った騎士団員たちだった。
2人とも、入口の前に集まった者たちを見て足を止めた。
「……なぜ、ここに?」
先頭の騎士団員が呟いた。
「引き返したのか」
ガルドが聞いた。
「いいえ」
騎士団員は、戸惑ったまま首を振った。
「1度も振り返っていません。ずっと奥へ進んでいました」
「道を間違えた可能性は」
「ありません。分かれ道にも、まだ着いていませんでした」
ガルドは第7入口の奥を見た。
通路は、先ほどと何も変わっていない。
「もう1度だ。今度は人数を変える」
次は騎士団員3人に、教師が1人加わった。
「進んだ距離が分かるように、一定の間隔で壁に印を残せ」
「分かりました」
4人は第7入口をくぐり、その姿は暗闇の奥へ消えていった。
だが、人数を増やしても、確認の方法を変えても、結果は同じだった。
しばらくすると、最初と同じように、第7入口の奥から4人が姿を現した。
誰1人、引き返してはいなかった。
それでも、前へ進み続けたはずの4人は、また同じ入口から戻ってきた。
第7入口は、進む者を決してその先へ通さなかった。
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