表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

51/90

第51話 ギレルの懐中時計

 ワープゲートを抜けた先は、風の匂いが違っていた。


 石畳の広場の向こうに、低い丘と灰色の岩壁が広がっている。遠くには草の薄い平原が続き、その奥に、黒く口を開けた巨大な入口が見えた。


 クレイム実習区域。


 ギレル魔法学院が管理する、遠方の訓練地の1つだった。


「……本当にダンジョンだ」


 キツキは、思わずそう呟いた。


 声に出してから、少しだけ恥ずかしくなる。だが、仕方がない。目の前には、どう見てもダンジョンの入口があった。石で固められた門。一定間隔で灯る魔力灯。

 入口脇に立つ教師たちと、紺色のローブをまとったギレル騎士団員。


 学院の実習だと分かっていても、胸の奥が少し浮いた。


 キツキは制服の腰側に留めた細い鎖へ、指先で触れる。

 その先には、ワープゲートを通る前に渡されたばかりの懐中時計があった。


 ――ギレルの懐中時計。


 危険時に信号を送るための道具であり、同時に、ギレル魔法学院の生徒であることを示す証でもある。


 広場には、同じように時計を確かめる生徒が何人もいた。緊張した顔で蓋を開ける者。友人に見せて笑う者。何も言わず、制服の内側へしまい込む者。


 多くの生徒にとって、その小さな時計はただの道具ではなかった。


 ギレルの懐中時計を受け取って、初めて本当の意味でギレルの生徒になる。


 そんな言われ方をするほど、それは学院の中だけではなく、外でもギレルの名を背負う証だった。


 ふと、近くにいた生徒たちの声が、風に混じって聞こえてきた。


「これが擬似ダンジョンなの?」


「本物じゃないって言われても、信じらんねぇ」


「中に魔物もいるんだろ? それで擬似って言われてもな……」


 キツキは、入口へ向けていた視線を少しだけ動かした。


「擬似ダンジョンって、何が擬似なんだ?」


 思わず口にすると、隣のレニアがこちらを見た。


「天然のダンジョンではない、という意味よ」


「天然?」


「自然に発生したものではなく、人の手で作られ、維持されているダンジョンということ」


 レニアは、黒く口を開けた入口へ視線を戻した。


「ただし、作り物だから簡単、という話ではないわ。地形、魔力の流れ、内部に配置する魔物。すべてを安定させ続ける必要があるもの」


「……それ、かなり大変そうだな」


「かなり、では済まないわね」


 レニアは淡々と言った。


「擬似ダンジョンそのものが、世界に3つしかないわ。その中で、教育用として運用されているものはギレルだけよ」


 キツキは、思わずレニアを見た。


「3つしかないうえに、教育用はここだけ?」


「ええ」


 その横で、ブロムが少し笑った。


「だから、ギレルのダンジョン実地訓練は有名なんだ。実地環境で班行動を学べる学院は、他にないと言っていいからね」


「……この学校って、そんなにすごいところだったのか」


 口にしてから、キツキは自分でも少し間の抜けたことを言った気がした。


 入学してから、授業と課題と事件やらでずっと忙しかった。

 魔法の基礎に追いつくだけでも手一杯で、この学院が外からどう見られているのかまで、考える余裕はなかった。


 大きな学院だとは思っていた。

 けれど、世界に3つしかないものを教育用に運用している場所だったとは。


「今さら?」


 エリルが楽しそうに言った。


「別にいいだろ」


「まあ、キツキは入ってから退屈する暇がなかったしね」


「その言い方だと、俺がずっと何か起こしてるみたいじゃないか?」


「問題児」


 キュルが短く言った。


「おい、キュル」


「問題児」


「2回も言うな」


 キツキが言うと、エリルが小さく笑った。

 その軽さに、周囲の緊張が少しだけほどける。


 そこへ、低い声が広場に響いた。


「静粛に。これより説明を始める」


 ガルドの手元で、拡声用の小さな魔道具が淡く光っている。


 ガルドは、集まった生徒たちを一度見渡した。

 それだけで、ざわめきが小さくなっていく。


「これから行うのは、ダンジョン実地訓練だ。目的は、課題魔物の討伐。各班には、それぞれ課題魔物が割り当てられている」


 生徒たちの間に、小さなどよめきが走る。


 キツキも、思わず背筋を伸ばした。


 課題魔物。


 その響きだけで、胸の奥が少し跳ねる。


「種類は事前に明かさない。出たものを見て、判断しろ。教本の知識だけでなく、目の前にいる相手を観察することも訓練だ」


 キツキは、メガネの位置を指先で直した。


 何が出るか分からない。


 少し怖い。だが、それ以上に、ダンジョンというものを前にして、胸が躍っていた。


「課題魔物を討伐すれば、学院の刻印が入った討伐証が残る。それを持ち帰り、報告を済ませて達成とする」


 ガルドはそこで、入口の奥へ視線を向けた。


「ただし、課題魔物だけが中にいるわけではない。道中には別の魔物もいる。罠もある。すべて倒す必要はない。避けてもいい。進路を変えてもいい。必要なら戦え」


 罠、という言葉に、近くの生徒が小さく息を呑んだ。


「先ほど渡した懐中時計は、各自必ず携行しろ。危険だと判断した場合は信号を出せ。誰が信号を出したか、どの班か、位置は教師陣と騎士団側で確認する」


 何人かの生徒が、制服の腰側へ手をやった。

 キツキも、細い鎖の先にある重みをもう一度確かめる。


「ただし、時計を持っているから安全だと思うな。信号を出す判断が遅ければ意味がない」


 ガルドの目が、生徒たちを静かに刺した。


「怪我をしたくなければ、見て、考えろ。信号を出す判断も、退く判断も、実習のうちだ」


 その言葉で、広場の空気が少しだけ締まった。


 ただ魔物を倒せばいいわけではない。

 進むか、避けるか、退くか。


 それを班で決める。


 キツキは、隣に立つ4人を横目で見た。


 ブロムは落ち着いた顔でガルドを見ている。レニアは表情を崩さないまま、説明の一語一語を拾っているようだった。エリルはいつものように薄く笑っている。キュルは少し眠そうに見えるが、たぶん聞いている。


 5人で動く。


 その実感が、遅れて胸の中に落ちてきた。


「最後に」


 ガルドが言った。


「班から離れるな。単独行動は、評価以前の問題だ」


 その言葉に、エリルがちらりとキツキを見た。


 キツキは顔をしかめる。


「なんで今、俺を見たんだ」


「心当たりがありそうな顔をしてるね」


「ないとは言わないけどさ」


 エリルはそこで、反対側に立つレニアへ視線を流した。


「レニア姫も、キツキみたいに1人で前へ出ないでね」


 レニアの赤い瞳が、静かにエリルへ向く。


「私を彼と同じ扱いにしないで」


「今のところ、どっちも目を離すと危ないから」


「失礼にも程があるわ」


「レニアさん?」


 キツキは思わず口を挟んだ。


「今の、俺が一番かわいそうじゃないか?」


「事実」


 キュルが言った。


「そこは即答するな」


 ブロムが小さく笑った。


 その笑いで、張りつめかけていた空気が、また少しだけ緩む。


 前方で、ガルドが手元の訓練要項を閉じた。


「説明は以上だ。各班、指定された入口へ移動しろ」


 指定された入口は、広場の右手側にあった。


 同じような石門がいくつも並んでいる。入口ごとに番号が刻まれ、その前に班ごとの生徒が集まっていた。


 中で道がどう分かれているのかは、外からでは分からない。


 キツキたちの前にある門は、他と比べて特別大きいわけではない。

 それでも、内側に続く暗さは、外から見ているだけで少し息を深くさせた。


「じゃ、隊列は予定通りでいいかな」


 エリルが軽い調子で言った。


 最終確認、というにはずいぶん気楽な声だった。だが、琥珀色の目は入口の奥から離れていない。


「うん。僕が先頭に立つ」


 ブロムが頷いた。


「キツキは、僕の動きが見える位置にいてくれると助かる。後ろに下がりすぎると、こちらからも動きが拾いにくい」


「了解。前衛の見本がいるのは助かるな」


 キツキが言うと、ブロムは少しだけ困ったように笑った。


「見本と言われると、少し緊張するね」


「いや、俺からすると本当に見本だからな」


 キツキはそう言いながら、自分が立つ予定の位置をもう一度確かめた。


 前に出すぎず、下がりすぎもしない場所。


 打ち合わせの時にも確認したことなのに、実際に入口を前にすると、それだけでも考えることは多かった。


「キツキ」


 レニアが言った。


「ブロムの真後ろには立たないで。少し右にずれて」


「右?」


「ええ。そこなら、あなたも前を見られるし、私の射線にも重なりにくいわ」


 言われて、キツキは自分の立ち位置を少し変えた。


 そこでようやく、レニアがブロムとキツキの立ち位置を見たうえで指示していたことに気づく。

 少し前のレニアなら、そこまで意識は向いていなかったはずだ。


「……ここでいいか?」


「ええ」


 レニアは短く答える。

 その声に、迷いは少なかった。


「私は後ろから見てるね」


 エリルが言った。


「見てるだけか?」


「必要なら働くよ」


「必要じゃなくても働いてくれ」


「善処しまーす」


「それ、働かない人の言い方だぞ」


 キツキが言うと、キュルが小さく欠伸をした。


「……キュル、寝てないのか?」


「寝た」


「なら、なんで今あくびしたんだ」


「起きてるから」


「理由になってるようで、なってないな」


 キュルは眠そうな顔のまま、キツキの少し後ろに立った。

 いつものように、力が入っているのか抜けているのか分からない立ち方だった。


「それじゃあ、予定通りに行こう」


 ブロムがそう言って、入口へ一歩進む。


 それに合わせて、5人も動き出した。


 門の内側へ入った瞬間、外の風の音が少し遠くなる。

 代わりに、石を踏む足音が低く響いた。


 壁には、一定の間隔で魔力灯が埋め込まれている。淡い光が通路の輪郭を照らし、ところどころに刻まれた学院の管理印を浮かび上がらせていた。


 作られた場所だ。

 そう分かる。


 だが、冷たい空気も、奥へ続く暗さも、足元のわずかな傾きも、ただの訓練場とはまるで違っていた。


 キツキは、知らず知らずのうちに息を吐いた。


 怖くないわけではない。

 けれど、それ以上に胸が高鳴っている。


 異世界で、魔法学校の生徒として、仲間と一緒にダンジョンの中にいる。

 その事実だけで、足元が少し浮きそうだった。


「浮かれていると転ぶわよ」


 レニアが前を向いたまま言った。


「顔に出てたか?」


「歩幅に出ているわ」


「歩幅か……」


「あと肩」


 キュルが言った。


「肩にも出るのか」


「出てる」


「そんなに?」


「うん」


 エリルが笑いを噛み殺す。

 ブロムも、前を見たまま少しだけ口元を緩めていた。


 キツキは咳払いをして、気持ちを少しだけ引き締めた。

 浮かれて転ぶのは、さすがに格好悪い。


 改めて前を見ると、通路は緩やかに曲がっていた。


 ブロムが歩調を落とした。

 それだけで、後ろの4人も自然に速度を落とす。


 キツキも、遅れてではなく、今度は自分で足を止めた。


 曲がり角の向こうから、かすかに石の擦れるような音が聞こえていた。


 ブロムが片手を軽く上げた。

 止まれ、という合図だった。


 キツキは口を閉じ、足を止める。曲がり角の向こうから、また石の擦れるような音がした。


 魔物か。


 キツキがメガネへ意識を向けようとした、その瞬間だった。


「止まって」


 キュルが小さく言った。


 ブロムはすぐに足を止めた。上げかけていた足を、そのまま静かに下ろす。


「何かあるかい?」


「足元」


 キュルは床を見たまま答えた。


「あと、右の壁もかな」


 エリルが、少し遅れて付け足した。


 通路の石床には、細い溝が走っている。自然なひび割れにも見えた。けれど、よく見ると曲がり角の手前だけ、線の幅が妙にそろっている。


 右の壁にも、同じような細い切れ目があった。


「……罠か?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ