第48話 増えた手札、増えた迷い
キツキは、的に残った焦げ跡を見つめていた。
さっきレニアが撃った雷の跡よりも深い。自分の手のひらから走った雷が、確かにそこまで届いていた。
「……もう1回」
思わずこぼれた声に、自分でも少し遅れて気づいた。
胸の奥が熱かった。
火や水や風を初めて形にした時とも違う。
今の雷は、ただ出ただけではなく、速かった。
シビレトカゲの速さについていけなかった感覚は、まだ身体に残っている。けれど、今の雷なら、間に合うかもしれない。
キツキはもう一度、右手を的へ向けようとした。
「待って」
レニアの声が、それを止めた。
「え……?」
キツキは右手を上げかけたまま、レニアを見る。
レニアは、すぐには何も言わなかった。
的に残った焦げ跡を見て、それからキツキの手元を見る。何かを確かめるように、けれど、何を確かめればいいのか分からないように。
「……少し、用事を思い出したわ」
「用事?」
「ええ。先に戻るわ」
それだけ言うと、レニアは鍛錬区画の出口へ向かった。
キツキは何か言おうとして口を開いたが、あまりに急なことで、言葉が出てこなかった。
右手は、まだ的へ向かいかけていた。
そのまま魔力を集めれば、もう一度試せる。
けれど、キツキの目は、鍛錬区画を出ていくレニアの背中を追っていた。
扉の閉まる音が、少し遅れて響く。
キツキは的の前に立ったまま、上げかけていた手をゆっくり下ろした。
「……一体どうしたんだ?」
◇
レニアは、鍛錬区画を出てから、しばらく足を止めなかった。
どうして、自分はあんなことを言ったのか。
どうして、あの場から逃げ出すような真似をしたのか。
分からないまま、ただ歩いていた。
気づけば、図書室の前にいた。
そこでようやく、レニアは息を吐いた。
調べたいことはあった。用事を思い出した、という言葉も、完全な嘘ではない。
ただ、それがあの場を離れた理由のすべてではなかった。
図書室は、思っていたよりも人が残っていた。
ダンジョン実地訓練が近いせいだろう。
閲覧机には、魔物図鑑や、過去の実地訓練の記録を広げた生徒たちが座っている。低く抑えた話し声と、紙をめくる音が、天井の高い部屋に薄く広がっていた。
レニアはその間を抜け、属性ごとの教本が並ぶ棚へ向かった。
寮の部屋にも本はある。けれど、今確かめたい本は手元になかった。
背表紙に並ぶ属性名を見て、レニアは一度、指を止めた。
――待って。
あの時、自分はそう言った。
危険だと思ったのか。もう一度見たくなかったのか。それとも、ただ考える時間が欲しかっただけなのか。
どれも違うようで、どれも近いような気がしたが、考えても、答えは出なかった。
レニアは、雷の教本を棚から抜き、近くの閲覧机へ置いた。
本を見れば、少しは整理できる。術式図を見れば、何が起きたのかを分けられる。そう思いたかった。
開いたページには、見慣れた術式図が載っている。
何度も読んだものだった。初等術式に載っている範囲なら、目を閉じても思い出せる。
正しい形。
そう教えられてきた。そう覚えてきた。そう使ってきた。
実際、その形で結果を出してきた。
なら、キツキのあれは何だったのか。
彼は、教本をそのまま正しいものとして扱わなかった。
あのときノートに残された線は、見慣れた術式図より、少しだけすっきりして見えた。
それだけなら、ただ形を崩しただけに見える。
けれど、その形のまま雷は成立した。
レニアはページの端に指を置いたまま、動けなかった。
もう一度、同じ結果が出たら、偶然ではなくなる。
教本から外れたものを、不正解と呼べなくなる。
息を吐こうとして、うまく吐けなかった。
レニアは視線を落としたまま、ページの端を指でなぞる。
雷。
その文字のところで、指が止まった。
さっき、キツキは雷を撃った。
けれど、それが最初ではない。
火。水。氷。風。
レニアは、その1つ1つを自分の目で見てきた。
そこに、さっきの雷が加わる。
――5つ。
レニアはようやく、その数に気づいた。
レニアは、火、氷、風、雷の4属性を扱う。
それだけで、天才と呼ばれてきた。実際、王女という肩書きを抜きにしても、同年代で並ぶ者は多くない。
そんなレニアの前で、キツキは5つ目に触れた。
しかも、ただ触れただけではない。教本の形を変え、結果を残した。
ありえない、と言うのは簡単だった。
けれど、ありえないはずのものを、レニアは見てしまっていた。
考えを整理するために来たはずなのに、分からないことばかりが増えていく。
開いた教本の上で、レニアの指はしばらく動かなかった。
◇
「うーん……」
エリルは、机の上に広げた紙を指先で押さえていた。
属性、役割、実技演習での動き、野外訓練について拾えた話、不穏な噂。
いくつかの名前の横に、それらを書き込みながら、どこに誰を置くべきかを考えていた。
向かいの椅子では、キュルが背もたれに身体を預けている。
「迷ってる」
「うん。難航してるよー」
エリルはあっさり認めた。
キツキとレニアは、同じ班にしたい。
野外訓練で見えたものが、まだ残っている。あの2人を離したところで、それが消えるわけではない。むしろ、同じ場所に置いた方がいい。
そこまでは決まっていた。
問題は、そこに誰を足すかだった。
キュルの名前は、最初から候補に入っていた。本人が嫌がらなければ、という条件はつくが。
それに、あの2人には、たぶんキュルのような存在が要る。
エリルは紙の上で、キツキ、レニア、キュルの名前を指でなぞった。
3人なら、形は作れる。
けれど、その形で足りるのかは分からない。
紙の端には、別の名前も残っていた。
ブロム・アステリオン。
その名前を班に入れるかどうかで、危険の形は大きく変わる。
入れれば、戦力は増える。事態が動いた時、正面から返せる可能性も高くなる。
けれど、強い生徒を集めれば、それだけ目立つ。守りたいものを同じ場所に置くことにもなる。
それに、エリル自身が中に入るか、外に残るかでも変わる。
中に入れば、その場で判断できる。外にいれば、拾える情報と、事前に動かせるものが増える。
どちらを選んでも、薄くなる場所は出る。
エリルは紙の上に並んだ名前を見下ろし、指先で軽く端をそろえた。
向かいで、キュルが小さな焼き菓子をかじる。
「難しそう」
「うん。難しいね」
エリルは笑った。
決まったわけではない。
けれど、紙の上で名前を動かしているだけでは、これ以上進まない。
エリルは、キツキの名前の横に小さく印をつけた。
「まずは、キツキかな」
「何するの」
「お願いかな」
「お願い?」
「そう。お願い」
キュルはそれ以上、聞かなかった。
ただ、小さな焼き菓子をもう一口かじる。
知りたいことを1つ。
それで簡単に頷くとは思っていない。けれど、足を止めさせるくらいはできる。
キツキは、まだ測りきれない。
情報はある。噂もある。実際に見たものもある。
それでも、紙の上に書き込める材料だけでは、あの少年の輪郭はまだ足りなかった。
ただの勘だ。
けれど、キツキをどう動かすかで、結果は大きく変わる気がした。
◇
翌日、中央棟の掲示板前には、昨日より多くの生徒が集まっていた。
新しい告示が貼られたわけではない。そこにあるのは、数日前から変わらないダンジョン実地訓練の案内と、班申請に関する説明だけだった。
けれど、日付が近づくにつれて、同じ紙の意味が少しずつ変わっていく。
誰と組むのか。どの役割を担うのか。何を準備するのか。
低く交わされる声が、掲示板の前でいくつも重なっていた。
キツキも、その人だかりの少し外に立っていた。
昨日の雷は、一度きりでは終わらなかった。
レニアが去ったあと、結局、ひとりで何度か試した。粗さは残るが、感覚はもう掴めている。
水や風とは違う。形にしてから届くのではなく、届くまでが速い。
これなら、速い相手にも対応できるかもしれない。
そう思える手札が、ようやく一つ増えた。
「キツキ」
横から声がした。
振り向くと、エリルがいつもの薄い笑みを浮かべて立っていた。少し離れたところで、キュルが小さな菓子袋を抱えている。
「ねえ、キツキ。取引しない?」
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