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第47話 正しい形の外側

 キツキは、しばらく術式図を見つめていた。


 変えたらどうなるのか。


 思いついたままに試せるものではない。けれど、一度気づいてしまうと、その線から目を離せなかった。


 キツキは鞄からノートを取り出し、教本の雷の術式を書き写した。

 詰まって見えた場所には、いくつかの線が余計につながっている。


 そのうちの1つを消す。

 少しずらして、別の線へつなぎ直す。


 細い線の流れを、メガネ越しにもう一度追った。


 途切れてはいない。

 むしろ、さっきより軽く見える。


 キツキは息を止めたまま、しばらく自分の書いた術式を見ていた。


 答えが出た、とは思えない。

 ただ、さっきより通りやすそうには見えた。

 なぜそう見えるのかは、うまく説明できない。


 紙の上では、成立しているように見える。

 けれど、紙の上で通って見えることと、実際に魔法として出ることは別だった。


 それでも、もう確かめずにはいられなかった。


 試すなら、ここではない。


 キツキはノートを閉じ、教本を棚へ戻した。


  

 日が落ちかけた鍛錬区画には、まだ何人もの生徒が残っていた。

 的へ向かって魔法を撃つ者。防御魔法を張る者。互いに距離を取りながら、動きの確認をしている者。


 その中へ、レニアも足を踏み入れた。


 いつもの自主鍛錬のためだった。

 部屋に戻っても、考えることは変わらない。昨日のことも、今朝のことも、胸の奥に残ったままだった。


 なら、せめて体を動かしていた方がいい。

 そう思って来たはずだった。


 けれど、通路の先に見えた姿に、レニアは思わず足を止めた。

 キツキが左手にノートを持ち、的の前に立っていたからだ。


 レニアは一度、視線を外した。

 そして、別の区画へ向かおうとする。


 見られたくないところを見られたこと。

 まだ、答えを出せていないこと。

 何を言えばいいのか分からないこと。


 その全部が、ほんの少しだけ足を重くした。


 けれど、数歩も進まないうちに、レニアは眉を寄せた。


 ――どうして私が、キツキなんかを避けなければいけないの。


 そんなの、私らしくない。


 レニアは足を止め、すぐに向きを変えた。


 周囲の生徒たちは、レニアが近づいたことにすぐ気づいた。

 視線がいくつか流れてくる。


 それは、レニアにとって珍しいことではない。むしろ、普段なら少し煩わしいくらいだった。


 けれど、キツキだけは気づかなかった。

 ノートを片手に、的の前で何度も指を動かしている。


 ――朝はあんなところに気づいたくせに。


 そう思った瞬間、自分でも理由の分からない苛立ちが胸に残った。


 レニアはそのまま、キツキの隣まで歩いた。


 それでも、キツキはすぐには顔を上げなかった。

 ノートに視線を落とし、的へ向けた右手の角度を少し変えている。何かを頭の中で確かめているようだった。


 レニアは、しばらく黙ってその横顔を見た。


 まだ気づかない。

 わざとではないのは分かる。分かるけれど、それが余計に腹立たしかった。


「……何をしているの」


 レニアが声をかけると、キツキはびくりと肩を揺らした。

 持っていたノートが手元で傾き、慌てて抱え直す。


「……レニア?」


 ようやく顔を上げたキツキは、すぐ隣に立つレニアを見て、明らかに目を泳がせた。


「いつからいたんだ?」


「少し前からよ」


「……ごめん。気づかなかった」


「でしょうね」


 レニアは短く返した。


 キツキは少し困ったように視線を落とし、手にしていたノートを見た。

 朝のことを思い出したのかもしれない。


 けれど、レニアはそれ以上そこには触れなかった。触れれば、自分の方までまた余計なものを見せることになる気がした。


「それで」


 レニアは的へ視線を向ける。


「何をしていたの」


「雷魔法を、ちょっと」


「雷?」


 レニアの眉がわずかに動いた。


「あなた、雷も使えるの?」


「あー……使えるかどうか、まだ分かんない」


 キツキは少し気まずそうに、ノートへ視線を落とした。


「だから、試そうとしてた」


 レニアはすぐには返さなかった。


 キツキが火、水、氷、風に触れていることは知っている。そこに雷まで加わるのなら、聞き流せる話ではない。


 けれど、キツキはそれ以上を説明する気配を見せなかった。


「……それで?」


 レニアは、ひとまず問いを戻した。


 キツキはノートの端を親指で押さえながら、少しだけ言葉を探した。


「教本を見てたら、気になるところがあって」


「気になるところ?」


「うん。なんか、重く見えた」


 レニアは意味が分からず、キツキを見る。


 ――重い。


 雷魔法に使う言葉としては、あまり聞き慣れない。


 けれど、キツキは真面目な顔をしていた。

 ふざけているわけではなさそうだ。


 キツキは一度、気まずそうにノートに視線を落とした。

 けれどすぐに、何かを思い出したように顔を上げる。


「そういえば、レニアって雷魔法も使えたよな」


「ええ」


「クラス1の雷魔法を、見せてくれないか」


「……クラス1でいいの?」


「うん。ちょっと気になるところがあって」


 何が気になるのかは分からなかった。

 けれど、クラス1の雷魔法を見せるだけなら難しいことではない。


 レニアは小さく息を吐き、並んだ的の1つへ向き直った。


 手のひらを前にかざす。

 魔力が細く集まり、空気が一瞬だけ張りつめた。


 次の瞬間、雷光が走る。


 短い音が弾け、的の表面に細い焦げ跡が刻まれた。


 クラス1の雷魔法。

 教本にも載る、標準的な雷だった。


 キツキはメガネ越しに、その術式を追っていた。


 魔力の流れが、細く走っていく。

 その途中に、図書室で見た折れ曲がりが残っていた。


 やっぱり、重い。

 キツキは自分のノートへ視線を落とした。


「……たぶん、ここなんだよな」


「何が?」


「この辺が、詰まって見える」


 キツキはノートの上の線を指先でなぞった。

 レニアは、それを横から覗き込む。


 その拍子に、二人の距離が少し詰まった。


 キツキの指が、一瞬だけ止まる。

 けれど、レニアはそれに気づかなかった。


 ノートには、教本の術式に似た線と、そこから少しだけ変えられた線があった。


「あなたが、これを書いたの?」


「う、うん」


 キツキは近い距離を意識したのか、照れくさそうに目を逸らした。


「教本のやつを写して、変えた」


 レニアはもう一度、ノートに視線を落とした。


「……それを今から使うつもりなの?」


「試してみる」


 キツキは短く答え、ノートを閉じた。


 頭の中で、書き直した線をもう一度なぞる。

 余計なつながりを消し、少しずらして、別の流れへつなぎ直す。


 キツキは手のひらを、その隣の的へ向けた。

 魔力が細く、まっすぐに集まる。


 次の瞬間、鋭い音を立てて雷光が走った。

 さっきのレニアの雷よりも速く、的に刻まれた焦げ跡も深い。


 少し離れた場所で鍛錬していた生徒が、こちらを振り向いた。

 それにも気づかないまま、キツキもレニアも、しばらく動かなかった。


 キツキは自分の手のひらを見て、それから的を見る。


「……出た」


 小さくこぼれた声には、驚きと、抑えきれない喜びが混じっていた。


 レニアは、キツキが撃った的に刻まれた焦げ跡を見ていた。


 さっき自分が放った雷よりも、明らかに速い。

 焦げ跡も、深い。


 同じクラス1の雷魔法のはずだった。


「今の……」


 レニアはゆっくりとキツキへ視線を向けた。


「本当に、クラス1なの?」


「たぶん」


「たぶん?」


「教本に載ってたクラス1を元にしたから」


 キツキは少し困ったように、閉じたノートを見下ろした。


「でも、少し変えた」


 それは、レニアもノートを見た時点で分かっていた。


 分からないのは、その先だった。

 教本に載っている術式は、正しい形として覚えるものだ。

 そこに手を加えるという発想が、レニアにはなかった。


「……どうして、教本の術式を変えようと思ったの?」


「こっちの方が通りやすそうな気がしたから」


 説明は、それだけだった。


 理屈が整っているわけではない。

 術式理論として順序立てて語られているわけでもない。


 ただ、そう見えたから変えた。

 そう言っているようにしか聞こえなかった。


「そんなことで……」


 レニアは言いかけて、言葉を止めた。


 そんなことで魔法が変わるはずがない。

 そう言いたかった。


 けれど、目の前の的には焦げ跡が残っている。

 今の雷は、確かに走った。自分が放ったクラス1の雷よりも速く、焦げ跡も深い。


 教本の術式は、正しいもの。

 レニアは、そう教えられてきた。


 フォルテア王家で学ぶ魔法も、学院で学ぶ魔法も、まずは正しい形を覚えるところから始まる。

 正しい術式を覚え、正しい手順で組み、正しい出力で放つ。


 そうして積み上げてきたものを、レニアは疑ったことがなかった。


 けれど、キツキは教本の形を変えた。

 正しいはずの形から外れて、それでも魔法を成立させた。


 なぜそうなったのかは、まだ分からない。

 分からないのに、目を逸らせなかった。


 レニアは、焦げた的からキツキへ視線を移した。


 今まで疑わずに立っていた足元に、はっきりと亀裂が入った。

ここまで読んでくださってありがとうございます!


基本、毎日2話更新です!


続きが気になる、また読みに来てもいい、と思っていただけましたら、

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