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第46話 ここ、変えたらどうなるんだ?

 翌朝の教室は、いつもと大きく変わらなかった。


 何人かの生徒が席で教本を広げ、別の何人かは小さな声で昨日の鍛錬やダンジョン実地訓練の話をしている。


 エリルは机に頬杖をつきながら、隣で半分眠っているキュルを横目で見た。


 昨日の野外訓練のことは、夜のうちにキュルから聞いていた。


 詳しい感想を期待する相手ではない。けれど、キュルが見たものだけを短く並べれば、それで十分だった。


 少し遅れて、教室の扉が開いた。


 レニアが入ってくる。


 髪も、制服も、歩き方も、いつも通り整っていた。薄く整えられた化粧にも乱れはない。


 ただ、目元だけは、普段より少し丁寧に色を重ねている。


 隠そうとしているからこそ、エリルには分かった。


 眠れなかったんだな、と。


 キツキも、すぐに顔を上げた。


 気づくだろうな、とエリルは思った。たぶん本人が思っているより、キツキはずっとレニアを見ている。


 レニアは何もなかったようにいつもの席へ向かい、静かに腰を下ろした。


 その少し後で、キツキが席を立つ。


 声をかけるまでに、ほんの少しだけ迷っているのが分かった。


「……レニア」


 キツキが、レニアの席の近くで足を止めた。


「もしかして、あんま寝てないのか」


 レニアの赤い瞳が、すっとキツキへ向く。


「……少し早く起きただけよ」


「でも、目元が――」


「うるさいわね」


 声は少しだけ鋭かった。


 けれど、レニアはすぐに視線を外した。怒っているというより、見られたくないところを見られたような反応だった。


 キツキは、一瞬、言葉を飲み込んだ。


「……悪い」


 小さく言って、キツキは自分の席へ戻ってきた。


 エリルは小さく笑って、鞄から包み紙に入った飴を一つ取り出した。


 昨日のことは、レニアにとって優しいものではなかったのだろう。


 けれど、悪いものでもなかった。


「キツキ」


 戻ってきたところで、横から差し出す。


「ご褒美あげる」


「……何のご褒美だ?」


「さあ?」


 エリルは楽しそうに笑った。


 教える気はなかった。


 ほどなくして、教室の扉がもう一度開いた。


 ガルドが入ってくると、それまで小さく揺れていた声が少しずつ静まっていった。


 ガルドは教卓の前に立ち、手にしていた紙束を置く。


「ダンジョン実地訓練の班申請について説明する」


 その一言で、教室の空気が変わった。


 何人かの生徒が顔を上げる。教本を読んでいた生徒も、手を止めた。


「今年は、3人から5人までの申請制になる」


 ざわ、と小さな声が広がった。


 キツキも思わず背筋を伸ばした。


 3人1組だと思っていた。班別実技演習も、その前提で動いていたはずだ。


 だが、ガルドはざわめきを止めるように教室を見渡しただけで、声を荒げることはしなかった。


「ただし、自由に組めばそれで通るわけではない。チーム全体のバランスを見て、最終承認は学院側が行う」


 紙束が列の端へ渡される。


「申請期限は月曜までだ。期限までに申請のない者、または申請が承認されなかった者は、学院側で編成する」


 隣の席から回ってきた紙を受け取り、キツキは目を落とした。


 実施場所は、学院が管理する実習用ダンジョン。


 班人数は3人から5人。


 申請期限は月曜。


 魔道具の持ち込みは可能。


 細かい注意事項が、思ったよりも細かい字で並んでいる。


「同じ内容は中央棟の掲示板にも出す。細部は資料を読め」


 ガルドは短く言った。


「読まずに失敗した、は通らない」


 その言葉に、教室の空気が少しだけ締まった。


 キツキはもう一度、紙に視線を落とす。


 ダンジョン実地訓練があることは、分かっていた。


 あと5日しかないことも、分かっていたはずだった。


 それでも、申請期限や班人数がこうして並ぶと、予定ではなく、もう自分の前に置かれたものに見えた。


 文字が、急に重くなる。


 やがて、授業はいつも通りに始まった。


 教室の空気が少しずつ日常へ戻っていく中で、キツキの頭には昨日のシビレトカゲの速さが残っていた。


 水も風も、使えはした。


 けれど、どちらもまだ粗い。


 昨日だって、最初の速さには間に合わなかった。立て直した後で、どうにか使っただけだった。


 本当なら、水と風をもっと安定させるべきなのだと思う。


 それは分かっていた。


 けれど、もっと速い魔法はないのか。


 速さで遅れない方法はないのか。


 その考えが、頭から離れなかった。



 放課後になると、キツキは訓練場ではなく、図書室へ向かった。


 ギレル魔法学院の図書室へ入るのは、初めてだった。


 扉をくぐった瞬間、思わず足が止まる。


 ――広いな。


 高い天井まで伸びる書架が、奥へ奥へと並んでいる。古い紙と革の匂いが薄く漂い、遠くの机では何人かの生徒が静かに本を開いていた。


 紙をめくる音。椅子を少し引く音。棚の間を歩く足音。


 小さな音だけが、広い空間の中で控えめに響いている。


 キツキは入口近くのカウンターへ向かった。


 そこにいた職員らしい人物が、顔を上げる。


「初等攻撃魔法の教本を探してるんですけど」


 そう言うと、職員は少しだけ棚の方へ視線を向け、丁寧に場所を教えてくれた。


 キツキも丁寧に礼を言って、示された棚へ向かった。


 火、水、風、雷、土。


 属性ごとの教本が棚に並び、その隣には初等魔法をまとめた薄い教本も何冊か差し込まれていた。


 背表紙に並ぶ属性名を見ているだけで、自分がまだほとんど何も知らないことを思い知らされる。


 キツキは薄い教本の中から、初等攻撃魔法と書かれた一冊を抜き取った。


 近くの閲覧机に腰を下ろし、キツキはメガネの位置を直してから教本を開いた。


 初等攻撃魔法。


 火、水、風、雷、土。


 それぞれの属性ごとに、基本になる術式図と説明が並んでいる。


 火、水、風。


 どれも、一度は自分の魔力で形にしたことがある。


 けれど、教本に並ぶ術式図は、キツキが実際に動かした時の感覚と少し違って見えた。


 似ているが、同じではない。


 教本の中の魔法は、もっと整っていた。


 自分が使ったものは、そこへ無理やり近づけただけなのだと分かる。


 だから本当なら、このまま水や風のページを読み込んで、精度を上げるべきなのだろう。


 それでも、指は次のページをめくっていた。


 雷属性。


 その文字で、手が止まる。


 特別な理由があったわけではない。ただ、妙に目についた。


 クラス1雷魔法。


 教本には、そう書かれている。


 キツキは術式図に視線を落とした。


 メガネ越しに見える魔力の流れは、細く、鋭い。


 けれど、妙に重い。


「……重い?」


 思わず小さくつぶやいてから、キツキは眉を寄せた。


 火や水や風の初等魔法とは違う。クラス1と書かれているのに、流れの中に折れ曲がりが多く見えた。


 雷だから、そういうものなのかもしれない。


 そう思って、キツキは次のページへ進んだ。


 土属性。


 自分で使ったことはない。けれど、メガネ越しに見える術式の流れは、火や水や風と大きく外れているようには見えなかった。


 少なくとも、雷ほど引っかからない。


 キツキはもう一度、雷属性のページを開いた。


 やっぱり、違う。


 教本に載っている以上、基礎として認められている術式なのだろう。


 それでも、キツキの目は一か所で止まった。


 魔力の流れが、そこで少しだけ詰まっている。


 間違っているわけではないのだと思う。


 けれど、完成している形には見えなかった。


 キツキは指先で、術式図の線をなぞった。


「……ここ、変えたらどうなるんだ?」

ここまで読んでくださってありがとうございます!


基本、毎日2話更新です!


続きが気になる、また読みに来てもいい、と思っていただけましたら、

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