第45話 答えにならない魔法
ずっと1人で戦っていたのか。
その答えは、すぐには出なかった。
敵は見えていた。
魔法も、外してはいなかった。
それなのに、キツキは動けなくなった。ラクスも、合わせづらそうにしていたのだとキツキは言った。
なら、自分は何を見ていたのか。
レニアは唇を開いた。
「私は……」
その先を声にしようとした瞬間、石の陰でシビレトカゲが乾いた声を上げた。
低く身を沈めていた暗い鱗の個体が、喉元を青白く瞬かせる。残っていた数体も、それに合わせるように地面を掻いた。
まだ、終わっていない。
キツキが1歩、前へ出た。視線はシビレトカゲから外していない。
「先に、あいつらをなんとかしよう」
レニアは一拍遅れて、頷いた。
「え、ええ……」
杖を構えて、状況を見る。
いつも通り、敵の位置を数えた。
左へ回り込む個体。正面に残る個体。暗い鱗の個体。
どこを止めればいいかは、すぐに分かる。
だから、そのまま撃とうとした。
けれど、杖先がわずかに止まった。
それだけでは、いけない。
キツキはどこにいて、どこへ下がれるのか。
それを見なければ。
そう思った瞬間、魔法を撃つ手が、わずかに遅れた。
暗い鱗の個体が、地面すれすれに走り出す。
速い。
レニアは杖先を向ける。
だが、その前で、キツキが動いた。
さっきのように足を止めてはいない。
前に出すぎない位置で踏みとどまり、シビレトカゲの進路を絞るように半身をずらす。
一度見た速さを、今度は織り込んでいる。
そう分かったからこそ、レニアは一瞬だけ迷った。
キツキの動きに合わせるなら、どこを止めるべきか。
敵だけを見れば、撃つ場所はすぐに分かる。
けれど、今はそれだけではいけない。
冷気が地面を走る。
暗い鱗の個体の足元から氷が突き上がった。だが、ほんのわずかに遅い。シビレトカゲは体をひねり、完全には止まらないまま横へ跳ねた。
「っ」
レニアの息が詰まる。
動きは鈍らせたが、止めきれていない。
シビレトカゲがキツキの横を抜けようとする。
キツキは崩れなかった。
半歩ずれて進路をふさぎ、同時に足元へ魔力を落とす。
土の上に薄く水が広がった。シビレトカゲの爪が濡れた地面を掻き、動きがわずかに乱れる。
それは、一瞬だけ足を取るためのものだったが、それでよかった。
横へ抜けようとしていたシビレトカゲの動きが、わずかに詰まる。
その隙間を、キュルは見逃さなかった。
足元から影のような魔力が伸び、地面を滑る。
それはシビレトカゲの腹の下へ潜り込み、黒い針のように跳ね上がった。
短い痙攣のあと、シビレトカゲは土の上に落ちた。
もう、動かなかった。
キュルは何も言わず、もう次の個体を見ていた。
右の石陰から、灰緑色の1体が低く飛び出してくる。
レニアは杖を向けた。
撃つ前に、キツキを見る。
キツキは前にいる。そして、横にはスペースがあり、下がる場所もある。
なら、塞ぐべきは敵の進路だけ。
レニアは息を吸った。
冷気が地面を叩く。
突き上がった氷が、飛び出したシビレトカゲの足元を捉えた。灰緑色の体が宙で崩れ、土の上を転がった。
止めた。
だが、いつもより遅い。
そう思うより早く、最後に残っていた1体が柵の方へ逃げようとした。
「っ、行かせない」
レニアの声は、少しだけ遅れた。
それでも、魔法は届く。
逃げる先の地面が白く凍り、シビレトカゲの足が滑った。体勢を崩したところへ、キツキが距離を詰める。
今度は、ただ前に立つだけではなかった。
キツキは手のひらに風を集めた。
大きな魔法ではない。形も荒い。けれど、近い距離なら押し込める。
「っ、らぁ!」
短く吐き出した風が、シビレトカゲの小さな体を横から叩いた。
吹き飛ばすほどではなかったが、逃げようとしていた体勢を崩すには十分だった。
その動きに合わせて、レニアは氷を走らせた。
今度は、キツキの足元を避けて。
氷がシビレトカゲの周囲だけを囲むように立ち上がる。小さな体が跳ね、やがて動きを止めた。
静かになった。
土を掻く音も、鱗が石にこすれる音も、もう聞こえない。
レニアは杖を構えたまま、周囲を見た。
石の陰。柵の近く。
そして、キツキの足元。
動く影は、もうなかった。
ようやく、杖を下ろす。
終わった。
迷いのせいで、判断は遅れた。
それでも今度は、撃つ前にキツキを見て、その動きに合わせて、氷を走らせた。
味方と一緒に戦うということは、できたはずだった。
それなのに、敵しか見ていないと言われたことだけは、ずっと胸に残っていた。
少し離れた場所にいたギレル騎士団の1人は、最後まで動かなかった。
レニアの侍女らしい女性も、こちらを見てはいるが、口を挟む気配はない。
危ないところはあった。けれど、手を借りずに終わらせた。
キツキは息を吐いて、足元に倒れたシビレトカゲを見下ろした。
「……何とかなったな」
軽く言ったつもりなのだろう。
けれど、その声は少しだけ硬かった。
レニアはすぐに返せなかった。
何とかなった。
確かに、そうだ。
誰も大きな怪我はしていない。残っていたシビレトカゲも倒した。野外訓練として見れば、失敗とは言われないかもしれない。
それでも、胸に残っているものは消えない。
「レニア」
キツキが、少し迷ってから言った。
「さっきはレニアのことを言ったけど、俺も前衛としては全然だったと思う」
レニアは顔を上げた。
キツキは、少し困ったように笑っていた。
「最初、完全に止まったし。足場も見れてなかったし。動きも、全然追いつけてなかった」
「それは……」
違う、と言いかけて、レニアは言葉を止めた。
違わない。
キツキは実際に足を止めた。けれど、そこには自分の氷もあった。
どちらか1人だけの話ではない。
「だから、俺の動きで気になるところがあったら、遠慮なく言ってほしい」
キツキはそう言った。
「レニアだけの話にするのは、絶対に違うから」
レニアは、すぐには答えられなかった。
言うべきことがないわけではない。
けれど、何をどう言えばいいのかが、まだ形になっていない。
自分は、キツキの何を見ていたのか。
どこまで見えていたのか。
そこから分からなくなっている。
「……今は、すぐには言えない」
ようやく出た声は、自分でも思ったより小さかった。
「少し、考えさせて」
「……分かった」
キツキはすぐに頷いた。
責めるような顔はしていない。
そのことに、少しだけ救われて、同じくらい苦しくなった。
その横で、キュルが倒れたシビレトカゲを一度見てから、2人を見た。
「まだ、ばらばら」
短い声だった。
キツキが何かを言いかけて、口を閉じる。
レニアも、何も返せなかった。
キュルはそれ以上言わず、ポケットから小さな飴を取り出して口に入れた。
自分の言葉で2人が黙ったことを、気にしている様子はほとんどなかった。
倒したシビレトカゲの処理は、離れて控えていたギレル騎士団員に任せることにな
った。
申請の報告に必要な確認だけを済ませると、キツキたちは学院へ戻るため、来た道を引き返した。
帰り道では、誰もなかなか口を開かなかった。
古い柵の近くを離れ、林の影が後ろへ遠ざかっていく。低い斜面を抜ける風が草を揺らしている。キツキにはその音ばかりが妙にはっきり聞こえた。
何か言った方がいい。
そう思うのに、言葉が見つからなかった。
レニアは、ずっと考え込んでいるように見えた。
やっぱり、傷つけたのだと思う。
一瞬、言わなければよかったのかもしれない、と思った。
けれど、言わない方がよかったとも、どうしても思えなかった。
だからこそ余計に、次の言葉が見つからなかった。
「……その、なんだ。……無事に終わってよかったな!」
キツキは、できるだけ明るい声で言った。
明るくしようとした、つもりだった。
「うん」
キュルが、いつも通りの声で言う。
口の中で飴を転がしているせいか、少しだけ声が丸い。
「……ええ」
少し遅れて、レニアも頷いた。
それだけで、会話は終わった。
キツキは、自分の気の利かなさを恨んだ。
こういう時、エリルならもう少しうまく空気を変えられたのだろうか。
たぶん変えられた気がする。
少なくとも、無事に終わってよかったな、だけで押し切ろうとはしなかったはずだ。
いや、無事に終わってよかったのは本当なのだが。
それでどうにかなる空気ではなかった。
その後は、誰も無理に話そうとはしなかった。
キュルだけはいつもと変わらない足取りで歩いていたが、キツキもレニアも、最後までうまく言葉を見つけられないまま学院へ戻った。
◇
その夜、レニアはなかなか眠れなかった。
ベッドに横になっても、目を閉じるたびに昼間のことが浮かぶ。
足を止めたキツキ。
こちらを見ていたキュル。
責めるような目ではなかった。
それなのに、その目がどうしても残った。
――敵しか見てない。
――まだ、ばらばら。
短い言葉ばかりなのに、どれも胸の奥に残って離れなかった。
レニアは寝返りを打った。
布がこすれる音だけが、やけに大きく聞こえた。
否定できなかった。
キツキに改善点を聞かれても、すぐには答えられなかった。
何も見えていなかったわけではない。敵の位置も、動きも、数も見えていた。魔法だって外していない。
それで、後ろに立つ役目を果たせていると思っていた。
けれど、それだけでは足りないのだと、今日、思い知らされた。
レニアはゆっくりと体を起こした。
体は疲れているはずだった。
昼間の訓練で足も腕も重い。考え続けたせいか、頭の奥も鈍く痛んでいる。
それでも、眠れる気はしなかった。
机に向かい、開いたままにしていた戦術書に視線を落とす。
けれど、文字は目に入っても、意味までは入ってこなかった。
数行読んでは、昼間の声が戻ってくる。
――味方がどう動こうとしてるかも見てほしい。
レニアは本を閉じた。
このまま読んでいても、ただ時間を浪費するような気がした。
しばらく黙って座っていたが、やがてレニアは立ち上がった。
寝巻きから訓練着に着替え、上着を羽織る。
部屋を出ると、夜風が頬に触れた。
少し冷たい。
けれど、疲れた体と、考え続けて熱を持った頭には、その冷たさがかえって心地よかった。
向かった先は、学院の訓練場だった。
夜の訓練場には、人の気配がほとんどなかった。巡回の明かりだけが、遠くに見える。目の前には、灯りに照らされた的だけが、静かに並んでいる。
レニアは杖を構え、息を整えて魔力を流した。
的の足元から氷が突き上がる。
狙いは外れていない。遅れてもいない。
もう一度撃っても、氷は同じように的を捉えた。
正確だった。
いつも通りに。
けれど、だからこそ分かってしまう。
今日の問題は、魔法を外したことではなかった。
訓練場には、退路を探す味方も、合わせようとする誰かもいない。
どれだけ正確に撃てても、それは1人で魔法を撃っているだけだった。
それでも、レニアは杖を下ろせなかった。
氷だけが、灯りの下で静かに光っていた。
ここまで読んでくださってありがとうございます!
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