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第4話 救出イベントは成功したはずだった

『放っておいてほしかった』


 治療室の寝台に腰かけてからも、その言葉だけがキツキの頭に残り続けていた。


「右手を出して」


「ああ、はい」


 言われるまま差し出すと、白衣を着た女性がキツキの手のひらに触れた。


 淡い光が傷口を包み、フレームが食い込んでできた赤い痕が少しずつ薄れていく。脇腹と頬もすでに治療を受け、先ほどまで続いていた痛みは随分と軽くなっていた。


「どれも浅い傷だから心配はいらないわ。治療も順調だし、明日には――」


 治療担当者の説明が続いていたが、半分も頭に入ってこなかった。


 命懸けで救出した。しかも、あれほど危険な結界の中に飛び込み、傷だらけになりながら彼女を助けたのだ。


 普通なら感謝される。少なくとも、好感度が下がるような出来事ではないはずだった。


「……高度な照れ隠し、とか?」


 思わず呟くと、治療担当者の手が止まった。


「何か言った?」


「いえ。何でもないです」


 キツキは咳払いをして、視線を逸らした。


 そうだ。もしかすると、あれは高度すぎる照れ隠しだったのかもしれない。王女という立場上、素直に感謝することができず、つい反対の言葉を口にしてしまった。


 ――放っておいてほしかった。


 なるほど。


 そう考えれば、まったく理解できなくも――。


「いや、無理があるだろ……」


 あのときのレニアは、恥ずかしがってなどいなかった。


 声は冷たく、表情には明らかな落胆が浮かんでいた。助かったことを喜んでいるようにすら見えなかった。


 では、一体あれは何だったのか。


「さっきから、何をぶつぶつ言っているの?」


「ちょっと、助けた相手になぜか嫌がられた理由を考えてまして」


「……治療中に考えること?」


「俺にとっては結構な大問題なんです」


 女性は呆れたように息を吐き、再び治療に意識を戻した。


 淡い光が手のひらを包む。だが、キツキの頭には、片膝をついて自分を見つめていたレニアの顔しか浮かばなかった。


 近くで見た彼女は、やはり驚くほどかわいかった。あんな少女に目の前で見つめられれば、救出イベントの続きを期待したくもなる。


 むしろ、あの状況から恋愛イベントに発展しない方がおかしくないか。


 そう自分に言い聞かせかけて、キツキは眉を寄せた。本当に、ただ嫌がられただけなのだろうか。


 レニアは結界の中で、助けを求めなかった。


 水晶から手を引き離そうとはしていた。だが、泣き叫ぶことも、誰かに縋ることもなく、どこか結末を受け入れているように見えた。


 そして、助かった直後に口にした言葉が、あれだ。


 ――もしかして、本当に助かりたくなかったのか?


 そこまで考えた瞬間、先ほどまでの軽い困惑が急に重くなった。


 キツキは治療の光に包まれた手を見つめる。


 だが、考えたところで答えは出ない。


 彼女がどんな人生を送ってきたのかも、どうしてあんな顔をしていたのかも、キツキは何1つ知らなかった。


「はい、終わり」


 治療担当者が手を離した。


「今日は無理をしないこと。傷は塞いだけれど、体力まで戻ったわけではないから」


「あ、はい。ありがとうございます」


「今度は聞いていた?」


「最後の方だけは」


 女性の目が細くなり、キツキは慌てて寝台から立ち上がった。脇腹にはまだ鈍い痛みが残っているものの、歩くのに支障はなさそうだった。


 治療室の扉に向かいながらも、頭からレニアの言葉は消えない。


 高度な照れ隠しではない。それだけは、さすがに分かった。


「……じゃあ、一体何だったんだよ」


 答える者のいない呟きだけが、静かな治療室に落ちた。



 治療室を出ると、白い石造りの廊下に午後の光が差し込んでいた。


 窓の外では、先ほどの騒動などなかったかのように、学院の大小の塔が青空の下に並んでいる。


 治療は終わったが、レニアの言葉に対する答えは出ないままだった。


 恋愛イベントとして考えれば、始まる前に選択肢を間違え、好感度を大幅に下げたような結果だ。


「いや、選択肢なんて出てなかっただろ……」


 キツキが1人で呟きながら歩いていると、廊下の先で午後の光を受けた銀髪が揺れた。


 それだけで、誰なのか分かった。


 数人の教師と見覚えのある女性の護衛に囲まれ、その中央をレニアが歩いていた。


 右手には白い布が巻かれている。歩調は乱れていないものの、その足取りはわずかに重く見えた。


 キツキは思わず立ち止まった。


 無事を確かめたい。あの言葉の意味も聞きたい。だが、声をかけようとした瞬間、「放っておいてほしかった」という言葉が頭をよぎった。


 結局、何も言えないまま、遠ざかっていくレニアの後ろ姿を見送った。


 腰の下まで伸びた銀髪が、歩くたびに静かに揺れている。本当なら今頃、少しくらい仲良くなっていたはずなのに。


 どうしてこうなった。


 そんなことを考えていたはずが、キツキの視線はいつの間にか、揺れる銀髪に引きつけられていた。


「……後ろ姿まで、すごいな」


 深刻なことを考えていたはずなのに、結局そこへ戻ってしまう。


 キツキは我に返り、小さく頭を振った。


 そのとき、レニアがわずかに足を緩めた。振り返ったわけではない。ただ、何かが気になったように顔を横に向けた。


 しかし、護衛の女性が声をかけると、そのまま再び歩き出した。やがて一行は廊下の角を曲がり、見えなくなった。


「次に会ったら、ちゃんと聞いてみるか」


 どうして、あんなことを言ったのか。


 答えてくれるかは分からない。むしろ、再び拒絶される可能性の方が高い気もする。それでも、曖昧なままにはしておけなかった。


「キツキだな」


 突然、背後から名前を呼ばれた。


 振り向くと、濃紺の長衣を着た男性教師が立っていた。年齢は40歳前後だろうか。短く整えられた黒髪と、鋭い灰色の目をしている。


 その隣には、書類を抱えた女性職員もいた。


「はい。そうですけど」


「治療は終わったようだな」


 教師はキツキの頬と脇腹を一度確認し、手元の書類に目を落とした。


「先ほどの検査装置の件について、いくつか確認したいことがある。少し同行してもらう」


 口調は穏やかだった。しかし、断れる雰囲気ではない。


 キツキは、レニアたちの姿が消えた先に一度だけ視線を向けてから、教師に向き直った。


「……事情聴取みたいなものですか?」


「正しい事実を確認するための聞き取りだ」


 教師はそう答え、キツキに背を向けた。


「君が、何を知っているのかも含めてな」


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