第39話 課題の形
ブロムは、静かに訓練区画の中央へ出た。
その後ろに、レニアとラクスが続く。
さっきまで自分が立っていた場所に別の前衛が立つだけで、空気が少し変わったように見えた。
ブロムは堂々と前に立ち、腰の剣へ手をかけた。
キツキは、まだ乱れの残る呼吸を抑えながら、その背中を見ていた。
レニアは少し後ろに立ち、いつものように表情を整えている。ラクスも、支援位置へ静かに下がった。
「始めよう」
ガルドの声に、床の術式が光る。
現れたのは、さっき自分たちが相手をしたものと同じ、4匹のフォアウルフだった。
次の瞬間、4匹が一斉に低く身を沈める。
キツキは思わず肩に力を入れる。
さっきは、ここで動きに追いつけなかった。
左右に散る影を止めようとして、エリルの射線を塞ぎ、ザッカの支援からも外れた。何を優先すればいいのか分からないまま、足だけが半端に動いた。
だが、ブロムは動かなかった。
いや、動いていないように見えただけだった。
ブロムの足元に、淡い光がにじむ。
次の瞬間、右へ散ろうとした1匹の前に、ブロムの剣先が置かれていた。
斬り込んだわけではない。
ただ、進む先を塞がれたフォアウルフが、わずかに進路を変える。その先には、レニアの射線が通っていた。
キツキは息を止めた。
自分なら慌てて追いかけていた動きの先に、ブロムはもう立っていた。
レニアの手元に、火が灯る。
ブロムが進路を変えたフォアウルフは、そのままレニアの前へ流れていく。
けれど、ブロムはそれを追わない。
剣先をわずかに下げ、別の1匹が横へ抜ける角度だけを潰した。
レニアの火が走った。
細く、速い。
赤い線のような炎がフォアウルフの体を貫き、灰色の影が術式へほどける。
その間にも、残った3匹は止まっていなかった。
1匹がブロムの正面へ飛びかかる。
ラクスの手元から、薄い光の膜が走った。それはブロムの前へ滑り込み、牙の勢いをわずかに殺す。
ブロムはその膜を待っていたように半歩踏み込み、剣の腹でフォアウルフの体を横へ流した。
受け止めず、後ろへ行かない向きにだけ変える。
キツキは、思わず息を呑む。
前に立っているのに、後ろの邪魔をしていない。
支援からも外れていない。
それどころか、支援が来る場所まで分かっているように動いている。
「すげ……」
声が漏れた。
横で、エリルが小さく笑う。
「ブロムだけ見てると、見えないものがあるよ」
「見えないもの?」
「後ろ」
エリルに言われて、キツキはブロムの背中から視線をずらした。
レニアが、後衛位置で構えている。
その少し横で、ラクスが支援の術式を組み始めていた。
ラクスは本来、後ろから撃つ側の生徒だった。他の班なら、後衛を任されてもおかしくないだけの力はある。
けれど、この班にはレニアがいる。
だからラクスは、支援に回っていた。
その動きが悪いわけではない。足元から伸びる淡い術式は、迷わずレニアの立つ位置へ向かっている。ただ、定着するまでに一拍必要だった。
その一拍よりも早く、レニアの手元から火が走り、まっすぐにフォアウルフを貫いた。
灰色の影が術式へほどける。
結果だけ見れば、何も失敗していない。
だが、遅れて届いたラクスの術式だけが、使われないままレニアの足元で薄れていった。
ラクスは、その消えていく光を一度だけ見た。
「……姫には、少し遅かったようですね」
その丁寧な声には、皮肉が薄く混じっていた。
「ええ。もう少し早い方がいいわ」
レニアは、いつもの表情のまま答えた。
悪意はない。
ただ、真剣に演習へ向き合っているからこそ、それがラクスにどう届くかまでは見えていなかった。
ラクスの目元が、わずかに硬くなる。
その空気を断ち切るように、残ったフォアウルフが低く身を沈める。
ブロムは何も言わず、その進路を剣先でずらした。
その間に、ラクスの術式がもう一度レニアの足元へ伸びる。今度は火が走るより先に、薄い光の線が形を結んだ。
レニアの炎が、それを踏むように放たれる。
フォアウルフの体が揺らぎ、術式へほどけていった。
そこから先は、崩れなかった。
ブロムは前に出すぎない。下がりすぎもしない。
ラクスの薄い膜が伸びれば、その位置へ足を置く。レニアの射線が通る場所へ、フォアウルフを流す。
剣を握る手にも、呼吸にも、余計な力が見えなかった。
目立つ動きではない。
けれど、さっき失敗したばかりのキツキには、その難しさが分かった。
自分が何度も踏み外した場所を、ブロムは一度も踏まない。
最後の1匹が低く跳ねる。
ブロムは剣を振り抜かず、横へ進路を削った。
その先で、レニアの火が待っている。炎が走り、フォアウルフの輪郭が揺らいだ。
低い唸り声だけを残して、最後の影が術式へほどけていく。
「そこまで」
ガルドの声で、最後の術式の光が薄れていった。
ブロムは剣を下ろし、レニアは手元の火を消す。ラクスも静かに術式を解いた。
ガルドは三人を一度だけ見たが、その場で細かい評価は口にしなかった。
「次」
キツキは息を吐くのも忘れて、訓練区画の中央を見ていた。
ブロムは、やっぱりすごい。
それは間違いなかった。
だが、エリルに言われて後ろを見たせいか、キツキの目には別のものも残っていた。
レニアの火は、最後まで外れなかった。ラクスの支援も、失敗していたわけではない。
それでも、レニアはずっと一人で戦っているように見えた。誰かと一緒に戦っているようには、見えなかった。
その違和感をうまく言葉にできないまま、次の班が呼ばれ、その後も演習は順に続いていく。
前衛が先に出すぎる班もあれば、後衛の魔法に支援が追いつかない班もあった。支援だけが先走り、誰もその位置を使えない班もある。
ガルドはその場では細かく止めず、すべての班の演習が終わったあと、生徒たちを前に集めた。
「察しのいい者は気づいているだろうが、この演習は次の実地訓練を見据えたものだ」
ざわめきが、訓練区画に広がった。
「近いうちに、お前たちはダンジョンに入る」
その言葉に、空気が一段重くなる。
「前衛は、前に出るだけでは足りない。後衛は、撃てるからといって勝手に撃てばいいわけではない。支援も、置くだけでは意味がない」
ガルドは、生徒たちを一人ずつ見るように視線を動かした。
「今日うまくいかなかったところを、ただの失敗で終わらせるな。ダンジョンでは、同じ失敗がそのまま怪我につながる」
そこで一度、声が低くなる。
「各自、今日見えた課題を頭に叩き込んでおけ。次は、相手が術式に戻って終わるとは限らない」
ガルドの言葉は、キツキの中に残った。
前に出るだけでも、撃てるだけでも、支えられるだけでも足りない。
自分が失敗した理由にも、ブロムたちの班に感じた違和感にも、同じことを言われている気がした。
少し離れたところで、エリルがキツキの方を見ていた。
目が合うと、エリルは小さく笑った。
何も言わない。
けれど、キツキが何を見たのかだけは、分かっているような顔だった。
◇
その日の夜。
女子寮の一室で、エリルは机に頬杖をついていた。
気の抜けた姿勢だったが、目元の緩さはなかった。
向かいには、昼間の演習に姿を見せなかったキュルが座っている。
「で、サボりの成果は?」
「サボりじゃない。頼んだの、エリルでしょ」
「そうだったかな」
「はい。これ」
キュルは眠そうな目のまま、折りたたんだ紙を机の上に置いた。
「ダンジョン実習の件。やっぱり、変だった」
エリルの指先が、机の上で止まる。
「どこまで?」
「クルエルヴェールの名前が出てる。フォールンが動くって」
部屋の空気が、静かに冷えた。
「学院に言うの?」
キュルが聞いた。
エリルは、机の上の紙を指先で押さえた。
「言えないよ」
「出どころ?」
「それもある。証拠として出せる形じゃないし、下手に騒げば向こうに気づかれる」
「じゃあ、なんにもしないの?」
「そんなに冷たく見える?」
「見える」
キュルは眠そうな目のまま、はっきりと言った。
エリルは少しだけ目を細めると、机越しに手を伸ばし、キュルの両頬を軽く挟んだ。
「このこの~。言うようになっちゃって」
「聞かれたから答えただけ」
むに、と頬を挟まれたまま、キュルは表情を変えずに返す。
エリルは小さく笑って、手を離した。
このままなら、実習はただでは済まない。
フォールンが動くなら、学院の想定通りに終わるはずがない。
だから、少しでもいい方へ転がることを期待して、昼間にひとつだけ種を置いてきた。
あの子に、姫様の戦い方を見せた。
それがどこまで届くかは、まだ分からない。
エリルの口元だけが、もう一度ゆるむ。
けれど、その目は少しも笑っていなかった。
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