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第38話 赤点ぎりぎりの手応え

 班別実技演習の当日、訓練区画にはいつもより多くの生徒が集まっていた。


 空気は昨日よりも落ち着いている。けれど、その分だけ、誰もが自分の班と役割を意識しているのが分かった。


 キツキも、渡された班分け表をもう一度見下ろす。


 名前は、すぐに見つかった。


 キツキ。


 その横に書かれた役割を見て、目が止まる。


 ――前衛。


「……前衛?」


 思わず声に出ていた。


 後衛でも支援でもない。前に出る役だ。


 まさか、自分が前に置かれるとは思っていなかった。


 レニアの名前は、同じ班にはなかった。


 別の欄で、ブロム、ラクスと同じ班になっている。


 ブロムが前衛なら、きっと安定するのだろう。


 少しだけ、そちらの班に混ざってみたい気もしたが、すぐに自分の欄へ視線を戻す。


 今気にするべきなのは、そこではなく、自分の名前の横に置かれた役割だ。


 前衛。


 やっぱり、その二文字が一番重く見えた。


「そんなに見つめても、役割は変わんないよー」


 横から声をかけられて、キツキは顔を上げた。


 エリルが、いつもの調子でこちらを見ていた。手には同じ班分け表を持っている。そこに書かれている自分の役割を、彼女は特に気にしていないようだった。


「エリル」


「同じ班だね。よろしく、前衛さん」


「何だよ、その呼び方」


「だって、書いてあるし」


 エリルは軽く笑って、班分け表の一点を指で叩いた。


 からかうような声だった。


 けれど、嫌な感じはしない。エリルの目は笑っているが、こちらを雑に扱っているわけでもなかった。むしろ、どこか楽しそうに観察されている気がする。


 キツキは班分け表へ視線を戻した。


「そういえば、キュルは?」


「いないね」


 エリルはさらりと言った。


 訓練区画を見回しても、キュルの姿は見当たらない。いつものように、急にどこかから現れる気配もない。


「欠席か?」


「さあ。寝坊か、サボりか、用事か。キュルならどれでもありそうじゃない?」


 キツキは少し考えた。


 キュルが授業をしょっちゅう欠席している印象はない。けれど、授業中はよく眠そうにしていた気がする。


 いや、授業中どころか、いつも眠そうにしている気もする。


「……まあ、不思議ではないか」


「でしょ」


 エリルは小さく笑った。


 その横に、少し硬い表情の男子生徒が近づいてくる。


 ザッカ・フォン。


 同じSクラスの男子生徒で、今回の班分けでは支援役になっている。


 貴族階級の生徒らしい整った所作をしているが、本人に強い威圧感はない。むしろ、これから始まる演習に少し緊張しているように見えた。


「よろしく。俺は防御支援を中心に動くつもりだ」


 ザッカはそう言って、きちんと頭を下げた。


「ああ。よろしく」


 キツキが返すと、エリルが手を叩いた。


「はい。じゃあ確認ね。キツキは前。ザッカは防御支援。私は後ろから撃つ。最初はそれだけ覚えておけば十分だよ」


「簡単に言うなあ」


「最初から難しく考えるから、足が止まるんだって」


 エリルは班分け表を軽く折りたたんだ。


 その時、訓練区画の中央でガルドが手を叩いた。


 乾いた音が響き、生徒たちの視線が一斉に集まる。


「全員、班ごとに並べ。これより班別実技演習を始める」


 その声に、キツキは班分け表を握り直した。


 前衛。


 まだ慣れない二文字を、指先の奥で確かめるように。


「今回見るのは、班ごとの連携だ。前に立つ者、後ろから撃つ者、支える者。それぞれが自分の役割を理解して動けるかを見る」


 ガルドは生徒たちを見回しながら言った。


「相手はフォアウルフを模した魔法生成体だ。単体ならクラス1。だが、3匹以上で動く場合はクラス2相当として扱う」


 クラス2。


 その言葉に、周囲の生徒たちの空気が少しだけ引き締まった。


「本物ではないが、動きは実物に近い。倒せば術式に戻る」


 ガルドはそこで、わずかに声を低くした。


「ただし、甘く見るな。牙を受ければ痛みはあるし、動きが悪ければ普通にやられる。実戦で都合よく相手が手加減してくれると思うなよ」


 生徒たちは、真剣な面持ちでその言葉を聞いていた。


 エリルだけが、キツキの横で小さく息を吐く。


「だって。前衛さん、頼りにしてるよ」


「軽く言うなって」


「重く言った方がよかった?」


「……それも嫌だけど」


 キツキがそう返すと、エリルは楽しそうに目を細めた。


 ザッカは2人のやり取りを見て、少し困ったように笑っている。けれど、その手はすでに防御支援へ移れるよう、胸の前で軽く構えられていた。


 キツキも、遅れて自分の手を握った。


 前衛の動きも、魔物相手の戦い方も、まだ分からない。


 それでも、呼ばれれば前に出るしかない。


「最初の班」


 ガルドの声が響く。


「キツキ、エリル、ザッカ。前へ」


「……いきなりかよ」


「早い方が、余計なこと考えなくて済むじゃん」


 エリルは軽く言って、先に歩き出した。


 キツキもその背中を追いかけ、訓練区画の中央へ向かった。


 指定された位置に立つと、そこは思っていたよりも広く感じた。


 さっきまでは他の生徒たちの気配に紛れていた場所が、急に自分たちだけの空間になる。


 キツキは前に出た。


 後ろでは、エリルとザッカがそれぞれ距離を取っていた。エリルは片手を軽く上げ、ザッカは防御支援のためか、足元に淡い光を集めている。


「無理に全部止めようとしなくていいからねー」


 背後から、エリルの声が飛んだ。


「前にいるなら、まず邪魔にならないこと。そこからでいいよ」


「邪魔って……」


「大事なことだよ?」


 軽い声なのに、言っていることは妙に具体的だった。


 キツキが言い返す前に、床の術式が強く光った。


 灰色の影が4つ、低く身を沈める。


 フォアウルフ。


 模擬体だと分かっていても、こちらを見据える目には妙な生々しさがあった。


「始め」


 ガルドの声が落ちる。


 その瞬間、4匹のうち2匹が左右へ散った。


「うおっ」


 思っていたより速い。


 キツキは反射的に前へ踏み出した。


 まずは止める。前衛なら、自分が引き受ける。


 そう思って、左へ動いた1匹の前に出る。


 その直後、背後でエリルが小さく息を吐いた。


「キツキ、そこだと撃てない」


「え?」


「私の正面」


 言われて、キツキは慌てて横へずれた。


 だが、ずれた先で別のフォアウルフが身を低くしている。


 キツキはさらに一歩、前へ出る。


「そこもー」


「こ、こっちも!?」


「うん。私、曲芸師じゃないからね」


 エリルの声は相変わらず軽い。


 けれど、キツキの背中には冷や汗がにじんでいた。


 前に出ればいいわけじゃない。


 そんな当たり前のことを、今さら思い知らされる。


 右側のフォアウルフが、低く地面を蹴った。


 キツキは慌ててそちらへ体を向ける。


 キツキの足元に、淡い光の膜が広がりかけた。


「キツキ、そこに防御を置く!」


 ザッカの声だった。


「分かっ――」


 返事をしようとした瞬間、別の1匹が左へ流れる。


 キツキは反射的にそちらへ動いてしまった。


 直後、さっきまでキツキが立っていた場所に薄い防御膜が張られる。


 誰もいない場所を守るように。


「あっ」


「……すまない、位置がずれた」


「いや、俺が動いた」


 言いながら、キツキはさらに混乱した。


 エリルの射線を塞がないようにする。ザッカの支援から外れないようにする。フォアウルフを後ろへ通さないようにする。


 それらを同時に考えようとして、足が半端に止まる。


 その隙を見たように、4匹のフォアウルフが一斉に低く唸った。


「全部止めようとしない」


 エリルの声が飛んできた。


「無理だよ、それ」


 言い切られた。


 腹が立つほど、明るい声だった。


 エリルは片手を構え直す。


「撃つ場所だけ空けて。2匹は落とせる」


 さらっと言われて、キツキは一瞬だけ言葉に詰まった。


 だが、考えている暇はない。


 その時、右端の1匹が低く身を沈めた。


 キツキへ向かってくるのかと思ったが、その視線は肩越しに後ろを見ている。


 狙いは、さらに後ろで防御支援の準備をしているザッカだった。


 ザッカの足元に集まっていた光が、わずかに乱れる。


 防御膜を張ろうとしているが、間に合うかは分からない。


「っ、そっちか!」


 キツキは考えるより先に、横へ飛び出した。


 またエリルの射線を塞いだかもしれない。


 ザッカの支援位置からも外れたかもしれない。


 それでも、その1匹を後ろへ通すわけにはいかなかった。


 キツキはフォアウルフの前へ滑り込む。


 止める。


 止めなければならない。


 フォアウルフが牙を剥く。


 キツキは思わず腕を上げ、火を灯しかけた。


「キツキ、そのまま抑えてて」


 背後からエリルの声がした。


 キツキは返事もできず、フォアウルフの動きだけを見る。


 その横を、細い風の刃が抜けた。


 キツキが止めた1匹ではない。


 左へ回り込もうとしていた別のフォアウルフが、風に脚を払われる。続けてもう一つ、さらにもう一つ。エリルの手元から放たれた風が、迷いなく3匹を切り崩していく。


 灰色の体が、次々と術式へほどけた。


 残ったのは、キツキの前にいる1匹だけだった。


「よし」


 エリルの声が、またいつもの軽さに戻る。


「じゃあ、その子はお願いね」


「は?」


「今、ちゃんと止めに行ったでしょ。だったら最後までやってみなよ」


 キツキは思わず振り返りかけた。


 だが、目の前のフォアウルフが低く唸る。


 振り返っている余裕はない。


「いや、簡単に言うなって……!」


「大丈夫。危なくなったら手伝うよ」


「それは信じていいやつか!?」


「たぶん?」


「たぶんって言ったぞ今!」


 言い返した瞬間、フォアウルフが地面を蹴った。


 速い。


 さっきまで複数の動きを追っていた時とは違う。今度は1匹だけだ。けれど、だから楽になるわけではなかった。


 灰色の体が、低く沈む。


 右か、左か。


 キツキが迷った瞬間、フォアウルフはさらに姿勢を低くした。


 正面。


「っ!」


 キツキは咄嗟に手を前へ出した。


 頭に浮かんだのは、昨日見た細い炎だった。


 レニアの掌に灯っていた、あの赤い線。


 意味を考える余裕はなかった。ただ、最初に浮かんだ形がそれだった。


 キツキの手のひらに、火が灯る。


 細く伸ばそうとしたが、うまくいかない。炎は線になりきらず、歪んだ塊のまま前へ飛んだ。


 フォアウルフの鼻先をかすめ、灰色の体が一瞬だけ揺らいだ。


 だが、止まらない。


「浅いね」


 後ろで、エリルが小さく呟いた。


 言われなくても分かる。このままでは届かない。


 キツキは奥歯を噛んだ。


 火が駄目だったわけじゃない。ただ、足りない。


 なら、その後ろに風を重ねる。


 キツキはもう片方の手を振り、風を放った。


 歪んだ炎が押し広げられ、風に巻かれて一瞬だけ膨らむ。


 その熱に触れたフォアウルフの前足が流れ、灰色の体勢が崩れた。


「今だ!」


 後ろで、ザッカが叫んだ。


 キツキは前に踏み込む。


 逃げようとしたフォアウルフの進路へ、もう一度、風を叩きつけた。


 小さな体が横へ流されたところへ、残っていた火がかぶさった。


 フォアウルフの輪郭は大きく揺らぎ、低い唸り声だけを残して術式へほどけていく。


「……倒した?」


「お疲れ」


 後ろから、エリルの声がした。


 いつもの軽い声だったが、少しだけ楽しそうでもあった。


「かなり無理やりだったね」


「そこは言わなくていいだろ」


「言わないと、今のでいいと思いそうだし」


 返す言葉がなかった。


 ザッカが小さく息を吐く。


 まだ少し緊張した顔をしていたが、先ほどより表情は緩んでいた。


「でも、前衛の役割は果たしていたと思う」


 控えめだが、はっきりした声だった。


 キツキはようやくザッカの方を見る。


「……本当か?」


「少なくとも、俺のところまでは来なかった」


 それだけ言って、ザッカは少しだけ肩の力を抜いた。


「赤点ぎりぎりだけどね」


 横から、エリルが冷やかすように言う。


「おい」


 エリルは悪びれた様子もなく笑っている。


 キツキは肩で息をしながら、術式の光が消えていく床を見た。


 前衛は、ただ前に出ればいいわけではない。


 そこまでは分かった。


 けれど、ではどう動けばいいのかまでは、まだ言葉にできなかった。


「そんな顔しなくてもいいと思うけどなあ」


 エリルが、キツキの顔を覗き込むようにして言った。


「実際、できてなかっただろ」


「うん。でも、今そればっかり考えてても仕方ないでしょ」


 エリルはそう言って、訓練区画の中央へ視線を向けた。


 少し離れた場所で、ガルドはキツキの動きを注視していた。


 足りないところばかりだった。射線も、支援との位置取りも、まるで噛み合っていない。


 それでも、後ろへ抜けようとした1匹を通さなかったことだけは、評価していた。


 ガルドは短く息を吐くと、次の名を呼んだ。


「次。ブロム、レニア、ラクス。前へ」


 その名前に、キツキは顔を上げた。


「ほら」


 エリルが小さく笑う。


「期待の勇者候補さんの班みたいだよ」


 少し離れた場所で、ブロムが静かに前へ出る。


 その後ろにレニアが続いた。


 けれど、キツキの目はまず、迷いなく前に立つブロムへ向いた。


 自分には、何が足りなかったのか。


 その背中から目を離せなかった。

ここまで読んでくださってありがとうございます!


基本、毎日2話更新です!


続きが気になる、また読みに来てもいい、と思っていただけましたら、

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