第36話 足りないもの
適性確認が終わった日の放課後、キツキは迷っていた。
残りの一日を、どう過ごすべきだろうか。
教室に戻る気にはなれない。かといって、そのまま寮へ帰るには、頭の中がまだ落ち着いていなかった。
適性確認で魔法が形になったことを思い返すと、胸の奥が少し浮く。けれど、それとは別に、体は妙に重かった。
魔法を使ったからだろうか。
そう考えて、すぐに首をかしげる。
魔力が減った、という感じはしない。そもそもキツキは、魔力が尽きる感覚を知らない。減っていないのか、減っているのに分からないのか、その区別すらつかなかった。
ただ、体は確かに疲れている。
「……魔法って、こんなに疲れるものなのか?」
呟いても、答えは返ってこない。
魔力が原因ではないのだとしたら、体の方かもしれない。そう考えると、じっとしている方が落ち着かなかった。
だからキツキは、鍛錬区画へ向かった。
ただし、向かったのは標的に向けて魔法を撃つための場所ではない。鍛錬区画の一角にある、身体鍛錬用の設備だった。
そこには、すでに先客がいた。
ブロムである。
片手で重そうな器具を持ち上げているが、魔法を使っている様子はない。腕と肩だけで支えているように見えるのに、動きは乱れなかった。
「よ、ブロム」
キツキが声をかけると、ブロムは器具を下ろして振り返った。
「キツキか。珍しいね」
「ちょっと、体を動かした方がいいのかと思って」
自分で言ってから、どこか頼りない言い方だと思った。
ブロムは少しだけ目を細める。
「昼の適性確認か」
「ああ。魔力が減った感じはしないんだけど、体が妙に重くて」
ブロムはすぐには答えなかった。
少し考えるように、キツキの立ち方を見る。
「……見ていて、気になったところはある」
「え」
「言ってもいいかな」
キツキは一瞬だけ迷って、それからうなずいた。
「頼む」
「魔法そのものより、体の使い方だと思う」
ブロムは、そこでようやく言葉を続けた。
「魔法でも、体は使う。構えが崩れれば、魔力の流れも乱れる。呼吸が浅くなれば、同じ魔法でも安定しない」
キツキは、自分の掌を見た。
思い返せば、出すたびに肩に力が入っていた気がする。標的へ向ける腕も、途中で少し震えていた。
「俺、そんなに崩れてたか?」
「崩れていたというより、慣れていないように見えたね」
ブロムは責めるようには言わなかった。
「魔法を撃つことだけに集中して、体が後からついてきている。そんな感じだ」
「……なるほど」
言われてみれば、思い当たることはあった。
頭の中で線を組み直すことに必死で、立ち方や呼吸のことまで考える余裕はなかった。
「前衛をやるなら、なおさらだ。魔法を使う前に体が崩れれば、それだけ次の動きが遅れる」
「前衛か……」
キツキは小さく笑った。
「正直、俺が前に出る姿って、あんまり想像できないけど」
「そうかな?」
ブロムは少しだけ首をかしげた。
「試してみるだけでも、分かることはあると思うよ」
そう言って、別の器具を指す。
「まずは軽いものからだ」
キツキは指された器具を見た。
軽い、という言葉を信じたい。けれど見た目は、少なくとも今のキツキにはあまり軽そうに見えなかった。
両手で持ち上げようとして、すぐに腕が止まる。
止まった。
まるで器具の方が床に根を張っているみたいに、少しも動かない。
「……これで軽い方?」
「軽い方だ」
ブロムは人当たりのいい笑顔でうなずいた。
たぶん、深い意味はない。
けれどその笑顔は、今のキツキには少しだけ怖かった。
ブロムは当然のように隣で自分の器具を持ち直す。
キツキは小さく息を吐き、もう一度それに手をかけた。
……上がらなかった。
◇
その少し前、エリルは廊下の窓辺に寄りかかっていた。
外では、鍛錬区画へ向かう生徒たちの姿が見える。
その中に、キツキの姿もあった。
「……本当に、よく分かんないなあ」
エリルは小さく呟いた。
入学試験では、前代未聞の解き方をした。
属性は判定不能。
それだけでも十分に変なのに、今日の適性確認では火、風、水を使った。氷の話も、耳には入っている。
魔法のことだけでも、普通ではない。
けれど、それだけでは終わらない。訓練場で大怪我をしたはずなのに、今は普通に歩いている。
そのうえ、レニアやブロムのような名のある生徒たちまで、キツキの周りでは少しずつ動きを変え始めている。
並べれば並べるほど、情報は増える。けれど増えた分だけ形になるかといえば、そうではない。
足りないのではない。多すぎるのに、つながらない。
エリルは、窓の外を見たまま薄く笑った。
ただの一般生徒ではない。それはもう、疑う段階ではなかった。
では、何なのか。
――フォールン。
一瞬、その言葉が頭をよぎる。
魔法を扱う者が道を外れた時、世間はそう呼ぶ。
けれど、すぐに違うと思った。
この学院に紛れ込み、あれだけ目立つ動きをするフォールンがいるとしたら、それは間抜けか、よほどの怪物だ。
では、人間ではないのか。
そこまで考えて、エリルは声を出さずに笑った。
さすがに、それは飛びすぎだ。
答えを急ぐには、材料が散らばりすぎている。
今分かるのは、キツキが分類しにくい存在だということ。そして、分類できないものほど、近づき方を間違えると危ないということ。
「まずは、どっちかな」
敵か、味方か。
少なくとも、見極めるまでは目を離せない。
エリルは窓辺から身を離し、いつもの軽い笑みを浮かべた。
◇
その日の夜、学院内に1つの告知が出された。
――班別実技演習、3日後より再開
掲示板の前には、すぐに何人もの生徒が集まった。誰と組むのか、という声がいくつも重なる。
初回は訓練区画内での小規模班による連携確認。班は先に行われた適性確認の結果をもとに学院側が編成し、具体的な班分けは実習前に通知される。
それだけの告知だった。
けれど、生徒たちの受け取り方は軽くない。
ただ魔法を見せるだけの確認とは違う。今度は、誰かと組み、動き、互いの役割を確かめる実習になる。
その告知を見たあと、レニアは夜の鍛錬区画にいた。
そこには、昼間とは違う静けさがあった。
人がいないわけではない。
遠くには、まだ居残っている生徒の気配がある。誰かが剣を振る音。魔法が標的に当たる小さな音。話し声は少なく、どれも広い空間の奥に沈んでいた。
その一角で、レニアは1人、掌を上げていた。
細い炎が灯る。
それは昼の適性確認で見せたものより、少しだけ揺れていた。
レニアは奥歯を噛む。
炎を消さないように、乱れた形を無理やり整える。
班別実技演習は、3日後に再開される。
その文字を見た時、胸の奥が小さく冷えた。また、炎を持って誰かの前に立つ時が来る。そう思った。
今日、キツキは火を出した。魔法を怖がっていたはずの少年が、攻撃魔法にも手を伸ばした。
粗く、小さく、頼りない火だった。けれど、確かに標的へ飛んだ。
それを見ても、レニアの震えが消えるわけではない。けれど、逃げる理由にもできなかった。
キツキが前に進もうとしている。
なら、自分だけが、止まったままでいるわけにはいかない。
もう一度、炎を出す。
掌の上に灯った火が、わずかに歪んだ。
汗がレニアの頬を伝う。
傍から見れば、鍛錬の熱で流れた汗に見えるかもしれない。
けれど、それはすべて冷や汗だった。
背中を流れる汗も、指先の震えも、力の入りきらない足も、熱のせいではない。
膝をつきたい。今すぐ炎を消して、床に手をつきたい。
普通なら、そこで倒れている。
それでも、レニアは立っていた。
ただでさえ、身分や容姿のせいでレニアは人目を引く。まして、ここは鍛錬区画だ。誰に見られていてもおかしくない。
そんな場所で、自分が膝をついて折れる。レニアという少女は、それを自分に許さない。
レニアは震える指を握り込み、もう一度開いた。
体は、もう限界だったが、それでも、掌は下ろさなかった。
その夜、暗い空には、何度も赤い炎の筋が走った。
倒れてもおかしくない少女は、最後まで一度も膝をつかなかった。
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