第35話 形になる
訓練区画に着くと、生徒たちのざわめきは自然と薄くなった。
「今日やるのは適性確認だ」
ガルドの声が、訓練区画に低く響いた。
「今の自分が何を扱えて、何を扱えないのかを確認しろ。無茶をすれば、こちらで止める」
生徒たちの視線が、壁際の標的へ向く。
「順に見る。まずは、今使える攻撃魔法を見せろ」
ガルドがそう告げると、空気が少しだけ張った。
最初に前へ出たのは、ブロムだった。彼はいつも通り、余計な力みのない足取りで指定された位置に立つ。
構えも、呼吸も、整っていた。掌の前に淡い光が集まる。
次の瞬間、光弾が標的へ走った。
速い。
そう思うより先に、光は標的の中心を打っていた。遅れて、打撃音が訓練区画に返ってくる。
標的の中心には、きれいな焦げ跡が残っていた。ブロムはそれを確かめると、静かに手を下ろした。
次に呼ばれたのは、レニアだった。
彼女は指定された位置に立つと、短く息を整え、一度だけ自分の指先を見てから、顔を上げた。
掌の上に、細く絞られた炎が灯った。揺れは小さく、熱もほとんど周囲へ逃げない。
それは一度だけ標的へ伸び、表面だけを正確に焼いた。火力を押し出すのではなく、必要な場所にだけ通している。続けて放たれた小さな火弾が、その焼け跡の中心を打つ。
派手さはない。けれど、炎は最後までレニアの制御の中にあった。
「次」
ガルドが短く告げる。
エリルは軽く肩をすくめて前へ出た。
「はーい」
気の抜けた返事とは反対に、発動は静かだった。
最初に動いたのは、小さな風だった。ほとんど見えないそれが標的の前を撫でる。遅れて放たれた風の刃は、まっすぐには進まなかった。
途中で角度を変え、標的の端をかすめるように見せて、最後には中心へ滑り込む。
威力だけなら、もっと強い魔法はいくらでもある。けれど、その軌道を崩さず通すには、放った後まで風を読み続けるだけの技術が要る。
エリルの風は、ただ標的に当たったのではない。外れそうな軌道を保ったまま、最後に当たる位置へ導かれていた。
実戦なら、外れたと判断した相手ほど、遅れてその刃を受ける。
エリルは標的を見届けると、楽しそうに笑って後ろへ下がった。
その次に、キュルが前へ出る。
彼女は小さくあくびを噛み殺し、ほとんど構えもしなかった。
影のような魔力が、指先から短く伸びる。
音はなかった。光も、ほとんどない。
ただ、標的の中心にだけ、細い穴が空いていた。
「……終わった」
キュルはそれだけ言って、何事もなかったように戻っていく。
その後も、何人かの生徒が順に攻撃魔法を見せていった。
土を尖らせる者、小さな雷を弾く者。水の弾を標的へぶつける者もいた。
どれも、派手な大技ではない。けれど、標的へ向けて魔法を放つ動作に、迷いは少なかった。
キツキは、それを見ていた。
ただ眺めていたわけではない。
眼鏡越しに、魔力の流れが線のように見える。どこで集まり、どこで形を変え、どうやって標的へ向かうのか。
全部が分かるわけではなかった。
ブロムの光弾は速すぎて、見ようとした時にはもう標的を打っていた。レニアの炎も、エリルの風も、奥にある複雑な組み方までは追い切れない。
けれど、その手前にある小さな形なら、いくつか拾えた。
火。
風。
水。
頭の中で、見えた線を組み直す。
できるかどうかは分からない。それでも、追えた線はいくつかある。
「キツキ」
ガルドに名前を呼ばれた。
視線が集まる。
キツキは一瞬だけ足元を見て、それから顔を上げた。
「はい」
標的の前へ出る。
掌を上げたところで、昨日までの自分なら、たぶんそこで止まっていた。攻撃魔法なんて、1つも知らなかったからだ。
けれど今は、残っている線の中から、使えそうなものを探せる。
キツキが最初に組んだのは、火だった。
魔力を集め、熱に変えて前に出す。それだけを、どうにか組み立てる。
掌の前に、小さな火が灯った。
「……出た」
自分で言ってから、少し遅れて驚いた。
火は頼りない大きさのまま、標的へ飛んでいく。
それはレニアの炎とは違っていた。
細く絞られているわけでも、熱を逃がさず通されているわけでもない。ただ生まれ、ただ飛んだだけの火だ。
着弾した場所に残った焦げ跡は、レニアのものよりずっと薄かった。
それでも、攻撃魔法だった。
キツキは息を吸い直す。
次は、風。
エリルの風は、途中で角度を変えて標的まで運ばれていた。
それを真似ようとして、すぐに分かった。どうつなげればいいのか、まるで分からない。
だから、もっと手前だけを使う。
風を集めて、押し出す。
それだけ。
掌の前の空気が揺れた。
小さな風の塊が、標的へ向かって飛ぶ。途中で少し形を崩しながら、それでも標的の端を叩いた。
ざわめきが広がる。
キツキはその声を聞きながら、最後に水を組んだ。
さっき見た、別の生徒の水弾。
水を集め、丸くまとめ、前に出す。それだけなら、何とか頭の中で追えた。
掌の前に、小さな水の弾が生まれる。それは少し歪んだ形のまま標的へ飛び、焦げ跡の横で弾けた。
威力は低く、精度も良いとは言えない。
けれど、火、風、水。
3つとも、形にはなっていた。
最初に声を上げたのは、近くにいた生徒だった。
「今の、火だけじゃなかったよな」
「風も出してた」
「最後、水じゃないか?」
ざわめきが少しずつ広がっていく。
キツキは掌を下ろしながら、そこでようやく自分が何をしたのかを思い出した。
属性は、誰でも好きに選べるものではない。
それは、キツキも知っている。
仮所属を外すために、魔法の基礎だけは必死に読んだ。属性は努力で増やすものではなく、生まれ持った適性として扱われる。だからこそ、普通の魔法使いは自分に扱える属性を見極め、その範囲で学び、伸ばしていく。
火、風、水。
それを続けて出すのが、普通ではないことくらいは分かった。
「お前、本当は何属性なんだ?」
誰かがそう聞いた。
キツキは、一瞬だけ答えに詰まった。
「いや、その……属性に関しては、入学試験の時も判定不能だったから」
「判定不能?」
「俺も、まだ確認中というか……」
言いながら、自分でも苦しいと思った。
けれど、嘘だけでもなかった。
分かっていない。
どこまで使えるのかも、どこから使えないのかも。
「続ける」
ガルドの声が、ざわめきを切った。
キツキは顔を上げる。
「今のはすべてクラス1相当だ。次を試せ」
「次、ですか」
「クラス2だ。できるなら見せろ。できないなら、できないと確認する」
キツキは標的に向き直った。
頭の中には、まだエリルの風が残っている。まっすぐ進まず、途中で角度を変え、標的の中心へ滑り込んだ軌道だ。
風を集めて押し出すところまではできた。
掌の前で薄い風が形を取りかける。
けれど、曲げる。運ぶ。当てる。そのために何をどこへ足せばいいのか分からず、頭の中の線が途中でほどけた。
形を取りかけていた風は、そのまま散り、標的へ届くことすらなかった。
キツキは、何もない掌を見た。
「……無理、でした」
小さく言うと、ガルドは短くうなずいた。
「それも確認だ」
笑う声はなかった。
ただ、さっきまでとは違う種類のざわめきが残っている。
火、風、水。
それから、届かなかったクラス2。
成功したものと、失敗したものが、同じ場所に並んでいた。
キツキは、小さく息を吐いた。
失敗したが、何もできなかったわけではない。その事実が、思ったよりもはっきり残っている。
近くで、ブロムが静かにこちらを見ていた。驚いてはいるが、そこに嫌な色はない。
レニアも何も言わなかった。
ただ、キツキの掌と標的に残った薄い焦げ跡を一度だけ見て、それから自分の手元に視線を落とした。
エリルは、いつものように笑っているが、その目はさっきより少し細い。
キュルは眠そうに立っているだけで、特に何も言わなかった。
「そこまでだ」
ガルドの声で、残っていたざわめきが少しだけ引いた。
「適性確認の結果は、こちらで整理する。班編成は後日伝える」
生徒たちの間に、また小さなざわめきが戻った。
訓練区画の空気が、少しずつ授業の終わりへほどけていく。
キツキは、もう一度自分の掌を見た。
クラス2には届かなかったし、どれも小さくて粗い。けれど、攻撃魔法を1つも知らなかった昨日までの自分からすれば、それだけで十分すぎる結果だった。
掌には、まだ火を灯した時の熱と、風を押し出した時の感覚が残っている。
魔法は、まだ怖い。
それでも今、自分の手から確かに魔法が飛んだ。
さっきまで見ているだけだったものが、自分の中で組み上がり、別々の形になって標的へ向かった。
そう思った瞬間、胸の奥が少しだけ熱くなる。
――もしかして、この力は本当に……
キツキは、浮かびかけた言葉を飲み込むように掌を握った。
◇
同じ頃、学院から離れた場所で、一枚の報告書が机の上に置かれていた。
魔導協会。
魔法使いたちの記録、依頼、危険案件の調査と処理。
そうした実務を担う組織はいくつもあるが、魔導協会はその中でも古い名を持つ一つだった。
報告書の表題には、フォールンの文字があった。
元は、フォールンメイジという呼び名だった。魔法を扱う者が道を外れた時、世間はそれを縮めてそう呼ぶ。
その一室で、テネルは報告書に目を通していた。
見た目だけなら、まだ四十代にも見える。
けれど、紙面を追う目の静けさと、部屋の誰もが返事を待つ空気が、彼女の積み重ねてきた時間を示していた。
「また、面倒な場所で面倒なことをしてくれたね」
声は低くない。
けれど、その場にいた協会員は誰も軽く受け取らなかった。
「通常の調査班だけでは、少し時間がかかるかと」
「だろうね」
テネルは報告書を机に置いた。
しばらく、部屋に紙の音だけが残る。
協会員の一人が、迷った末に口を開いた。
「ムルガド殿に、協力を要請しては」
その名が出た瞬間、テネルの眉がわずかに動いた。
怒ったわけではない。
呆れたような、懐かしむような、その中間の顔だった。
「無駄だよ」
テネルは短く言った。
「あの偏屈に頼むだけ時間の無駄だ」
協会員は、それ以上言えなかった。
テネルは椅子に背を預け、窓の外へ目を向ける。
「こっちが頼んで動くような男なら、最初から苦労していないさ」
その声には、長い付き合いのある者だけが持つ疲れが混じっていた。
「ただ」
テネルは、机の上の報告書へもう一度視線を落とした。
「あいつが勝手に嗅ぎつけたなら、話は別だけどね」
誰も返事をしなかった。
報告書の上には、まだ処理されていない案件の印が残っている。
学院で、キツキが初めて攻撃魔法に手を伸ばしたその日。
学院の外では、まだ彼の知らない名前が、静かに浮かび上がっていた。
ここまで読んでくださってありがとうございます!
基本、毎日2話更新です!
続きが気になる、また読みに来てもいい、と思っていただけましたら、
ブックマークしていただけると励みになります!!!




