第23話 半歩だけ外側
第23話 半歩だけ外側
放課後の中央棟は、昼間の教室とは違うざわめきに満ちていた。
授業を終えた生徒たちが、それぞれの課題や研究会、鍛錬へ向かって廊下を行き交っている。1年生だけではなく、上級生らしい生徒の姿も混じり、中央棟全体が放課後の活動へ切り替わっていた。
その中を、4人は並んで歩いていた。
正確には、レニアが少し前を歩き、3人が半歩後ろに続く形だ。さらに少し離れた後方には、学院の警備担当が控えている。
目を引かないはずがなかった。
レニアが歩けば、自然と視線が集まる。
その隣では、エリルが人当たりのよい笑みを浮かべながら周囲を見ていた。キュルは無言のまま歩いているだけなのに、なぜか近づきにくい。
そして、その3人のそばにキツキがいる。
キツキが気にするなという方が無理だった。
「やっぱり見られてるな……」
「気にする必要はないと言ったでしょう」
レニアは前を向いたまま答えた。
「そうは言っても、慣れないもんは慣れないよ」
「それは修練不足ね」
「視線に耐える修練って何だよ」
「王族なら必要よ」
「基準が王族なのかよ……」
キツキが呟くと、隣でエリルが楽しそうに笑った。
「まあ、仕方ないんじゃない? これだけ目立つ子たちと歩いているんだから」
「自分も数に入れてるのか?」
「もちろん」
「堂々と言うなよ……」
「事実だからね」
エリルは悪びれずに笑ったあと、隣を歩くキュルへ視線を向けた。
「キュルも、ちゃんとついてきてね」
「わかってる」
「うん。偉い偉い」
「偉くはない」
キュルは短く返し、それ以上は何も言わなかった。
会話はいつもの調子だったが、周囲の反応は軽くなかった。
通り過ぎる生徒の中には、レニアの姿を見て道を空ける者もいれば、エリルの名前を知っているらしく小声で囁く者もいた。さらに何人かは、キツキの顔を確かめるように視線を向けてくる。
先日認められた別解の話は、すでにSクラスの外にも広がり始めていた。
もっとも、その名前が同じ重さで覚えられているわけではない。
同じ成果に名を並べても、学院の生徒たちがそこから受け取る意味は、最初から同じではなかった。
「……なあ、俺、結構浮いてないか?」
「浮いているわね」
レニアは少しも迷わず答えた。
「そこは否定してくれよ」
「嘘を言っても仕方ないでしょう」
「優しさって知ってるか?」
「必要なら使うわ」
「今がそのときだと思う」
「今は、目をそらさない方がいいわ」
容赦がない。
だが、不思議と嫌ではなかった。
レニアはキツキを笑い者にしているわけではない。ただ、現状を正しく見ろと言っている。キツキが仮配属のままでは困ると、本気で思っているのだ。
それが分かるから、キツキは言い返しながらも、どこか救われていた。
中央棟の上階へ続く階段に差しかかったとき、前方の廊下から数人の生徒が歩いてきた。
先頭にいたのは、背の高い男子生徒だった。
深い栗色の髪をきっちりと整え、制服にも乱れがない。歩き方に特別な様子はないのに、周囲の生徒は自然と道を譲っていた。
キツキには、相手が誰なのか分からない。
ただ、レニアの足が止まった時点で、ただの通りすがりではないことだけは分かった。
男子生徒はレニアの前で立ち止まると、胸に手を当てて丁寧に頭を下げた。
「ごきげんよう、レニア殿下」
穏やかな声だった。
「少し、お時間をいただいてもよろしいでしょうか」
その一言で、エリルの笑みが少しだけ薄くなった。
キュルは何も言わない。ただ、顔を上げて男子生徒を見る。
少し離れた後方にいた学院の警備担当も、すぐに近づいてはこなかったが、その場で足を止めた。
レニアは表情を変えず、相手を見上げる。
「レニアで結構です、セドリック先輩」
セドリック・ヴァルグラン。
フォルテア王国のヴァルグラン伯爵家の嫡男であり、ギレル魔法学院の3年生。術式研究会に所属し、礼節と秩序を重んじる上級生として知られている。
キツキは、その名前を聞いてもすぐには相手の立場まで結びつかなかった。
けれど、周囲の生徒が道を譲った理由だけは分かる気がした。
セドリックは柔らかく微笑む。
「恐れ多いことです。フォルテア王国の王族であられる殿下を、そのように気安くお呼びするわけにはまいりません」
礼儀正しい返答だった。
けれど、キツキは小さく引っかかった。
レニア本人が、そう呼べと言ったが、セドリックは丁寧な言葉でそれを受け取らなかった。
レニアは一拍だけ黙ったあと、静かに答える。
「そうですか。それで、用件は何でしょうか」
「はい」
セドリックの視線が、レニアからエリルへ移った。
エリルは笑みを浮かべたまま、軽く会釈する。キュルは何も言わない。ただ、セドリックを見ていた。
そのあとで、視線がキツキのところに来た。
目が合った、というほどはっきりしたものではない。けれど、一度そこで止まったことだけは分かった。
「最近、殿下が仮配属の1年生と行動を共にされているという話を耳にしました」
仮配属。
言葉そのものは間違っていない。
だからこそ、胸の奥に小さく引っかかった。
最近ずっと、そこばかりを気にしていた。
自分がまだ正式なSクラス生ではないこと。レニアたちの隣に立っていても、どこか半歩だけ外にいるように感じること。
そこを、ついさっき名前を聞いただけの上級生に、正面から指で押された気がした。
「もちろん、ギレル魔法学院は身分を問わず学ぶ場です。そこに異を唱えるつもりはございません」
セドリックの声はひたすらに穏やかだった。
「ですが、殿下はフォルテア王国の王族であられます。正式な所属すら定まっていない生徒と不用意に行動を共にされることは、殿下ご自身だけでなく、王国の名にも関わるのではないかと」
丁寧な言葉だった。
だからこそ、キツキは一瞬、どこを否定すればいいのか分からなかった。
身分を問わず学ぶ場。
そう言いながら、セドリックはキツキをそこから少しだけ外して見ている。
反射的に口を開きかけて、キツキは何も言えずに閉じた。
レニアが一歩、キツキの前へ出た。
「彼は私が呼びました」
声は静かだった。
「私が必要だと判断したから、同行させています。何か問題があるのでしょうか」
セドリックは微笑みを崩さなかった。
「殿下のご判断を疑うつもりはございません。ただ、殿下のお立場を考えれば、周囲がどう見るかも軽視できません」
「つまり、私の判断よりも、周囲の噂を優先すべきだと?」
セドリックの返事が、一拍遅れた。
廊下を行き交っていた生徒たちの足も、少しずつ鈍くなっている。立ち止まるほどではない。けれど、誰もが通り過ぎながら、こちらの様子を聞いていた。
「そういう意味ではございません」
「では、どういう意味でしょうか」
レニアは声を荒げなかった。
それでも、キツキは隣に立っているだけで、背筋が少し伸びるのを感じた。
セドリックは、あくまで丁寧に頭を下げる。
「殿下を案じてのことです」
「そうですか」
レニアは短く答えた。
「お気遣いには感謝します。ただし、私の交友関係について、先輩に許可をいただく必要があるとは考えていません」
セドリックは、すぐには引かなかった。
「殿下のお考えは理解いたしました」
表情も、声も、穏やかなままだった。
「ですが、噂は時に、殿下ご自身の意思とは別に広がります。だからこそ、早い段階で慎重に扱うべきだと申し上げています」
「今回の件?」
レニアが短く返す。
「学力試験の別解についてです」
その言葉に、周囲の数人がわずかに反応した。
キツキは、何も言わなかった。言えなかった、という方が近い。
別解のことを出されるなら、少しは胸を張ってもいいはずだった。ガルドも、あれをキツキたちが一緒にたどり着いた成果だと言った。
それなのに、セドリックの口から出ると、その成果さえも別の形に見えてくる。
「優れた成果であることは承知しています」
セドリックはキツキを見ずに続けた。
「ですが、一度の成果が、その人物の素性や立場を保証するものではありません。殿下のそばに置くに足る相手かどうかは、また別の問題です」
「一度の成果、ですか」
そこで、エリルが小さく笑った。
楽しそうな笑みだったが、さっきまでより少しだけ温度が低い。
「セドリック先輩。その言い方だと、まるでキツキが偶然そこに名前を載せただけのように聞こえますね」
「そうは言っていない。ポルテュン嬢」
「ええ。言ってはいませんね」
エリルはあっさり頷いた。
「でも、そう聞こえましたけど?」
セドリックの目が、わずかに細くなる。
「功績と身元は別の話だ」
「それはその通りです」
キツキは思わず横を見る。
そこで頷くのか、と思った。
だが、エリルは笑みを消さない。
「だからこそ、混ぜて扱うべきではありません。別解の成果を認めるなら、彼がそこに関わった事実は事実として扱うべきです。身元の問題を問うなら、それは学院が確認することであって、廊下で噂を材料に決めることではないでしょう?」
セドリックは答えなかった。
沈黙は、ほんの短いものだった。けれど、その場では十分に長かった。
セドリックの後ろにいた生徒たちは、誰も口を挟まなかった。それが、かえって目立った。彼らはセドリックを止めない。ただ、答えを待つように立っている。
レニアは何も言わなかった。
エリルも、それ以上は追い打ちをかけない。
その横で、キュルが一歩も動かずに立っていた。
キュルは何もしなかった。手も上げず、何かを言うわけでもない。
ただ、長い前髪の奥から、銀灰色の瞳がまっすぐに向けられている。
キツキには、その視線の意味までは分からなかった。
けれど、セドリックの後ろにいた生徒の1人が、わずかに肩を引いたのは見えた。
セドリックは小さく息を吐いた。
「なるほど。学院が判断すること、ですか」
「ええ」
エリルは変わらず笑っている。
「少なくとも、ここで先輩が決めることではありませんね」
「手厳しいな、ポルテュン嬢」
「情報の扱いには、少しうるさい家なので」
軽い返事だった。
だが、セドリックはそれ以上、エリルに言い返さなかった。
視線がもう一度レニアへ戻る。
「殿下」
「その呼び方は、もう結構です」
レニアは短く遮った。
セドリックは、柔らかな笑みを浮かべたまま、もう一度頭を下げる。
「恐れ多いことです」
呼び方を改めるつもりはない。
レニアの赤い瞳が、わずかに細められた。
「話が済んだのであれば、私たちは行きます」
「出過ぎたことを申し上げました。殿下がそうお考えであれば、これ以上は控えましょう」
「ええ。そうしてください」
短い返事だった。
セドリックは礼を解き、ようやく半歩だけ横へずれた。後ろにいた生徒たちも、それに合わせて道を空ける。
すれ違う直前、セドリックの視線がキツキに向いた。
怒っているようには見えなかった。見下している、と言い切れるほど分かりやすくもない。
ただ、そこに何かを認めた様子はなかった。
「失礼いたします」
セドリックたちは、そのまま廊下の奥へ歩いていった。
残っていた空気が、少しずつ元に戻っていく。足を止めかけていた生徒たちも、何事もなかったように動き出した。
キツキはそこでようやく、自分が息を詰めていたことに気づいた。
「行くわよ」
レニアが何事もなかったように歩き出す。
「あ、ああ」
キツキは慌てて返事をした。
正式な所属すら定まっていない生徒。
殿下のそばに置くに足る相手かどうか。
セドリックの言葉は、まだ耳の奥に残っていた。
間違っている、と言いたかった。
けれど、その場で返す言葉を、キツキは持っていなかった。
「キツキ」
前を歩いていたレニアが、少しだけ振り返った。
「顔が暗いわよ」
「今の流れで明るかったら、それはそれで怖いだろ」
「それもそうね」
「納得するの早いな」
いつものように返したつもりだったが、自分でも声が少し遅れたのが分かった。
レニアはそれ以上問い詰めなかった。ただ、歩く速さをほんの少し落とした。
エリルが横からキツキを覗き込む。
「お望みなら、もう少し派手にやってもよかったけど?」
「やめてくれ。今ので十分胃が痛い」
「無料にしては上等な対応だったと思うよ」
「無料でそれなら、有料だとあの場どうなってたんだよ」
「もう少し早く、先輩に道を空けてもらえたかもね」
「それはそれで怖いな……」
エリルはいつもの調子で笑った。
それが少しだけありがたかった。
キュルは何も言わない。エリルの半歩後ろを歩きながら、ただ前を見ている。さっきセドリックの後ろにいた生徒が肩を引いた理由は、今もキツキには分からなかった。
セドリックの言葉は、まだ胸の奥に残っていた。
けれど今は、それをどうほどけばいいのか分からない。
小演習室の扉が見えてきた。
さっきまで中央棟の廊下にあったざわめきは、ここまで来ると少し遠い。扉の前でレニアが足を止め、振り返る。
「入るわよ」
「ああ」
キツキは頷いた。
レニアが扉を開ける。
小演習室の中には、誰もいなかった。整えられた机と、使われていない黒板がある。
ほんの少し前まで、この場所でやることははっきりしていた。足りない知識を埋めて、仮配属を外すための材料を増やす。
けれど今は、それだけでは足りない気がしていた。
分からないまま黙ることも、誰かの後ろに立つだけで終わることも、もう嫌だった。
必要なのは、術式や計算の知識だけじゃない。
自分がどう見られているのか。どこに立つべきなのか。どう変わらなければ、同じ場所に立てないのか。
誰かに庇われたあとで黙っている自分のままでは、嫌だった。




