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第22話 4人の名前

第22話 4人の名前


 完成した別解を学院へ提出してから、3日が過ぎた。


 その間、キツキたちの生活が大きく変わることはなかった。朝になれば教室へ向かい、授業を受け、放課後にはそれぞれの課題や鍛錬に時間を使う。


 事件の跡は残っている。


 それでも学院は、いつもどおり次の授業を始めた。


 キツキもまた、目の前の課題に追われていた。


 治療室を出てから、身体の状態はかなり戻っている。左肩から胸に残っていた痛みも、日を追うごとに薄れてきた。


 ただし、基礎知識の不足だけは、治療魔法でもどうにもならない。


 授業中、教師が当然のように口にする言葉の半分は、キツキにとって初めて聞く内容だった。眼鏡を使えば意味を追うことはできるが、すべてを解析し続ければすぐに頭が重くなる。


 そして、学院がキツキにつけた扱いも、まだ変わっていなかった。


 Sクラス――ただし、暫定配属。


 授業には出られる。課題も受け取る。周囲の生徒たちと同じ教室で、同じ机を使う。


 それでも、学院はまだキツキを正式なSクラス生として認めていない。


 理由は分かっている。


 学力試験の結果は高かったが、知識に大きな穴がある。適性検査ではクラス1。魔法も、術式を見なければ扱えないものが多い。何より、転生してきたばかりのキツキには、この世界で積み上げてきた実績がほとんどなかった。


「暫定、か……」


 小さく呟き、キツキは机の上に広げた教材へ視線を戻した。


 以前なら、そこまで重く受け止めなかったかもしれない。


 異世界に来たばかりなのだから仕方がない。むしろSクラスに入れているだけでも上出来だ。そう思えたはずだ。


 だが今は、少し違っていた。


 レニアの隣に立ちたい。


 そう思ってしまったあとでは、自分だけがいつまでも「暫定」のままでいることが、やけに情けなく感じられた。


 授業開始を知らせる鐘が鳴り、教室のざわめきが少しずつ静まっていく。


 ほどなくして、ガルドが教室に入ってきた。


 いつもどおり余計な挨拶はなく、教卓へ数枚の書類を置く。その中に見覚えのある術式図が含まれていることに気づき、キツキは姿勢を正した。


「授業に入る前に、先日提出された別解について報告する」


 その一言で、教室中の視線が集まった。


 キツキだけではない。レニア、ブロム、エリルにも、自然と目が向けられる。


 あの小演習室で完成させた解法だ。


 提出は、翌朝に4人で行った。


 ガルドはその場で内容を確認し、すぐに学院の術式研究担当へ回すと言った。細かな検証には時間がかかる、とも告げられていた。


 その結果が、ようやく戻ってきたらしい。


「提出された解法は、学院側の検証を通過した」


 ガルドは書類を1枚持ち上げた。


「数値を変えても、同じ手順で答えへたどり着けることが確認された。偶然の正解ではなく、再現できる解法だと認められたということだ」


 教室がざわめいた。


「第1問における正式な別解として記録される」


 報告はSクラスの教室で行われたが、有効な別解として正式に記録される以上、その話がこの場だけで終わるはずもない。


 術式研究に関わる教師や、上級生の研究会、やがて学院の外にも4人の名前はすぐに届くことになる。


 第1問で正解までたどり着いたのは、ブロムとキツキだけだった。だが、そのうちキツキの答案は、理由のない正解として扱われていた。


 その別解が、今度は再現可能な手順として認められた。


 意味を理解した生徒ほど、驚きを隠せないようだった。


「提出者は、キツキ、レニア・フォルテア、ブロム・アステリオン、エリル・ポルテュンの4名だ」


 4つの名前が、教室に響いた。


 自分の名前がそこに並んだ瞬間、キツキは不思議な感覚を覚えた。


 くすぐったいような、落ち着かないような、それでいて少しだけ誇らしいような感覚だった。


 だが、その感覚は長く続かなかった。


「やっぱり、ブロムはすごいな」


「レニア姫も一緒に解いたんだろ?」


「王女と勇者候補で別解を完成させたってことか。絵になるなぁ」


 小さな声が、教室のあちこちで広がっていく。


「キツキって、あの平民の?」


「元になった答えを書いたらしいけど、まとめたのはレニア姫とかなんだろう?」


 4人の名前が呼ばれたはずだった。


 けれど、周囲の声の中で強く残るのは、レニアとブロムの名前ばかりだった。


 無理もない。


 フォルテア王国の第3王女と、名門アステリオン家の勇者候補。どちらも入学時点でクラス3に到達し、学力試験でも上位に名を連ねている。


 才能も、身分も、容姿も、周囲の目を引くには十分すぎた。


 エリルの名前を挙げる者もいたが、その声には驚きより納得が混じっていた。情報を扱うポルテュン家の少女なら、そういう成果に関わっていても不思議ではないと思われているのだろう。


 では、自分はどう見えているのか。


 元になった答えを書いたのは自分だ。だが、自分で理屈を積み上げてたどり着いた答えではない。胸を張って「俺の成果だ」と言い返せるほど、キツキ自身も割り切れていなかった。


 だから、周囲の声がレニアとブロムの名前ばかりを拾っていくのを、真正面から否定できなかった。


 キツキは机の上に置いた手を、わずかに握った。


 4人の名前が並んだが、自分だけがその列の少し後ろに立っているような気がした。


「静かにしろ」


 ガルドの声で、教室のざわめきが収まる。


「今回の成果は、4人で出したものだ。最初の答え、正攻法の整理、術式の見直し、検証の記録。どれか1つでも欠けていれば、解法にはならなかった」


 ガルドの視線が、4人の席を順に横切った。


「以上だ。授業に入る」


 それだけで、報告は終わった。


 教師らしい、必要最低限の扱いだった。


 だが、キツキにとっては十分だった。


 少なくともガルドは、4人の成果として見ている。


 それでも、周囲の空気までは簡単に変わらない。


 授業が始まってからも、キツキは何度か前方へ目を向けてしまった。


 レニアは普段どおり黒板を見ている。ブロムも真面目にノートを取っていた。


 2人が並んで何かをしているわけではない。


 けれど、教室の中で向けられる期待や視線が、自然と2人の周囲に集まっているように感じた。


 お似合い。


 以前、廊下で聞いた言葉が頭をよぎる。


 別に、レニアがブロムを特別扱いしているわけではない。


 そしてブロムも、何かを誇るような態度を見せているわけではない。


 分かっている。


 それでも、胸の奥に小さな引っかかりが残った。


 午前の授業が終わると、生徒たちは昼食へ向かうために席を立ち始めた。


 キツキも教材を片づけようとしたところで、前方から足音が近づいてきた。


 顔を上げると、レニアが立っていた。


「キツキ」


「ああ。どうした?」


 できるだけ平静に答えたつもりだったが、少し声が上ずった。


 レニアは気にした様子もなく、机の上に置かれたキツキの教材へ視線を落とす。


「今日の放課後、空けておきなさい」


「……えっと、急だな」


「予定があるのかしら」


「いや、その――」


「断るの?」


 レニアの赤い瞳が、わずかに細められる。


 好きになったからといって、睨まれたときの迫力まで薄れるわけではないらしい。


 もともと断るつもりなどなかったが、ここで「少し考えさせてくれ」などと言えば、恐ろしいことになるのだろう。


「全然暇です」


「なら話は早いわ」


 レニアは当然のように頷いた。


「あなた、いつまで暫定配属のままでいるつもり?」


「いや、できれば早めに抜け出したいけど」


「なら、基礎術式と魔力計算を確認する必要があるわ。今のままでは、授業についていけなくなるでしょう」


「レニアが見てくれるのか?」


「他に誰が見るのよ」


 あまりに自然に返され、キツキは一瞬言葉を失った。


 昨日までなら、ここで素直に喜んでいたのかもしれない。


 だが、恋を自覚してしまった今は、ただの補習の話だと分かっていても、その一言だけで放課後の時間が別のものに見えてしまう。


「助かるよ。正直、授業だけだとかなり怪しいから」


「怪しいどころではないでしょう」


「そこまで言うか?」


「事実よ」


 遠慮のない言葉だった。


 それでも、馬鹿にされているとは思わなかった。


 レニアはキツキをSクラスから落としたいのではなく、暫定のままにしておけないと思っている。そのことは、もう分かっていた。


「それじゃあ、放課後は――」


「その勉強会、私も混ぜてもらおうかな」


 楽しそうな声が割り込んだ。


 振り返ると、いつの間に近づいていたのか、エリルがキツキの机の横に立っていた。その半歩後ろには、当然のようにキュルもいる。


「どこから聞いてたんだよ」


「『今日の放課後、空けておきなさい』のあたりから」


「最初からじゃないか」


「偶然だよ」


「絶対嘘だろ」


 エリルは悪びれずに笑った。


 レニアは軽く眉を寄せる。


「あなたも来るの?」


「もちろん。共同解法の経過観察として、キツキの基礎能力がどの程度伸びるかは見ておきたいからね」


「ただ面白がっているだけではなくて?」


「それもあるかも」


「隠す気がないのね」


「隠してほしい?」


 レニアは小さく息を吐いた。


 その横で、キツキはちらりとキュルを見る。


「キュルも来るのか?」


「行く」


「勉強するのか?」


「しない」


「だよな……」


 迷いのない返事だった。


 キュルは勉強会に参加する気はない。だが、エリルが行くなら自分も行く。それだけなのだろう。


 気づけば、周囲の視線が再び集まり始めていた。


 レニア。


 エリル。


 キュル。


 そして、その中心で予定を決められているキツキ。


 3人とも、文句なしに目を引く少女たちだった。


 その3人と放課後に同じ場所へ向かう。


 教室にいる男子生徒たちの視線が、いつもより少し刺さる気がした。


 キツキは、思わず居心地悪く肩をすくめる。


「なんか、すごい見られてないか?」


「気にしても仕方ないわ」


 レニアは一切気にしていない様子だった。


「レニアはそうだろうけどな」


「では、放課後。中央棟の小演習室でいいかしら」


「いいよー」


 エリルが軽く答え、それから隣のキュルへ顔を向けた。


「キュルもそれでいいよね?」


「うん」


 キュルも短く答えた。


 キツキの予定は、本人が細かく確認する前に決定した。


 断るつもりはなかった。


 むしろ、レニアに教えてもらえることは嬉しい。エリルとキュルが来ることも、嫌ではない。


 キツキの予定は、本人が細かく確認する前に決定した。


 断るつもりはなかった。


 むしろ、レニアに教えてもらえることは嬉しい。エリルとキュルが来ることも、嫌ではない。


 ただ、自分に向けられる注目だけは、どうにも落ち着かなかった。


 そして、その居心地の悪さは教室の中だけで終わるものではなかった。


 4人の名前は、すでに教室の外にも届き始めている。


 その名前に、別の温度で反応する者がいることを、キツキはまだ知らなかった。

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