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第20話 解けていない正解

第20話 解けていない正解


 翌朝、午前最後の授業が始まると、ガルドは普段より薄い紙束を抱えて教室に入ってきた。


 教卓に置かれた紙の正体に気づき、生徒たちの視線が集まる。すでに順位は発表されていたが、自分が何を間違え、どこまで正解できていたのかは、まだ誰も知らなかった。


「学力試験の答案を返す」


 ガルドはそれだけ告げると、名前を呼びながら答案を配り始めた。


 受け取った生徒たちは、点数を見て安堵したり、隣の者に見られないよう裏返したりと、それぞれ異なる反応を見せる。


「キツキ」


「はい」


 名前を呼ばれ、キツキは教卓まで答案を受け取りに行った。


 席へ戻りながら、紙の右上に記された順位を確認する。掲示で見たとおりの9位だった。


 魔法史や法制度の問題には、容赦なく不正解の印が並んでいる。一方、眼鏡を使って答えた術式関連の問題には、ほとんど正解がついていた。


 そして、最初の総合応用問題にも、はっきりと正解を示す印が残されている。


「全員に返ったな」


 最後の答案を渡し終えると、ガルドは教卓の前に立った。


「間違えた箇所は各自で確認しろ。ただし、第1問について模範解答を配る予定はない」


 教室のあちこちから、戸惑った声が上がった。


「解説もないんですか?」


 生徒の1人が尋ねる。


「ない」


 ガルドは短く答えた。


「あの問題は、授業で教わった解法を再現させるために出したものではない。どこまで考えられるか、解けないと判断した場合に、いつ次へ進めるかを見るための問題だ」


 そこで答えだけを渡されても、身につくものは少ない。


 分からなかった者が、なぜ分からなかったのかを探るところまで含めて、学ぶ者の仕事だとガルドは続けた。


「第1問で、最終的な答えまで正しかった者は2人だけだ。ブロム・アステリオンとキツキ」


 教室の空気がわずかに揺れた。


 ブロムが正解したことに驚く者は少なかった。満点で首席だったことは、すでに全員が知っている。


 だが、もう1人がキツキだとは知られていなかった。


 いくつもの視線が集まる中、キツキは答案から顔を上げた。


 ガルドは黒板に向き直ると、2人の答案に記されていた最終的な術式構造と魔力配分だけを書き写した。


「左がブロムの答案、右がキツキの答案だ」


 2つの術式は、完成した形からして明らかに異なっていた。


「ブロムの答案は、学院が想定していた正攻法に沿ったものだ。必要な理論と計算を順に積み上げ、答えまで到達している」


 ガルドは左側の術式を示したあと、右へ指を移した。


「一方、キツキの答案には、修正後の術式構造と、必要最低限の魔力配分しか書かれていない」


 キツキは自分の第1問を改めて見下ろした。


 複数の属性を同時に通した際、互いの魔力が干渉し、出力の一部が失われる。その損失を抑えるための配分と、術式の修正箇所を求める問題だった。


 答案には、完成した術式の形と、いくつかの数値が並んでいる。


 だが、なぜその形になるのか。どの計算を経て、その配分へたどり着いたのか。


 途中の過程は、どこにも書かれていなかった。


「検算した結果、答えは正しい。想定解よりも短く、魔力の損失も少ない」


 再び、小さなどよめきが広がる。


「ただし、そこへ至った根拠が書かれていない以上、他人が同じ方法を再現することはできない」


 ガルドの視線が、まっすぐキツキに向けられた。


「正解ではある。だが、解法としては未完成だ」


「……はい」


 何と返せばよいか分からず、キツキは曖昧に頷いた。


 答えは合っていた。


 それなのに、褒められたような気はしなかった。


 通路を挟んだ少し前では、レニアが自分の答案を開いたまま、黒板に並ぶ2つの答えを見比べていた。


 彼女の第1問には、試験中に途中まで積み上げた計算と、何度も書き直した術式の跡が残っている。あのときは、最後の答えまで届かなかった。


 それでもレニアの視線は、正攻法ではなく、その隣に並ぶキツキの別解へ向けられていた。


 キツキもまた、自分の答案に目を落とした。


 そこには、眼鏡が示した正しい答えだけが残っている。


 その答えまで、自分がどんな道を通ってきたのかは、どこにもなかった。



 午前の授業がすべて終わると、教室の空気が一気に緩んだ。


 第1問の答案を囲んで話し始める者もいれば、解説がないことに不満を漏らす者もいる。黒板には、ブロムとキツキが書いた2つの答えが、そのまま残されていた。


 キツキも自分の答案を見下ろしていたが、机の前で人影が止まったことに気づいて顔を上げた。


「キツキ、少しいいかしら」


 レニアだった。


「ああ。どうした?」


 できるだけ普段どおりに答えたつもりだった。


 それでも、あの笑顔を見てから妙に意識してしまう相手が自分を訪ねてきたせいで、返事はわずかに上ずった。


 レニアは気に留めず、自分の答案と数枚の紙をキツキの机に置いた。


 紙には、第1問の術式と計算が細かな文字でびっしりと書き込まれている。試験で提出した答案とは別に、結果が出てから何度も解き直したものらしい。


「第1問について、聞きたいことがあるの」


「レニアも、もう解けたんじゃないのか?」


「正攻法ならね」


 レニアは黒板の左側に残る、ブロムの答えに目を向けた。


「試験中には間に合わなかったけれど、その後も考え直して、同じ答えにはたどり着いたわ。だから、ブロムの解法がどう成立しているのかは分かる」


 今度は、右側に書かれたキツキの答えを見る。


「でも、あなたの答えは分からない」


 その言葉には、解けなかったことへの苛立ちも、相手を疑う響きもなかった。


 純粋に、理解できないものを理解したい。


 レニアの赤い瞳には、それだけが表れていた。


「学院が正しいと認めた以上、成立する理由があるはずよ。あなたがどのように考えて、この形にたどり着いたのか教えてくれないかしら」


 レニアが、自分を頼っている。


 そう気づいた瞬間、キツキの胸の奥に嬉しさが広がった。


 昨日までなら、それだけで素直に引き受けられたのだろう。だが、今はレニアにどう見られるのかまで気になり、簡単な返事にも余計な力が入る。


「ああ。俺でよければ――」


「ちょうどよかった」


 すぐ横から、聞き慣れた声が割り込んだ。


 エリルが笑みを浮かべたまま立っている。その後ろには、キュルも当然のようについてきていた。


「私も、その話を聞かせてもらう予定だったんだ」


 レニアがわずかに眉を寄せる。


「あなたも?」


「昨日、キツキと取引をしたの。私は情報を渡して、代わりに第1問を解いたときの思考を聞かせてもらうことになっている」


「取引って……」


 レニアの視線がキツキに向いた。


 キツキは一瞬だけ言葉に詰まった。内容を誤魔化したくはない。だが、昼休みの教室で口にする話でもなかった。


「別に変な取引じゃない。ただ、ここじゃ話せない。人のいないところで、あとで話すよ」


「……分かったわ。あとで聞かせてもらうから」


 レニアは納得しきってはいないようだったが、今ここで問いただすことはしなかった。


 エリルはキツキの机に置かれた紙を覗き込む。


「期限は今日の放課後。答案を見ながら、試験中に実際に何を考えたのか話してもらう約束だよ」


「なら、私も同席するわ」


 レニアは迷わず言った。


「私が聞きたいことも同じだもの」


「私は構わないよ。支払いさえ、きちんとしてもらえるならね」


 2人の間で、キツキの放課後の予定が決まっていく。


「俺の予定なんだけどな……」


「嫌なの?」


 レニアに尋ねられ、キツキはすぐに首を横へ振った。


「いえ! 光栄です!」


 むしろ、レニアに頼られたことは嬉しかった。


 眼鏡を使ったことまでは話せない。けれど、答案を見ながら当時のことを思い出せば、どこを見て何を考えたのかくらいは説明できるはずだ。


「第1問の話をするのかい?」


 今度は別の声が加わった。


 振り返ると、机の上を片づけていたブロムがこちらを見ていた。


「僕の名前が聞こえたんだけど」


「あなたの正攻法と、キツキの別解を比べるのよ」


 レニアが答える。


「キツキの答えが、どうして成立するのかを確かめたいの」


 ブロムは黒板に並んだ2つの術式へ目を向けた。


「僕も、あの答えは気になっていたんだ。最後の形が正しいことは分かるけれど、途中の計算をどう省いたのかまでは分からない」


 そこでキツキを見る。


「迷惑でなければ、僕も参加していいかな?」


 ブロムは、第1問を自分の力で最後まで解いたもう1人だ。正攻法を知る彼がいれば、キツキの答えがどこで違っているのかも比べやすい。


「ああ。むしろ助かる。正攻法と比べた方が、俺の答えとの違いも分かりやすいだろ」


 答えると、ブロムは明るく頷いた。


「決まりだね」


 エリルが手を打つ。


「放課後、中央棟上階の小演習室に集まろうか。あそこなら人も来ないし、黒板も使える」


「分かったわ」


「僕も問題ないよ」


 話がまとまる中、キュルだけは第1問にも、黒板に残された術式にも興味を示していなかった。


 エリルの隣で、机の上に置かれたレニアの紙を一度だけ眺めると、小さく欠伸をする。


「キュルも来るのか?」


「行く」


「問題に興味あるのか?」


「ない」


 迷いのない返事だった。


 それでも、エリルが行く以上、自分だけ別の場所へ行くという選択肢は最初からないらしい。


 キツキは改めて、机の上に置かれた自分の答案を見下ろした。放課後には、そこへ至った考えを説明すればいい。そう考え、答案を閉じた。



 放課後、キツキとレニアは警備担当を扉の外に残し、中央棟上階の小演習室へ先に入った。


 普段の教室よりは狭いが、正面には大きな黒板が備えつけられている。キツキが扉を閉めると、レニアは鞄を机に置き、すぐに振り返った。


「それで、さっき話せないと言っていた取引の内容は?」


 忘れてなかったらしい。


「レニアを狙った細工について、エリルが調べた情報を買ったんだ」


 キツキは、昨日聞いた内容を簡潔に伝えた。


 細工には学院が正式に発行した認証情報が使われていたこと。その持ち主は、細工が行われたと考えられる時間には別の場所にいたこと。そして、認証情報が複製されたか、本人の知らないところで盗まれた可能性があること。


 話を聞き終えるまで、レニアは一度も口を挟まなかった。


「学院の内部に協力者がいる可能性もあるのね」


「外の人間が、認証情報だけを手に入れた可能性も残ってるらしい」


「分かったわ。警備担当にも共有して、学院側の調査状況を確認させる」


「エリルも、まだ調べてる途中らしい」


「それでも、知らないよりはいいわ。……ありがとう」


「俺が調べたわけじゃないけどな」


「それでも、私に話すことを選んだのはあなたでしょう」


 そう返されると、何と言えばよいのか分からなかった。


 胸の奥がまた落ち着かなくなりかけたところで、演習室の扉が開いた。


「もう始めてた?」


 エリルが顔を覗かせ、その後ろからブロムとキュルも入ってくる。


「まだよ。あなたたちを待っていたところ」


「それならよかった」


 エリルは前方の机へ向かい、キツキの正面に腰を下ろした。ブロムは黒板に近い席を選び、レニアも自分の答案と解き直した紙を広げる。


 キュルだけは机を囲まず、壁際の椅子へ座った。鞄から薄い本を取り出すと、第1問には目も向けずにページを開く。


「それじゃあ、支払いをお願いしようか」


 エリルの言葉を合図に、キツキも自分の答案を机の中央へ置いた。


「試験中の君が何を見て、どこで何を考えたのか。答案を見ながら、順番に聞かせて」


「ああ」


 キツキは第1問に目を落とした。


 修正後の術式構造と、必要最低限の魔力配分。正解を示す印はついているが、そこへ至る途中の計算はどこにもない。


「まず、元の術式を見て……属性同士が干渉してる場所を探した」


「どこが干渉していると判断したの?」


 レニアがすぐに尋ねた。


「ここだよ」


 キツキは、術式の一部を指で示した。


「この接続を外して、流れをこっちに変えれば、損失が減ると思った」


「なぜ?」


「なぜって……」


「その接続を外せば、別の箇所に負荷が移るはずよ。普通なら、それを防ぐために先に魔力配分を計算するでしょう?」


 キツキは答案を見直した。


 レニアの言うとおり、修正した箇所だけを見れば、別の場所へ負担がかかるように見える。


 だが、眼鏡が示した完成形では、そこも含めて問題なく成立していた。


「配分を先に決めたんじゃないのかい?」


 ブロムも自分の答案を開きながら尋ねた。


「僕は、3つの属性が互いに及ぼす影響を一つずつ計算した。その結果を基に配分を決めてから、術式の接続を変えたんだ」


「俺は……」


 キツキは自分の答案に書かれた数値を見る。


 数値は分かる。


 どこを変えればよいのかも分かっている。


 けれど、なぜその数値になったのかを説明しようとすると、その手前に何もなかった。


「この配分は、どの計算から出したの?」


 レニアが問う。


「それは……たぶん、干渉した分を――」


「その計算なら、この値にはならないよ」


 ブロムは否定するだけで終わらせず、自分の紙へ短い式を書いた。


「通常の方法なら、こちらの値になる。君の配分で成立させるには、別の前提が必要なはずだ」


 キツキは答えられなかった。


 答案に目を落とし、試験中のことをたどる。


 問題を見た。


 眼鏡を通して術式を調べると、正しい形と配分が示された。


 そして、それを答案に書いた。


 その間に、自分で理屈を積み上げた記憶はなかった。


 正解の印がついた答案が、急に自分のものではないように見えた。


「どうしたの?」


 レニアの声に責める響きはない。


 だからこそ、適当な説明で済ませることはできなかった。


 エリルとの取引でも、あとから作った理屈ではなく、あのとき実際に考えたことを話すと約束している。


 キツキは答案から目を離し、3人の顔を順に見た。


「……正直に言う」


 言葉にするまで、わずかな間が空いた。


「答えになる形は分かったんだ。でも、そこに至る途中の理屈までは、俺もちゃんと分かってない」


 演習室が静かになった。


「計算して出したわけでもない。術式を見ていたら、ここを変えて、この配分にすればいいって分かった。だから、そのまま書いた」


「答えが、過程より先に分かったということかい?」


 ブロムが確認する。


「たぶん、そうなる」


「でも、どうして分かったの?」


 レニアの問いに、キツキはすぐには答えなかった。


 眼鏡のことまでは話せない。


 それでも、自分の理解だけで答えにたどり着いたふりもしたくなかった。


「そこは、今は言えない。けど、俺が自分で計算して導き出したわけじゃないことだけは本当だ」


 頼ってくれたレニアを失望させたかもしれない。


 そう思いながら顔を上げると、レニアは自分で解き直した紙を遠ざけるどころか、キツキの答案の隣へ寄せた。


 その隣で、エリルが小さく息を吐いた。


「それが、試験中の君が本当に考えていたことなんだね?」


「ああ。思い出せる限りでは、それが全部だ」


「なら、支払いは済んだよ」


「これでいいのか?」


「私が買ったのは、完成した解説じゃない。君がどうやって答えを書いたのかという事実だからね」


 エリルは楽しそうに目を細めた。


「理由も分からないまま、正しい完成形だけが先に見えた。それなら、普通の解法よりずっと面白い情報だよ」


「面白がられても困るんだけど……」


「どうして答えだけ分かったのかは、今回の代金には含まれていないから、今は聞かないでおいてあげる」


 聞かないだけで、疑問を捨てたわけではないらしい。


 キツキが苦い顔をしていると、レニアが机の上の紙を自分の方へ引き寄せた。


「それなら、今から一緒に確かめればいいでしょう」


「え?」


「あなたも、なぜその答えになるのか分かっていない。私も、別解が成立する理由を知りたい」


 レニアは机の上に並ぶ、キツキとブロムの答案を見比べた。


「分からないなら、分かるところまで考えればいいだけよ」


 それはレニアにとって、あまりにも当然の結論らしかった。


 ブロムも席を立ち、黒板の前へ向かう。


「なら、まずは正攻法を最初から整理しよう。どこまでは同じで、どこから違うのかを見つければ、別解の前提も分かるかもしれない」


「その前に、疑問を分けた方がよさそうだね」


 エリルは新しい紙を取り出した。


「術式の接続を変えた理由、配分が成立する理由、それから途中の計算を省ける理由。まずは、この3つかな」


 レニアは解き直した紙を手に黒板の前へ移り、ブロムの隣に並んだ。


 キツキも答案を持って立ち上がる。


 壁際では、キュルが本から一度だけ目を上げた。


「まだ帰らない?」


「始まったばかりだよ」


「そう」


 キュルは再び本に視線を戻した。


 黒板には、ブロムが正攻法の最初の式を書き始めている。その横でレニアが術式の共通部分を示し、エリルは3つに分けた疑問を紙へ書き並べていた。


 正解を書いたはずの第1問を、キツキはその日、初めて自分の手で解き始めた。


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