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第2話 彼女の周りだけ、席が空いていた

「……いた」


 思わず漏れた声に、隣の男子生徒が怪訝そうな顔を向けてきた。キツキは慌てて咳払いをし、何事もなかったように正面に視線を戻す。


 レニアは壇上には上がらず、前方に用意された席へ静かに進んでいった。


 王女だからだろうか。彼女の周囲だけ、不自然なほど空席が残っていた。左右だけではない。前後の生徒まで、明らかに距離を取っている。


 近くにいるのは、護衛らしき女性が1人だけだった。それでも、生徒たちはレニアを遠巻きに見つめていた。


 王族への畏れ。美貌への憧れ。その中には、それだけでは説明できない警戒や忌避まで混じっているように見えた。


「王女って、あんなに避けられるものなのか?」


 小さく呟く。


 メガネで調べようかとも考えたが、すぐにやめた。離れた場所から相手を勝手に解析するのは、覗き見と変わらない気がする。それに、初対面の少女を見ただけで頭痛を起こすのも格好が悪い。


 レニア本人は、周囲の視線など意に介さないように、真っすぐ前を向いていた。ただ、半ば伏せられた赤い瞳には、眠たげな気だるさと冷めた色が浮かんでいる。


 6つ目の願いが、彼女を指しているのかは分からない。


 そもそも「最高にかわいいヒロインと――」の続きを、キツキは決めていなかった。


 出会えるのか。仲良くなれるのか。相手が自分を好きになるのか。


 何一つ指定していない。それでも、美貌に関してだけは、条件を満たしているどころの話ではなかった。


「これは、期待してもいいんじゃないか……?」


 異世界転生初日。


 魔法は1つも使えない。危うく入学式にも遅刻しかけた。


 それでも、最高にかわいい王女と同じ学院に通える。その事実だけで、先ほどまで抱いていた不安が急速に薄れていった。


 壇上では、学院長の挨拶が終わりに近づいていた。


「入学式終了後、新入生諸君には、今後の履修と所属を決定するための基礎適性検査を受けてもらう」


 講堂の空気がわずかにざわめく。


「検査するのは、属性、クラス、魔力量。そのほか、各人の特性についても順次確認する。これは優劣のみを競うためのものではない。現在の自分を正しく知り、これからの5年間に生かすための検査である」


 検査。


 その言葉に、キツキは姿勢を正した。


 無限の魔力。すべての魔法を使える能力。


 ついに、自分の転生特典がどれほど規格外なのか分かる。先ほど魔法を使えなかったのは、術式を知らなかったからにすぎない。魔力そのものを測るのなら、話は別だ。


「いきなり学院中を驚かせたりしてな」


 キツキは、口元に浮かびかけた笑みを抑えた。


 やがて学院長の説明が終わると、前方のレニアも静かに席を立った。


 その横顔からは、期待も緊張も読み取れない。何が起きても心を動かすまいとしているような、冷めた静けさだけが薄く滲んでいた。



 入学式を終えた新入生たちは、学院職員の案内に従って大講堂を出た。複数の組に分けられ、学院北側にある検査棟へ向かう。


 キツキの周囲では、これから行われる検査についての会話が飛び交っていた。


「去年より、クラスが上がってるといいんだけど」


「お前、もうクラス2だろ。入学時点なら十分じゃないか」


「属性が多くても、術式を扱えなければ意味はありません。結局は、どれだけ正確に魔力を制御できるかでしょう」


 話の内容は半分も分からない。それでも、この世界における魔法の基準は何となく見えてきた。


 魔法を使えること自体は、珍しくない。重要なのは、どのクラスの魔法を扱えるのか。


 そして、多くの新入生は、入学する前から既に魔法の訓練を受けているらしい。


 キツキはそこで初めて、自分がかなり出遅れている可能性に思い至った。


「まあ、でも魔力は無限だしな」


 知らないなら、これから覚えればいい。使える魔法そのものに制限がないのなら、最初の差などすぐに埋められるはずだ。


 検査棟は、中央に広い吹き抜けを備えた円形の建物だった。吹き抜けを囲むように、複数の検査室が並んでいる。


 新入生たちはさらに細かく分けられ、それぞれ異なる部屋に案内された。キツキの組が最初に受けるのは、属性、クラス、魔力量の測定だった。


 検査室に入ると、中央に置かれた装置が目に入った。


 腰の高さほどある白い台座。その上には、大人1人で抱えるのも難しそうな巨大な水晶が固定されている。


 水晶と台座の接合部には、細い金属環が何重にも巻かれ、その隙間を淡い光が流れていた。


 周囲には学院職員や教師が立ち、壁際には記録用の机が並んでいる。


「これより、基礎適性検査を行う」


 灰色の長衣を着た男性教師が、新入生たちを見渡した。


「名前を呼ばれた者は前に出て、水晶に利き手を置け。自ら魔力を流す必要はない。装置が必要な量だけを読み取り、属性、クラス、魔力量を順に測定する」


 教師は台座に手を添えた。


「痛みはない。ただし、測定中に違和感を覚えた場合は、すぐに手を離すこと。無理に続ける必要はない」


 最初に呼ばれたのは、貴族らしい少年だった。


 水晶に手を置くと、内部に淡い光が広がり、台座の側面に文字と数字が浮かび上がった。


《水》


《風》


「水、風の2属性。クラス2。魔力量、中位」


 教師が結果を読み上げる。


 周囲から、感心したような声が上がった。入学時点でクラス2なら、十分に優秀らしい。


 少年は満足そうな顔で列に戻った。


 その後もクラス1が続き、ときおりクラス2が出るたびに、小さなどよめきが起こった。


 キツキは、自分の番が来ていないにもかかわらず、落ち着かなくなってきた。


 無限の魔力という結果が出れば、周囲はどんな反応をするのだろう。装置が壊れたりしないだろうか。あまりにも目立ちすぎるのも問題かもしれない。


 そんな心配をしているうちに、室内の空気が変わった。


 教師が手元の名簿に目を落とす。


「レニア・フォルテア殿下」


 抑えきれないざわめきが起こった。


 壁際で待っていたレニアが、静かに前へ進み出る。入学式のときと同じように、彼女の周囲だけ自然と空間が生まれた。


 検査装置も、手順も、先ほどまでと変わらなかった。それでも、教師たちの表情にはわずかな緊張が見えた。


「検査は通常どおり行います、レニア殿下」


「ええ。それで構わないわ」


 レニアは短く答え、台座の前に立った。その横顔に緊張は見えない。


 だが、右手を水晶に伸ばす動作が、ほんの一瞬だけ止まった。キツキは、そのわずかな躊躇いに気づいた。


 次の瞬間には、レニアの手が水晶に触れる。


 淡い光が灯った。


 最初は、これまでの生徒と変わらなかった。水晶の中心に白い光が生まれ、細い筋となって全体に広がっていく。


 やがて、台座の側面に4つの属性名が浮かび上がった。


《火》


《氷》


《風》


《雷》


「4属性……」


 誰かが息を呑み、室内のあちこちから驚きを隠しきれない声が漏れた。


 2属性でも優秀とされる中で、4属性。


 記録板を見ていた教師たちも、揃って水晶に目を戻した。


 台座の表示が切り替わった。


「クラス3」


 今度は、明確などよめきが起きた。


 17歳の新入生としては、間違いなく天才と呼ばれる領域。入学前から訓練を積んだ優秀な貴族でさえ、多くはクラス2に留まる。


 キツキにも、周囲の反応だけでレニアの結果がどれほど高いのか理解できた。


「魔力量、上位」


 記録係が、最後の結果を読み上げる。


 4属性。クラス3。魔力量上位。


 レニアは、その場にいる新入生の中でも明確に抜きん出ていた。しかし本人は、周囲の驚きにも賞賛にも反応しなかった。ただ水晶に手を置いたまま、測定が終わるのを待っていた。


「測定終了です。レニア殿下、手を――」


 教師が告げかけた、そのときだった。


 レニアを目で追っていたキツキの視界の端で、水晶と台座の境目が一瞬だけ黒く明滅した。強い白光に紛れ、すぐに消える。


「……今のは?」


 光の反射には見えなかった。


 他の生徒も教師も反応していない。皆が測定結果に気を取られる中、レニアが水晶から手を離そうとした。


 だが、その手は動かなかった。


「……?」


 彼女の眉が、わずかに寄る。


 もう一度、腕を引く。細い指は水晶に触れたまま、見えない何かに縫いつけられたように離れない。


「レニア殿下?」


 近くの教師が異変に気づいた。レニアは右腕に力を込めながら、静かに答える。


「手が、離れないわ」


 その言葉と同時に、水晶の光が再び強くなった。本来なら終わっているはずの測定が、まだ続いている。


 水晶内部の白い光が激しく揺らめき始めた。


 キツキは迷った末、メガネをかける。


 今の黒い線は何だ。


 そう意識した瞬間、こめかみの奥が熱を持った。台座の内部を走る魔力経路が、視界に浮かび上がる。


 水晶から台座を通り、測定機構へと続く経路。それは対象から読み取った魔力を、属性、クラス、総量の情報に変換するための回路だった。


 その中に、1つだけ明らかに異なる流れがある。


 本来なら測定終了と同時に閉じるはずの経路が、閉じていない。それどころか、装置からレニアに絡みつき、接続を強制的に固定していた。


《非正規接続を検出》


 短い表示が浮かんだ。


 非正規接続とは何だ。


 さらに意識を向けると、頭の奥に鋭い痛みが走った。


《測定機構外の追加術式》


《機能:対象との接続固定》


《機能:対象魔力の強制抽出》


「……は?」


 思わず声が漏れた。隣の生徒が怪訝そうに振り向く。


 キツキは構わず、レニアと装置を見続けた。測定装置は、もう彼女の魔力を調べているのではない。


 接続を切らせず、測定に必要な量を超えて、彼女の魔力を強制的に引きずり出している。


 誰かが細工した。その考えが頭をよぎる。


 誰が、いつ、何のために。


 知ろうとして解析を広げた瞬間、視界が大きく揺れた。


「っ……!」


 キツキは慌てて意識を引き戻す。


 過去は見えない。犯人の顔も、目的も分からない。今、目の前で観測できる構造しか解析できない。


 こめかみを押さえながら、再び台座に目を向けた。水晶から漏れ出す光は、既に眩しいほど強くなっている。


「魔力の流出が続いています!」


 記録係の声が裏返った。教師がレニアに駆け寄る。


「レニア殿下、もう一度手を離してください!」


「できるなら、とっくにそうしているわ」


 声は冷静だった。だが、右腕を押さえる左手には、明らかに力が入っている。


 台座の表示は、既に測定結果を示していない。意味を失った文字列が明滅し、水晶内部に魔力だけが蓄積され続けている。


 教師が装置側面の術式に手を伸ばした。


「緊急停止!」


 赤い光が点灯する。しかし、水晶の輝きは弱まらない。


「停止術式が反応しません!」


「接続を切れ!」


 別の教師が、接続を断つための術式を台座に打ち込んだ。だが、淡い光の膜が装置を覆い、外部からの干渉を弾く。


 その衝撃に反応するように、水晶内部の魔力が大きく波打った。


 室内を満たす魔力が、目に見える揺らぎとなって床を這う。近くにいた生徒たちが、一斉に後ろに下がった。


「全員、壁際へ! 水晶から離れろ!」


 教師たちの声が飛ぶ。キツキも周囲に押され、数歩後退した。


 水晶の表面に、亀裂のような光が走る。風もないのに、レニアの銀髪と制服が激しく揺れ始めた。


 彼女は苦痛に顔を歪めながら、それでも声を上げようとはしない。空いた左手で右腕を押さえ、何とか水晶から引き剥がそうとしていた。


「魔力の流出が加速しています!」


「このままでは、レニア殿下の制御を外れた魔力が一気に噴き出すぞ!」


「防護結界を展開しろ!」


 教師たちが一斉に動いた。複数の魔法陣が床に広がり、水晶とレニアを囲むように半透明の壁が立ち上がる。


 その直後、光の波が爆発的に膨張し、防護結界が激しく軋んだ。新入生たちから悲鳴が上がり、出口に向かって人が殺到し始めた。


 キツキは、その流れの中で立ち止まっていた。


 危険だ。近づけば巻き込まれる。


 この世界に来たばかりのキツキにも、それくらいは分かる。だが、メガネ越しに見える異常な回路は、今も台座の内部で明確に光っていた。


 教師たちは、溢れ出そうとする魔力を抑えようとしていた。しかし、接続を固定している追加術式そのものを断とうとしている者はいなかった。


 あれをどうにかしない限り、彼女から魔力は引き出され続ける。


 キツキは、再び解析に意識を向けた。


 どこを止めれば、接続を切れる。


 脳の奥に、焼けた針を差し込まれたような痛みが走る。視界いっぱいに回路が展開された。


 複雑すぎる。情報が多すぎる。それでもキツキは、歯を食いしばって見続ける。


 やがて、台座と水晶をつなぐ金属環の一部が強く明滅した。そこだけ、複数の経路が1本に収束している。


《接続維持部》


《金属環の閉鎖により、強制抽出経路を固定》


《接合部を開放することで、排出経路へ流路変更可能》


 答えは出た。


 あの金属環が閉じている限り、レニアから魔力を吸い出す経路は切れない。ならば接合部を押し広げ、閉じられないようにすればいい。


 だが、何を使ってこじ開ける。


 そこまで考えたところで、頭痛が一気に強くなった。


 キツキはメガネを外した。解析表示が消えると同時に、残った頭痛で足元がふらつく。


 それでも、接続点の位置は覚えていた。正面から見て右下、水晶と台座の境目にある細い金属環の接合部だ。


 教師たちの結界が、再び大きく歪んだ。


「もう保ちません!」


 誰かの叫びが響く。


 レニアは暴走の中心に立ったまま、逃げ惑う新入生たちを見ていた。


 助けを求めるでもない。泣き叫ぶでもない。半ば伏せられた赤い瞳には、恐怖よりも深い諦めが浮かんでいた。


 まるで、いつかこうなると、とうに受け入れていたかのように。


 キツキの頭に、入学式で抱いた考えが蘇った。


 最高にかわいいヒロイン。


 ここで助ければ、格好がつく。感謝されるかもしれない。


 そんな軽い期待が、確かにあった。だが今は、それだけではなかった。


 目の前に、死にそうな人間がいる。止められる場所を、自分だけが知っている。


 それなら。


「行くしかないだろ」


 キツキは、逃げる人の流れに逆らって走り出した。


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