第148話 ルビーの瞳は見逃さない
夜のカルネアを、キツキは小走りで進んでいた。
「ふぅ……ちょっと食いすぎたな」
宿に戻ってから、エリルと一緒に夕食を取ったのだが、思った以上に美味しく、ついゆっくり食べてしまった。おかげでレニアとの約束の時間が迫っている。
受付で受け取ったプライムフォーラムのパンフレットも、部屋の机に置いたままだ。
まあ、打ち合わせに遅れるよりはいいだろう。
そんなことを考えながら足を動かしていると、ふと街の明るさに意識が向いた。
夜だというのに、通りには街灯が並び、建物の窓からも光が漏れている。行き交う人の姿もまだ多く、どこか元の世界の夜の街を思い出すような光景だった。
頬に当たる空気は少しひんやりしている。寒いほどではなく、小走りで火照った体にはちょうどいい。
少しばかり街の雰囲気を楽しみながら、キツキはホテルへと急いだ。
やがて目的のホテルが見えてくると、思わず足が緩んだ。
「……すっげえ」
入口には上品な装飾が施され、明かりに照らされた建物は華やかだった。中に入れば、大きなシャンデリアの光が磨き上げられた床に映り込んでいる。
(王族レベルになると、泊まるホテルもこんなに違うのか……)
住んでいる世界が違うな、と感心してしまった。
もっとも、いつまでも眺めているわけにはいかない。
キツキは従業員に用件を伝え、案内された客室の扉をノックした。
「キツキ様。お待ちしておりました。レニア様も中にいらっしゃいます」
「あ、どうも。お願いします」
扉を開けたリゼットに促され、室内に入る。
応接用のソファとテーブルが置かれた部屋では、レニアがパンフレットと発表資料を確認していた。
「来たわね」
「ああ。すまん、ちょっとギリギリになった」
「別に、間に合ったならいいわ。……ん?」
レニアはキツキの顔をじっと見たかと思うと、少し眉をひそめた。急いできたわりにはどこか楽しげな様子が、気になったらしい。
「……あなた、パンフレットは確認したんでしょうね」
「え?」
いきなり核心を突かれ、キツキは言葉に詰まった。思わず両手を動かして弁明しようとするものの、特に言い訳も思いつかない。
「いや、その……飯食ってたら時間がなくなってさ」
レニアは何も言わず、ルビーのような赤い瞳でキツキをじっと見つめた。
しばらくその視線を受け止めていたキツキだったが、とうとう耐えきれず、頭を下げた。
「……すみませんでした」
レニアは小さくため息をついた。
「まったく。明日から始まるってわかっているの?」
「いや、本当にその通りで……」
「……まあいいわ。とりあえず座りなさい」
キツキは少し肩を落とし、おとなしく向かいのソファに腰を下ろした。
それを見届けたレニアはパンフレットを開き、一覧に並んだ2人の名前を指さした。
「私たちの発表は2日目よ」
キツキは指さされたところを見て、ほっと息をついた。
実際のフォーラムがどんな雰囲気なのか、まだよく分かっていない。初日にほかの発表を見ておけるなら助かる。
「……随分安心した顔ね」
「あ、いや。初日に様子見できるのは助かるなって」
「2日目だからって気を抜かないでちょうだい」
「も、もちろんです……」
レニアがまだ少し疑わしそうな目を向けてきたところへ、リゼットが静かに近づいてきた。
いつの間に用意したのか、テーブルには紅茶と軽くつまめるものが並べられていく。レニアが何か頼んだ様子はない。
「あ、ありがとうございます……」
キツキが小声で礼を言うと、リゼットは軽く会釈し、少し離れた位置に戻った。
レニアは特に驚くこともなく、資料から目を離さずにカップへ手を伸ばしている。
……何も言われていないのに、この絶妙なタイミングでお茶を出してくれるとは。
キツキが感心している間に、レニアは話を続けた。
「それで、明日のことだけれど。特別質問権について、改めて確認するわ」
レニアの説明によると、プライムフォーラムの参加者には、それぞれ3回分の特別質問権というものが与えられるらしい。
これは発表者と質問者が互いに理解を深め、研究の質を高めるために設けられた制度で、発表中でも質問を申し出ることができるというものだ。
鋭い質問をすれば、その着眼点や理解の深さを周囲に示せる。もちろん、発表者も質問に的確に答えることで、自分の研究への理解を示せるわけだ。
さらに、質問が有効と認められれば権利は消費されず、無効と判断された場合にのみ1回分を失う仕組みになっている。
つまり、適切な質問であれば、回数を減らさずに何度でも質問できる。
こうして発表者と質問者の双方が互いを高め合えることも、プライムフォーラムの水準を支える大きな要因の1つなのだろう。
「なるほど……」
キツキは軽く頷いた。
自分が特別質問権を使うかはわからないが、発表中に質問される可能性はおおいにある。せっかくレニアと仕上げた研究だ。聞かれたときに慌てずに済むよう、心構えくらいはしておきたい。
それからも2人は資料を広げ、発表の段取りや当日の流れを確認していった。
一通り話し終え、キツキが帰ろうと立ち上がったところで、レニアが声をかけてきた。
「……念のため言っておくけれど」
「ん?」
「本番でも今日みたいに準備不足で来たら、承知しないわよ。私たち2人の発表なんだから」
「……はい。気をつけます」
思わず敬語になったキツキに、レニアは呆れたようにため息をついた。
キツキもそれ以上は何も言えず、2人に挨拶してホテルを後にした。
宿に戻ると、机には出かける前に置いたパンフレットがそのまま残っていた。
ようやく手に取り、発表者の名前や所属、研究題目を眺めていく。知らない分野の研究も多い。
その中で、気になる題目が目に入った。
『発動後の魔法の軌道修正』
「……え、これっ」
発動後に魔法の軌道を修正する研究らしい。もし狙いが外れても途中で曲げられるなら、技量の足りない自分にはありがたい話だ。
キツキは発表者の名前と所属を確かめた。
「モニカ・ソラリー……エルフェリア樹学院か」
そういえば、カルネアに到着したとき、ピンク髪のエルフの少女を見かけた。
(もしかして、あの子だったりしてな)
確信はないが、この研究の発表はじっくり聞いてみたい。
ほかの発表にもざっと目を通し、キツキはパンフレットから顔を上げた。
窓の外には、夜になっても明るいカルネアの街が広がっている。
明日から、この街でプライムフォーラムが始まる。
自分たちの発表は明後日だ。これまで準備してきた研究を、もうすぐ大勢の研究者の前で発表することになる。
キツキは無意識にパンフレットを握り直し、そのまましばらく窓の外を眺めていた。




