第144話 高度上昇、機嫌は下降?
飛行船の中へ足を踏み入れたキツキは、思わず周囲を見回した。
「……ここ、本当に船の中か?」
外から見ても大きかったが、中も想像以上に広い。乗客用の座席が並ぶ場所のほかに、大勢が集まれそうな共用ホールまであった。
しかも、その天井には宝石や金属細工で飾られた大きなシャンデリアが吊るされている。まるで宮殿の中にでも入ったようだった。
「すっっげ……」
キツキが感心しながら歩いていると、近くではエストが騎士団の者と何か話していた。通路を行き来する護衛の姿もある。
(それにしても、随分と警備が厳重なんだな)
そんなことを頭の片隅で考えながら、キツキは案内された座席へ向かい、荷物を置いた。窓の外には、先ほどまでいた発着場が見えている。
ふと気づくと、いつの間にかホンペクが実体化していた。
「うおっ。お前、いつも急だな……」
ホンペクはそんなキツキには構わず、物珍しそうに周囲を見回しながら共用ホールの方へ歩いていった。そして、大きなシャンデリアの下で足を止める。
「なんだ、お前も気になったのか」
声をかけてみたが、ホンペクはシャンデリアを見上げたままだった。
「……聞いてねえな、こいつ」
そんなことをしているうちに、出発の時刻となった。やがて飛行船がゆっくりと浮き上がり始める。
「おおっ……!」
窓の外では地面が少しずつ遠ざかり、発着場の建物もどんどん小さくなっていく。
本当に飛んでいる。
キツキが思わず窓に顔を近づけると、いつの間にか隣に来ていたホンペクも外を覗き込んだ。
しばらくの間、2人はそのまま遠ざかっていく地上を眺めていた。
飛行船が安定して飛ぶようになると、乗客たちも席を離れ、それぞれに過ごし始めた。
キツキも窓から離れ、共用ホールへ目を向けた。そこではマリベルが手元の書類を確認しており、その近くにエリルがやってくる。
「せんせ、なんだか楽しそうですね~」
マリベルは書類から目を離さずに答えた。
「どこがよ。どうして私がこんな面倒な引率を任されなきゃいけないのかしら」
「えー、せっかくの旅行じゃーん」
「何が旅行よ。プライムフォーラムは大事な行事なんだから、あんたも少しはしゃきっとしなさい!」
「はーい」
エリルが気のない返事をすると、マリベルは呆れたようにため息をついた。
「本当に分かってるんでしょうね。まったく、引率する側の身にもなってほしいわ」
そう言いながらも、マリベルは確認を終えた書類を手際よく揃え、次の予定に目を通していた。愚痴ばかりこぼしているが、仕事はきっちりとこなしている。
その様子に、キツキは相変わらずだなと苦笑した。
マリベルの愚痴はまだ続く。
「大体、なんで私がこんな――」
そこでマリベルは、少し離れたところにレニアがいることに気づいた。
「……あっ! も、もちろん殿下は別ですが! 決して殿下の引率が面倒だという意味ではありませんので!」
「……そうですか」
レニアは少し引いたような顔で返した。
「そ、その、今のはちょっとした冗談でして……」
「せんせ、もう遅いよ」
「エリル、あんたは黙ってなさい!」
マリベルは慌てて言い返すと、書類を抱え直した。
「と、とにかく! 私はまだ確認することがあるから、あんたたちは大人しくしてなさいよ」
そう言って、足早にその場を離れていった。
エリルがその後ろ姿を笑いながら見送っていると、今度はウインス・エルダンが近づいてきた。
「随分と余裕そうね、エリル」
「あ、ウインス先輩~。どうかしました?」
「別に。ただ、七環術式を解明したそうじゃない。……でも、その様子じゃ幸運に恵まれただけのようね」
エリルはそんな皮肉にも、にこにこと笑っている。
「そうですね~。運も実力のうちって言いますし」
「……随分と都合のいい考え方ね」
「えへへ。先輩にも、そんな幸運が訪れるといいですね~」
ウインスの笑顔がわずかに引きつった。
「ご心配なく。私は偶然なんかに頼らなくても、きちんと成果を出すつもりだから」
「そうなんですね~。じゃ、先輩にも幸運が訪れるように祈りながら、発表を楽しみにしてますね」
ウインスはエリルをキッと睨みつけた。
「……今に見てなさい。結果が出れば分かるわ」
「はーい」
エリルが気のない返事をすると、ウインスはそのまま別の席へ向かっていった。
そんな何とも穏やかでない会話が繰り広げられていた一方、少し離れた窓際では、レニアが外の景色を眺めていた。
昨日のセドリックとのやり取りを思い出し、レニアは眉をひそめた。小さく息を吐いて窓の外へ目を戻したものの、その表情は険しいままだった。
そんなところへ、楽しそうな声が聞こえてきた。
「おお、すげえ! ホンペク、あれ見ろよ!」
レニアが声の方へ目を向けると、キツキがホンペクと並んで窓の外を覗いている。
少し呆れた様子で2人を見ていたが、やがてキツキもレニアに気づいた。
「あ、レニア!」
キツキが手招きする。
「見てみろよ。下にでっかい川があるぞ」
「川くらい、そんなに珍しくもないでしょう」
「いや、上から見ると全然違うって」
レニアが窓の外へ目を向けると、眼下には大きな川が緩やかに曲がりながら流れていた。その周りには街や小さな建物が点々と見える。
「……そうね」
「だろ? あれ、どこまで続いてんだろうな」
「……知らないわよ」
「向こうまで見えればなあ……」
そう呟いて、キツキは再び窓の外を覗き込んだ。隣のホンペクも同じように川の先を眺めている。
レニアもしばらく2人と一緒に景色を眺めていた。キツキはその間も、何かを見つけるたびに楽しそうな声を上げている。
「少しは落ち着きなさいよ。まだ先は長いんだから」
「分かってるって。……おっ、あれもすげえな!」
……全然分かってないじゃない。
レニアは小さくため息をついた。だが、その口元にはいつの間にか小さな笑みが浮かんでいた。




