第141話 水と氷と夜明け
「……また駄目ね」
レニアがそう言って、目の前に浮かべていた氷を消した。
キツキとレニアが研究室で3つの作用をまとめ始めてから、すでに数日が経っている。その間に何度も統合を試してきたが、最後のところで足踏みしていた。
試作杖には、これまで個別に確認してきた3つの作用を組み込んである。魔法を強くする作用も、維持に必要な集中を軽くする作用も、維持に使う魔力を減らす作用も、それぞれ働いていた。
それでも、3つを同時に動かすと魔法が安定しない。
今の氷も、崩れるほどではなかったが、表面がわずかに揺れていた。
キツキはメガネ越しに、もう1度杖の内部へ意識を向ける。あちこちで魔力の流れが揺れている。だが、どれが原因でどれが結果なのかまでは分からない。
「やっぱり分かんないな。3つとも動いてんのに」
レニアも手元の紙に視線を落とした。
プライムフォーラムに向けた学院への提出期限は、もう目前まで迫っている。
「一度、2つずつ試しましょう」
「わかった」
言われた意図はすぐ分かった。どの作用同士がぶつかっているのか、切り分ければいい。
まず2つの作用だけを働かせた状態で、同じ氷魔法を試す。
問題は出なかった。組み合わせを変え、残る組み合わせまで確認しても、やはり安定している。
3つ揃えた時だけ駄目だった。
原因を絞るつもりが、むしろ分からなくなった。
レニアが一度だけ時計へ目をやり、すぐに手元の紙に視線を戻す。
それからもレニアは構造を見直し、キツキは魔力の流れを追った。外が暗くなるころ、簡単に食事を済ませてひと息つく。
その間、レニアは少し席を外した。軽く化粧も直していたが、戻ってきたレニアを見ても、キツキはいつも通り可愛いと思っただけで、化粧を直したことには気づかなかった。
そうして少し頭を休めてから作業に戻っても、答えは出なかった。
「それ、もう1度」
「はいよ」
もう何度目か分からないやり取りにも、いちいち説明はいらなくなっていた。レニアが紙を差し出せばキツキが受け取り、必要なところを確認して返す。
問題は、その少し後だった。
構造図を見ながら考え込んでいたキツキは、手近にあった水を取り、そのまま口をつけた。
「……それ、私のよ」
「え?」
手がぴたりと止まる。
キツキは手元の水を見る。それから壊れかけの機械みたいに、ぎぎ、と首だけを動かしてレニアを見る。
「ご、ごめん!」
慌てて水を机に戻し、キツキは椅子から半ば腰を浮かせた。視線が手元とレニアの間を何度か行き来する。
よりによってレニアの飲み物を、何も考えずに飲んでしまった。しかも相手は王女様だ。それだけでも十分まずいのに、相手がレニアだと思うと、別の意味でも妙に落ち着かない。
レニアは机に戻された水をじっと見つめ、ほんの少し間を置いた。
「……それ、もうあなたにあげるわ」
「悪い! 新しいの買ってくるから!」
キツキはすぐに研究室を出た。
扉が閉まったところで、思わず額を押さえる。
(何やらかしてんだ俺……)
少し頭を冷やしてから水を買い、すぐ研究室に戻った。新しい水をレニアに渡して席に着き、ひと息ついたところで、2人はまた試作杖へ向き直った。
もう1度、3つの作用を同時に動かす。
氷が形成される。強化も出ている。維持の負担も軽く、レニアから流れる維持用の魔力も減っている。
それでも、やはり氷はわずかに揺れた。
キツキは杖の内部を追ったが、やはりあちこちで魔力の流れが揺れている。変化が重なって見え、それぞれがどうつながっているのかまでは追えない。
小さく息を吐き、いったん杖の内部から意識を外した。
目の前では、さっきから何度も見ている氷がまたわずかに揺れている。
見慣れたはずのその揺れに、ふと何かが引っかかった。
「……? 今の、さっきも同じ感じじゃなかったか?」
「同じ?」
「もう1回見せてくれ」
レニアはすぐに魔法をやり直した。
2人で氷に意識を向けたまま待つ。しばらくすると表面がわずかに揺れ、そのまま見続けていると、少し間を置いてまた同じように揺れた。
「……本当ね」
レニアが氷を見つめたまま、小さく頷く。
念のためもう1度確認しても、やはり魔法を維持している間に似た揺れが何度か繰り返された。
ただ不規則に乱れているだけだと思っていた。けれど、違う。揺れるまでの間も、揺れ方も、毎回よく似ている。
原因を探すなら杖の中だけ見ればいい。そう思い込んで、目の前の揺れをただの結果としてしか見ていなかった。
初歩的な見落としに思うところはあったが、今はそれを気にしている場合じゃない。ようやく見つけた手掛かりを追う方が先だ。
「もう1回いいか。次はよりしっかり見るから」
「ええ」
レニアがもう一度氷魔法を発動し、そのまま維持する。キツキも氷の揺れを待ちながら、杖の内部に意識を向ける。
やがて氷が揺れる。その前後の魔力の変化を追い、次の揺れまで見続ける。
すると、さっきまでばらばらに見えていた変化が、同じ順番で繰り返されているのが分かった。
「ここだ。この辺の流れが、同じ順番で繰り返してる」
レニアがすぐに紙に視線を移す。構造図の線を追い、しばらく黙った。
「……3つを同時に動かすことが問題なんじゃない。つなぎ方が悪いのよ」
3つの作用が同じ部分へ別々に補正をかけ、その変化が互いに返り合っている。2つまでなら収まっていたズレが、3つになると繰り返されていた。
レニアはもう1度構造図を見た。今度は迷う時間も短かった。
「これがわかれば、直せるわ」
そこからは早かった。
レニアが構造を組み直し、キツキが必要な部分だけ確認する。細かな調整を重ね、再び同じ条件で氷魔法を試した。
氷が形を作る。
2人とも何も言わず、その表面を見つめた。
しばらく待っても、これまで何度も見てきた揺れは起きない。
「……いけた、か?」
「……ええ」
レニアも感覚を確かめる。3つの作用は、どれも崩れていなかった。
2人は一瞬だけ顔を見合わせ、どちらからともなく笑った。
「もう1回よ」
「ああ!」
そうして何度か繰り返しても、結果は変わらなかった。
3つの作用を1本の杖で安定して動かすところまでは、これで形になった。
そこから先は、仕上げだった。
確認と細かな調整を重ねているうちに、夜が明けた。今度は何人かに協力を頼み、使用者を変えて試してもらった。使う魔法を変えても3つの作用は崩れず、必要な安全確認でも大きな問題は出なかった。
残った細かなズレを直しながら、2人は結果を順に記録へまとめていった。最後の頃には、必要なことしか話さなくなっていた。
そうして試作杖と記録を提出できる形に整え、そのまま学院への提出も済ませた。
これで、とりあえずなんとかなった。
そう思った途端、やり切ったという実感と、それまで押し込めていた疲労が一気に押し寄せてきた。キツキは大きく息を吐き、そのまま隣のレニアを見る。
「……このまま打ち上げでもするか?」
レニアは小さく息を吐いた。
「……するわけないでしょ。私は戻るわ」
そう言うと、返事も待たずに歩き出した。身なりはいつも通り整っていたが、その足取りは普段より少し重そうだった。
そんなレニアの背中を見送りながら、キツキはふっと笑った。それから少し遅れて、歩き出す。
研究のことを気にせず眠れるのは、ずいぶん久しぶりだった。




