第139話 共同研究なんだから
しばらくして、2人が岩から立ち上がったところで、キツキはふと思い出した。
「あ、そうだ」
「……何?」
「ほら、あれ。例の杖」
キツキが少し離れた岩場を指す。そこには、以前と変わらず古い杖が残されていた。
「あれね」
レニアは岩場へ向かい、杖を手に取ると、何度か魔法を試した。
細かな氷を舞わせたあと、今度は一定の形を保ったまま少し長く維持する。攻撃に使うような魔法ではなく、感覚を確かめるためのものだ。
やがて魔法を消すと、レニアは杖を見下ろした。
「……確かに、少し楽ね」
「だろ?」
「ええ。でも……」
握った手をわずかに動かし、首を傾げる。
「どうした?」
「これは……いえ、なんでもないわ」
レニアは杖を岩場に置き、2人はホンペクのところへ戻った。
「ホンペク、終わったぞ」
ホンペクは面倒そうに顔を上げると、のっそり立ち上がった。
そのままレニアのところまで歩いていき、前脚でふくらはぎに触れる。
次の瞬間、足元の感覚が消えた。
短い浮遊感のあと、研究室に戻ってきていた。窓の外には、まだ夕方の色が残っている。
「……やっぱ、よく分かんない場所だな」
振り返ると、ホンペクはもう床に転がっていた。
「お前、切り替え早すぎだろ」
当然のように返事はない。
キツキが呆れている横で、レニアはすぐ机に戻った。
さっき元の杖を使った時の感覚を思い返すように、広げてあった記録に目を走らせる。
何度かページをめくり返したところで、その手が止まった。
「……ここ、少し変えてみるわ」
「何か分かったのか?」
「いいえ。でも、さっき使ってみて気になったところがあるの」
レニアは試作品を引き寄せると、広げた記録と何度か見比べた。
それから道具を手に取り、転移する前まで決め手がなかった箇所へ、手を入れていく。
しばらくして、調整を終えた試作品をレニアが握る。
「同じ条件で試すわよ」
「わかった」
レニアが魔法を使い、小さな氷を空中に浮かべる。
その形が保たれている間、キツキはメガネ越しに魔力の流れを追った。
すぐに、いつもとの違いが見えた。
これまでなら、形を保つ間にも魔力の流れが細かく揺れ、そのたびにレニアが整え直していた。今回は、その揺れがほとんど起きない。
魔法が消えると、2人はほとんど同時に試作品を見た。
「……今の」
「……ああ。違った」
レニアはすぐに記録に目を落とした。
「もう1回よ」
「やっぱそうなるよな」
そうして何度か繰り返し、条件も変えながら確かめた。途中からは、キツキも同じ条件で試作品を使った。
それでも同じ傾向が出た。魔法を維持している間、これまでより意識を割かずに済む。
キツキには、元の杖で感じた「妙な楽さ」を、これで再現できたように思えた。
小さく笑い、喜びかけた、その時だった。
「……違うわね」
試作品を見たまま、レニアがふと呟いた。
「え?」
「……楽にはなったわ。でも、あの杖を使った時とはまだ違う」
レニアはもう1度同じ魔法を使った。
一定時間維持して消すと、今度はしばらく黙ったまま、自分の感覚を確かめている。
「……少ないわ」
「何がだ?」
「魔力の減り方よ」
思ってもいなかった答えに、キツキはわずかに目を見開いた。
「最初は、集中が楽になったからそう感じるだけだと思ってた。けれど違う。あの杖を使った時も、少し引っかかったのよ」
キツキは、古い杖を使ったあとにレニアが何か言いかけてやめたことを思い出した。
あの時引っかかっていたのは、このことだったのか。
「感覚だけじゃ断定できないわ。もう少し試すわよ」
同じ条件で、維持する時間も揃えてもう1度試す。
今度はキツキも、メガネ越しに魔力の流れを追った。
魔法そのものに送り出される主な魔力とは別に、細い流れが続いている。形がわずかに揺れるたび、それに合わせるようにその流れも変化していた。
試作品を使った時は、そこへ流れる量が少ない。
さらに何度か繰り返しても、それは同じだった。
「……ほんとに減ってる」
「どういうふうに?」
「たぶん、魔法そのものじゃなくて、維持するために使ってる方が減ってるんだと思う」
キツキの答えを聞くと、レニアは手元の紙に、今の結果から考えられることを書き出し始めた。
その間、キツキも自分が気づかなかった理由に思い至った。
そもそも自分は、魔力が減る感覚を知らない。無限の魔力が当たり前すぎて、使う量に差があっても、自分の感覚だけでは気づきようがなかった。
「……レニア」
レニアは書く手を止めずに答えた。
「何?」
「ありがとな」
「……何よ、急に」
「いや。俺だけじゃ絶対気づかなかったなって」
レニアは、何を言っているのとでも言いたげにキツキを見た。
「今さらでしょう。共同研究なんだから」
「……そうだな」
キツキは少し笑った。
レニアはその顔をしばらく見たあと、何でもないように視線を手元に戻した。
書きかけの紙を揃えようとすると、1枚だけ逆にずれた。
レニアは一度だけ指を止め、それを揃え直してから口を開く。
「……それより、今の結果よ」
「ん?」
「集中の負担とは、分けて考えた方がいいわ」
「分ける?」
「集中の負担が減ったから魔力の消費も減ったのか、それとも別の働きなのか。そこを確かめないと」
「あ、たしかにそうだな」
そこから先は、調整を変えて反応を比べながら、何日か試行錯誤が続いた。
検証を重ねるうちに、集中の負担と魔力の消費は、別々に変化するものだと分かってきた。
そうして何度も確かめた末、最後の確認でも、それぞれ個別に同じ傾向を再現できた。
これで、2つは別の作用としてきちんと切り分けられた。
維持する時の集中負担を減らすこと。
術式を支えるために使う魔力を減らすこと。
「……できた」
キツキは並べていた記録を見回すと、勢いよく椅子から立ち上がった。
両腕を大きく伸ばし、堪えきれないように笑う。
これで、強化を含めて3つ。
まだ1本の杖にまとめたわけではないし、他の使用者でも同じ結果になるかは分からない。
けれど、この研究を最後まで形にできれば、プライムフォーラムでも間違いなく評価される。
レニアには、その確信があった。
少し離れたところで、まだ興奮の収まらないキツキへ目を向ける。
ほんの少し口元を緩め、レニアはその姿をしばらく見ていた。




