第132話 3日前から本気出す
総合研究会でエリルたちに聞かされてから少しして、2回目の定期学科考査の日程が正式に発表された。それから何日か経ち、今は考査まであと3日。
キツキは自室の机に向かい、広げた教材とノートを睨んでいた。
前回みたいに七環術式なんてものを出されたら、たまったものではない。
そう考えたところで、ふと引っかかった。
いや、問題はそこじゃない。
前回だって、問題を見た時点では、あれがどれだけおかしいのか判断できなかった。自分にとって見慣れない問題でも、この世界では普通なのかもしれない。逆に、普通そうに見えても、実はそうではない可能性だってある。
つまり一番困るのは、何を警戒すればいいのか自分で判断できないことだった。
「……怖いな、これ」
小さく呟いて、教材の続きを追う。
また前回みたいな問題が混じっていたとしても、それを丸ごと取りこぼしていいほど余裕があるわけでもない。なら、せめて取れるところは確実に取っておきたい。
その点、メガネを使ってどうにかなる問題ならまだ助かる。ここまで学院生活をやってこられたのも、このメガネのおかげだ。今ではもう、頼りっぱなしと言ってもいい。
ただ、メガネでどうにもならない問題もある。暗記が必要なものは、自分で覚えるしかない。
そう考えると、結局は普段からちゃんと勉強しておけ、という話になる。
「過去の俺よ……なぜやらなかった……」
とはいえ、キツキにだって言い分はある。
この世界のことを覚えながら授業についていって、魔法の鍛錬もして、そのうえ研究まで始めた。こうして並べてみると、我ながら結構いろいろやっている。
……まあ、だからといって考査が待ってくれるわけでもない。
結局、今やるしかないのだ。
キツキは小さく息を吐き、ペンを動かし始めた。
それからしばらくは順調に進んでいたが、同じ行を何度か目で追っていたことに気づいた瞬間、ふっと集中が切れた。
椅子にもたれ、そのまま窓の外を見る。特に何か面白いものがあるわけでもないのに、ぼんやり眺めているだけで少しだけ頭が休まる気がした。
そうしているうちに、ふと喉の渇きを覚える。
次に気づいたときには椅子を離れ、冷蔵庫からコーラを取り出していた。
「……糖分補給」
自分に言い聞かせるように呟いて、開けたばかりのコーラを一気に飲む。
冷たさと炭酸が喉を通り抜ける。その感覚に浸りながら、ひと息ついた。
ふと、何人かの顔が頭に浮かぶ。
その中の1人だけが、なぜか少し長く残った。
あとになって、もっとやっておけばよかったと後悔するのは嫌だった。
キツキは机へ戻ると、再び教材を手元へ寄せ、さっきの続きへ目を落とした。
◇
プライムフォーラムの開催準備を進める一室で、2人の男が今年の関係資料に目を通していた。
「今年も水準は高そうですね」
若い男が、並んだ名前を追いながら言う。
「これだけ名前が揃っていれば、期待していいんじゃないですか?」
「……そうだな。顔ぶれだけ見ても、今年も十分だ」
そう答えたものの、年長の男の視線は資料の上に残ったままだった。
その様子に気づいた若い男が、少し首を傾げる。
「何か気になりますか?」
「いや、むしろ逆だ」
プライムフォーラムに集まる学生たちは、間違いなく優秀だ。年を追うごとに、その水準も上がっている。
それなのに、年長の男自身は、以前ほど驚かなくなっていた。
「……優秀なのが当たり前になりすぎたのかもしれんな」
「贅沢な悩みですね」
「まったくだ。こちらが求めすぎているだけかもしれんがな」
年長の男はそう言いながら、次の名前へ目を移した。
レニア・フォルテア。
「第三王女もいるんですね」
若い男の声には、素直な興味が混じっていた。
年長の男は答えず、その名前をしばらく眺めた。
フォルテア王国第三王女。類まれな容姿で知られ、それに加えて、あらゆる方面に才能があるという話も聞いている。
だが、第一王女や第二王女ほど、目立った実績の噂は耳にしたことがない。過去にプライムフォーラムへ参加した2人は、どちらも強い印象を残していた。
ただ、年長の男が覚えているのは、華々しい成果だけではない。その成果の裏側についても、彼はいくつか知っていた。そうした事情もあって、フォルテアという国そのものにも、あまり良い印象はない。
もちろん、第三王女本人について知っていることは多くない。だから同じだと決めつけるのは早計なのだろう。
それでも、フォルテアの名を見れば、期待より先に不信感が立つ。
年長の男は次の名前へ目を移した。
そこにあった「キツキ」という名前を見て、考える間もなく声が漏れた。
「……誰だ?」
「1年生ですね。私も知りません」
年長の男は簡単な記載を追い、その中にあった推薦者の名で目を止めた。
「……エスト・リバー?」
その名を読み上げながら、年長の男はキツキという名前へ視線を戻した。
どんな人物なのかは、まだ何も分からない。
それでも、エスト・リバーが推薦しているというだけで、流していい名前ではなくなった。
そんな年長の男をよそに、若い男はとっくに別の資料へ目を移していた。
「あ」
不意に上がった声に、年長の男もそちらへ意識を向ける。
若い男は資料の一か所を指していた。
「この生徒、例の七環術式を解いた子ですよ」
示された先には、エリル・ポルテュンの名前がある。
年長の男は少しだけ間を置いた。
「……今年は、少しくらい予想を裏切ってくれるといいんだがな」
◇
エルフェリア樹学院では、モニカ・ソラリーが友人と並んで廊下を歩いていた。
ピンク色のボブヘアに、それとよく似た色の瞳。髪の間からは、エルフ特有の尖った耳がのぞいている。
「――それで、フォーラムの研究は順調なの?」
「うん! ちゃんと進んでるよ」
モニカは迷いなく笑って答えた。
「ならいいけど。最近ずっとやってるでしょ。あんた、ちゃんと休んでるの?」
「うん! いっぱいご飯食べてるよ」
「……寝なさいって言ってるのよ。まあいいわ。頑張ってるみたいだし、今日は私がケーキ奢ってあげる」
「ほんと!?」
さっきまで研究の話をしていたとは思えない勢いで、モニカの顔が明るくなった。
「早く行こ!」
弾むような足取りで、モニカは友人の袖を引く。
「はいはい」
友人は笑いながら、引かれるまま歩調を速めた。




