第127話 少し、惜しい
教室へ向かう廊下が、朝から妙に騒がしかった。
何事かと思って人の隙間から覗いてみれば、その中心にいたのはエリルだった。
「優勝おめでとう! エリルならやると思ってたよ」
「七環術式のこと、今度もう少し詳しく聞かせてよ」
「上級生を7人も倒したって本当? すごすぎない?」
「ありがとありがと。いや、7人の方は気づいたらそうなってただけだって」
笑って返してはいるものの、次から次へと話しかけられ、さすがのエリルも少し困っているらしい。
七環術式を公表したうえに、一昨日のクリスタルラッシュでは守備役を7人倒して1位だ。こうなるのも分からなくはない。
そんなことを考えていると、エリルと目が合った。
その瞬間、エリルの顔がぱっと明るくなった。まるで、助け舟でも見つけたように。
「あ、キツキー。ちょっと話あるんだけど」
周りにも聞こえるよう、エリルは少し大きめの声でそう言うと、そのまま人の輪を抜けてキツキのところまで歩いてきた。
エリルがそばまで来たところで、キツキは声を落とした。
「おい。今、俺を使って逃げただろ」
「助かった~。朝からずっとこんな感じなんだもん」
「キュルは?」
「キュルってば、すぐ逃げちゃってさ」
エリルはそう言いながら、教室の中を指さした。
その指の先へ目を向けると、キュルはすでに席に突っ伏していた。寝ているのか、顔すら上げない。
まあ、キュルらしいと言えばキュルらしい。
「薄情だよね~」
エリルは小さく肩をすくめると、キツキへ向き直った。
「で、ちゃんと話もあるんだけど。レニア姫にはもう言った?」
「昨日の今日だぞ。まだ言えてないって」
どう声をかけるか考えていたとは、なんとなく言いたくなかった。
キツキとエリルがそんな話をしているあいだに、廊下の向こうからレニアが教室へ近づいていた。少し前から声をかけられていたのか、周りには数人の女子生徒が集まっている。
「レニア姫、一昨日の試合、すごかったです!」
「ありがとう」
「ジル先輩との試合も見ましたわ! あの魔法、本当にすごくて……」
「そう。あなたもお疲れさま」
笑っているわけではない。それでも、話しかけられた相手を無視することも、すぐに会話を切り上げることもなかった。
少し離れたところでは、ラクスがそんなレニアの様子を黙って見ていた。クリスタルラッシュで見せた姿とはまた違う一面にも、しばらく視線を向けている。
一方、キツキとエリルはレニアが近くまで来ていることに気づかないまま話を続けていた。
「レニア姫って忙しそうだし、予定入る前に聞いといた方がいいんじゃない?」
「分かってるって」
女子生徒たちの話を聞いていたレニアの耳に、「レニア姫」というエリルの声が届いた。
思わずそちらへ目を向けると、キツキとエリルが話していた。何を話しているのかまでは聞こえない。ただ、エリルはいつもの調子で、キツキは少し面倒そうな顔をしていた。
「レニア姫?」
「……ええ。ごめんなさい、なんだったかしら」
呼ばれて、レニアは女子生徒たちへ視線を戻した。
話を聞き直しながらも、キツキとエリルが何を話していたのかは、意識のどこかに引っかかったままだった。
だが、わざわざ自分から確かめに行く気にもなれず、レニアはそのまま彼女たちに応じていた。
やがて始業の鐘が鳴り、廊下に残っていた生徒たちもそれぞれの教室へ戻っていく。
そのまま時は流れ、午後の授業が終わる頃には、窓から差し込む光もすっかり傾いていた。
放課後になり、教室にはまだ何人かの生徒が残っていたが、エリルとキュルの姿はもうなかった。
キツキも自分の席で教科書を鞄にしまいながら、同じように帰り支度をしているレニアへ目を向けた。
今日は共同研究の予定もない。本来なら、このまま帰るだけだ。
だが、今日はこのまま帰るわけにはいかない。
キツキは少しだけ落ち着かない気持ちを押し込め、鞄を机に置いたままレニアの席へ向かった。
「……レニア、ちょっといいか?」
レニアは返事をせず、ただキツキへ顔を向けた。
「エリルのクリスタルラッシュの報奨で、3日後に高級料理店へ行くことになっててさ。ダンジョン実習のあの5人で行こうって話なんだけど、レニアもどうだ?」
レニアはすぐには答えず、キツキを見たまま朝のことを思い出していた。エリルとキツキが話していたのは、どうやらこのことだったらしい。
高級料理そのものには、それほど興味はない。ただ、一昨日のエリルの戦いについては少し気になっていた。7人もの守備役を相手に、どう立ち回ったのか。話を聞けるなら悪くない。
それに、キツキもいる。まあ、それはともかく、あの5人で集まるのなら断る理由はなかった。
レニアがそんなことを考えているとは知らず、キツキはなかなか返事が返ってこないことに落ち着かなくなっていた。
「そういうことなら、私も参加するわ」
「……そ、そっか。なら、よかった」
ようやく返ってきた承諾に、キツキはほっとした。
けれど、思っていたよりずっとあっさりした返事でもある。これなら昨日から変に緊張していた分だけ損した気がする。
「じゃあ、エリルにも言っとくよ。詳しい時間が決まったら、また伝えるから」
「ええ」
これで用件は終わった。そう思った瞬間、一昨日から引っかかっていたことを思い出す。
「そういえば、もう1個聞きたかったんだけど」
「なに?」
「……一昨日さ、レニアの髪の毛先が、いつもと違う色に見えた気がしたんだけど、あれなんだったんだ?」
レニアは少しだけ目を見開いた。すぐには答えず、長い銀髪を両手で前へ寄せる。指先で銀色の毛先をそっとすくい、ほんの一瞬だけ目を伏せた。
「……フォルテアの炎を強く使った時、毛先が薔薇色になることがあるの」
「毎回じゃないのか?」
「ええ。毎回というわけではないわ。それに、正確な理由も分かっていないの」
レニアは指先にすくった銀色の毛先を、そっと撫でた。
「ただ、女王陛下も、第一王女も第二王女も、髪は薔薇色でしょう」
そう言われて、キツキは以前フォルテア王家について調べた時に見た3人の姿を思い出す。
「そういや、そうだな」
「3人とも、生まれた時からあの色だったそうよ」
レニアはそこで一度言葉を切った。
「だから私は、炎の性質がもっと身体に馴染めば、いずれ同じようになるのではないかと思っているわ」
「……なるほど。そういうことだったのか」
レニアは小さくうなずいた。
その手元の銀髪を見て、キツキはふとメガネのことを思い出した。
けれど、目の前にあるのはいつも通りの銀髪だ。メガネを使うなら一昨日、実際に色が変わっていた時だっただろう。今の状態では、たぶん何も分からない。
「教えてくれてありがとな。一昨日からちょっと気になってたんだ」
「そう」
キツキがそれ以上言葉を続ける様子がないのを見て、レニアは髪から手を離した。長い銀髪がさらりと背中へ戻る。
「それじゃあ」
「おう。また明日」
レニアは鞄を手に取ると、教室の出口へ向かった。
キツキはなんとなくその後ろ姿を目で追った。腰まで流れる髪は、もうどこにも薔薇色を残していない。
そのうち、レニアの綺麗な銀髪も薔薇色になるのだろうか。
それは少し、惜しい気がした。




