第126話 筋肉痛と高級料理
結果発表まで終わり、観客席からも少しずつ人が減り始めていた。
それでもフィリンは席を立たず、ぼんやりと実技ドームの方を見ていた。競技はもう終わっているのに、頭の中にはまだいくつもの場面が残っている。
中でも、最後まで戦っていたレニアの姿がなかなか消えなかった。
「よいしょっと。いやあ、盛り上がったな」
隣でムルガドが立ち上がる。その声で、フィリンはようやく意識を戻した。
ムルガドはそのまま、帰り始めた観客の流れに混じろうとする。
「……ムルガドさん」
足が止まった。けれど、ムルガドは振り返らない。
フィリンは膝の上で両手を握り、少しだけ力を込めてから立ち上がった。その背中をまっすぐ見る。
「あの話、受けます」
短い沈黙が落ちる。
フィリンからは見えなかったが、ムルガドの口元がわずかに吊り上がった。
「そう来なくちゃな」
◇
「……いてえ」
翌日。
身体を起こしたところで、キツキは顔をしかめた。特にひどいのは両脚で、動けないほどではないが、歩くたびにあちこちが妙に張っている。
昨日は競技が終わったあと、そのままライトに誘われ、ブロムとロアンも合わせた4人で肉料理の店へ行った。
ライトが最後までうるさかったのはいつも通りだったが、ロアンまでよく喋り、ブロムも楽しそうに笑っていた。キツキも結局、かなり遅くまで付き合った。
考えてみれば、男だけで集まって飯を食うのは、こっちへ来てから意外となかった気がする。むしろ、女の子と飯を食う機会の方が多かったか。
(……なんだかんだ、結構恵まれてるな、俺)
今さら気づいた自分に少し呆れつつ、口元が緩んだ。
そこで、腹がぐう、と鳴った。
「……飯にするか」
そう呟いて、まだ少し重い脚を床に下ろす。
だが、部屋の中を見回してみても、すぐに食べられそうなものは何もなかった。
仕方なく着替え、普段使っている食堂へ向かった。
ところが、近づくにつれて妙なことに気づく。
「……あれ?」
人がいない。
少し先まで進んでみると、食堂そのものが閉まっていた。
「マジかよ……」
筋肉痛の脚でここまで来たのに、完全に無駄足だった。
キツキは知らなかったが、昨日はクリスタルラッシュの観客向けの食事にも食堂の人員が駆り出されており、その影響で今日は休みになっていた。
それならと、今日は街で何か食べることにした。
学院を出て街まで来ると、店先から漂ってくる匂いに空腹が一気に強くなった。
(筋肉痛だし、タンパク質取った方がいいのか……? となると鶏肉とか――)
そこまで考えて、足を止める。
(いかん。完全にブロムに影響されてる)
今日は休みだ。クリスタルラッシュも終わったばかりなのだから、今日くらい好きなものを食べてもいいだろう。
そう考え、店を探そうとしたところで、声をかけられた。
「……お、キツキじゃん。いいタイミングだね~」
振り向くと、私服姿のエリルとキュルがいた。
キュルはイチゴ味のアイスクリームを両手で包むように持ちながら食べている。その姿が妙に似合っていた。
「お前らも来てたのか」
「まーね。キツキは?」
「飯探してる。食堂閉まっててな」
エリルは納得したように頷き、ふと思い出したように続けた。
「そういえば昨日、3位だっけ。頑張ったじゃん」
1位のやつに言われると少し嫌味にも聞こえるが、たぶん本人にそんなつもりはないのだろう。
「……まあな。それにしてもお前、7人も脱落させたって本当か?」
「すごいでしょ」
エリルがわざとらしく胸を張る。
キツキはそんなエリルをなんとも言えない目で見たところで、最初の一言を思い出した。
「……で、いいタイミングって何のことだ?」
「あー、そうだ。キツキ、高級料理食べに連れてってあげるよ」
「……1位の報奨のやつか?」
「そ。数日後ね。せっかくだから、ダンジョン実習のときの5人で行こうと思って」
「俺らまで行っていいのか?」
「もう話つけてあるから大丈夫」
エリルが少し得意げに笑った。
「しかも、その店って普通に予約しようとしてもなかなか取れないんだよ」
ちらりと見ると、キュルはアイスを食べる手を止め、目を少し輝かせていた。もう料理のことでも想像しているのかもしれない。
「そんなすごい店だったのか」
「ブロムには私から声かけとくから、レニア姫はキツキが誘っといて」
「……俺が?」
「いいじゃん。よく話してるでしょ」
エリルがにやにやしながら言う。
言い返そうとしたが、学院に来てからを振り返れば、レニアと話している時間は他の誰と比べても長い気がする。
「まあ……分かった」
「よろしくね~」
そのまま別れようとしたところで、エリルがふとキツキの足元を見た。
「……キツキ、もしかして筋肉痛?」
「ん? ああ、ちょっとな」
「……へぇ~」
嫌な間だった。
エリルの視線が、まだキツキの脚から離れない。
そして予想通り、エリルが靴先でその脚を軽くつついた。
「ひゃっ!」
自分でも驚くくらい高い声が出た。
「かわいい声出すじゃん、キツキ」
「うるせ――」
その直後、反対側の脚にも痛みが走った。
「ひゃうっ」
見ると、アイスを片手に持ち替えたキュルが、少しかがみ、空いた手でキツキの脚をつついていた。
「お前までやるな!」
「へんなこえ」
そう言うと、キュルは何事もなかったようにまたアイスを両手で持ち直した。
「じゃ、レニア姫よろしくね~」
エリルは笑いながら言い残し、キュルと一緒に歩いていく。
キツキは痛む脚をさすりながら、その背中が人混みに紛れていくのを見送った。
「……まったく」
ようやく一息ついたところで、今度は腹がぐるる、と鳴った。
その音で、何をしに街まで来たのかを思い出す。そういえば、まだ何を食べるかすら決めていなかった。
キツキは改めて店先を眺めながら歩き出したものの、頭に浮かんだのは食べ物ではなく、さっき頼まれたことだった。
(……レニア、来るかな?)
研究室で杖をいじっている姿や、1人で鍛錬している姿なら簡単に浮かぶ。けれど、こういう集まりで普通に飯を食っている姿となると、いまいち想像できなかった。
そう考えていると、昨日のレニアの姿が浮かんだ。
いつもより少し張り詰めていた顔と、銀髪の毛先に残っていた薔薇色。
あれが何だったのかは気になる。けれど、本人に聞いていいものなのかは少し迷う。
(……いや、まずは飯に誘うだけだろ)
そう思った途端、なぜか少し緊張してきた。
気づけば、レニアにどう声をかけようかと、そんなことばかり考えていた。




