第123話 クリスタルラッシュ・9
少し時間を遡る。
「……ディオン先輩か」
無人の街の上空に浮かぶ男を見て、ブロムが呟いた。
「知ってるのか?」
「うん。学院の頂点と言ってもいい人だよ」
さらりと言われて、キツキはもう一度ディオンを見る。細身の身体が、風に支えられて建物よりも高い位置に浮いている。構えている様子はない。ただこちらを見下ろしているだけだった。
金のクリスタルを狙ってここまで来た以上、あの先輩を避けて通るのは難しそうだ。
一方のディオンは、また来た、と軽くうんざりしていた。さっきから妙に、自分の区域へ人が来る。そのうえ、今度の2人のうち金髪の方には見覚えがあった。確か、勇者候補だったはずだ。
その実力が気になり、ディオンは片手を上げた。
「来るよ!」
ブロムが一歩前へ出る。
正面から風が走った。ブロムが剣で受け流すと、その横を抜けるように別の風が回り込む。キツキが氷壁を出して止めた時には、さらに上から風の刃が迫っていた。
「っ」
氷から雷へ切り替えるより先に、キツキは横へ跳んだ。
見てから選ぶ。最近ずっと練習してきたやり方だった。相手の動きを確認してから必要な術式を組めば、読み違えて無駄な魔法を作ることも減る。
だが、ディオンの風は判断を待ってくれない。1つへ対応した時には、次がもう動いていた。
ブロムも距離を詰めようとしたが、踏み込んだ先を横から風に叩かれ、進路をずらされる。体勢を立て直してもう一度前へ出れば、今度は正面から風がぶつかり、押し戻された。
2度仕掛けても、ディオンとの距離はほとんど縮まらなかった。着地したブロムは、もう一度踏み込む代わりに、その場でディオンを見上げる。
「これは普通にやっても無理そうだね」
空中のディオンを見上げたまま、ブロムの口元がわずかに上がる。
(せっかくだし、試してみようか)
横では、キツキが迫ってきた風を氷壁で受け止めていた。ブロムはその様子を見て、すぐに声をかける。
「キツキ。少しだけ耐えてくれるかな」
「……俺がか?」
答えながら、キツキは氷壁を回り込んできた風へ雷を放つ。
「頼んだよ」
返事を待たず、ブロムは後ろへ下がった。その手元へ光が集まり始め、少しずつ強さを増していく。
その間にも、ディオンは待ってくれない。次の風がキツキへ飛んでくる。
(いや、少しだけって。あれを相手にか)
キツキは雷を放つ。だが風に逸らされ、すぐに氷へ切り替えようとしたところへ、別の風が横から迫った。
それを避けながら顔を上げると、ディオンの周囲では、いくつもの風が別々に動いていた。正面から押すものがあれば、横へ回るものもある。退路を塞ぐ風まであるのに、それぞれが互いの邪魔をしていない。
その光景を見た瞬間、なぜか七環術式が頭に浮かんだ。
――複数の経路を、壊さずに成立させる……
ディオンの風が正面からキツキへ迫ってくる。
なのに、その動きが妙にゆっくり見えた。
風がどこを通るのか。その次にディオンがどう動くのか。普段なら考えてから選んでいたものが、今は見た瞬間に分かる。
次の瞬間、キツキの手から雷が走った。
雷がディオンへ向かうのと同時に、水球を横からぶつけ、上へ逃れようとする先にはつららを飛ばし、さらに横合いから風の刃を重ねる。
気づけば、4つの魔法が同時にディオンを追っていた。
こんなことは、今まで1度もできたことがない。
それなのに今は、何をどう動かせばいいのかが分かっていた。
水球を右へ。つららは上へ。雷はそのまま。風の刃は横から。
重なる攻撃を避けるため、ディオンの身体が空中を大きく横へ動いた。
「……4属性?」
その光景を大型映像で見ていたフィリンが、思わず呟く。
『今のは……4属性を、同時に使ったのでしょうか!?』
実況の声にも驚きが混じる。4属性を扱えるだけでも珍しいのに、それを全部同時に動かしている。
フィリンが画面を見つめる中、その中央でディオンの視線がキツキへ向いた。ほんの少しだけ口元を上げる。
「面白い使い方だな」
次の瞬間、ディオンの風が変わった。
細い風が雷の軌道を逸らす。別の風が水球を横から叩き、その形を崩す。迫るつららは正面から砕き、風の刃には別の風の刃をぶつけて相殺する。
キツキが4つの属性に分けていた役割を、ディオンは風だけで再現していた。それも、たった今の攻防を1度見ただけで。
「……え?」
ほんの一瞬、キツキの意識が乱れた。
それだけで、水球が揺れる。つららの狙いがぶれ、風の刃まで形を崩しかけた。
崩れかけた魔法を立て直そうとして、そこで初めて、自分が4つを同時に動かしていることを意識してしまう。
さっきまでなら、次にどう動かせばいいのか自然と分かっていた。それが、考えた途端に分からなくなり始めた。
(今は考えるな!)
迫ってきた風へ雷を走らせる。水球を動かし、つららを飛ばし、風の刃を重ねる。なんとか形にはなっていたが、いつ崩れてもおかしくない。
そんな中、視界の端ではブロムの周囲に集まる光がさらに強くなっていた。
まだか、ブロム――そう思った時だった。
「キツキ!」
待っていた声が後ろから飛んでくる。
ブロムの手元では、これまで剣にまとわせていた光とは違うものが形を取り始めていた。物理的な剣とは別の、光そのものの剣だ。
ディオンもそれに気づき、わずかに目を細める。
「――『黎明剣』」
ブロムがそれを振り抜いた。
巨大な光が無人の通りを埋め、上空のディオンへ一直線に走る。
大型映像の前で、フィリンが目を見開く。
だが、ディオンは避けなかった。
腕を振ると、正面からぶつかった風が光を押し、わずかに軌道を曲げる。ディオンの横を抜けた光は、そのまま通りに面した建物を斜めに断ち切った。
断たれた建物が崩れ始める中、光はさらにその先へ走り抜ける。やがて消えた頃には、通りの一角でいくつもの建物が音を立てて崩れていた。
遅れて、観客席から大きなどよめきが上がる。
「……あれが勇者候補」
フィリンは崩れていく建物を映した画面から目を離せなかった。
ムルガドがさっきブロムをそう呼んでいた。その言葉自体は聞いていたが、今の一撃を見て、ようやくその重さが分かった気がした。
ただ、それだけの威力があっても、画面の中のディオンには傷1つない。
「……駄目か」
ブロムが小さく息を吐く。それでも、その表情はどこか晴れていた。
ディオンは壊れた街並みを一度見下ろしてから、2人へ視線を戻す。
「お疲れさん」
直後、強い風がキツキとブロムをまとめて襲った。
「うわっ」
「っ!」
踏ん張る間もなく、2人はそのまま吹き飛ばされ、風が止んだ時には、すでに戦闘区域の外にいた。
ブロムは遠くに浮いたままのディオンを見上げる。
「……僕もまだまだだね」
隣では、キツキも息を切らしながらディオンを見上げていた。さっきまで必死に魔法を動かし続けていたせいか、まだ頭がうまく回らない。
ブロムは苦笑すると、今度はキツキへ目を向けた。
「それにしても、さっきのは何だったの?」
「……俺にもわからん」
答えながら、キツキは自分の手を見る。
さっきまで4つの魔法を同時に動かしていた。なのに、どうやったのか自分でも説明できない。
ただ、あの時の感覚だけは、まだ少し残っていた。
◇
観客席から大きな歓声が上がる中、フィリンは大型映像を見つめたまま、しばらく何も言えなかった。
あれだけの攻防を見せられても、ディオンには傷1つついていない。
(学院の頂点って、こんなに遠いんだ)
やがて、大型映像が切り替わる。
映し出されたのは、雪が風に舞う雪原だった。レニアとジルが向かい合い、ジルは長剣を下げたまま待っている。
ジルを見据えたまま、レニアが先に動いた。




