第112話 あいつが出れば十分ですよ
昼の授業が終わり、教室のあちこちで椅子を引く音が鳴り始めた。
キツキも机の上を片づけながら立ち上がる。いつもならそのまま適当に昼を済ませるところだったが、少しだけ迷ってから、離れた席にいるブロムへ声をかけた。
「ブロム、今日一緒に飯食わないか?」
ブロムが振り返る。
「……珍しいね。キツキから誘ってくれるなんて」
「まあ、忙しかったらいいけど」
「いや、ぜひ一緒に行こう」
あっさり返されて、キツキは少しだけ肩の力が抜けた。
こういうブロムの爽やかなところは、見習いたいものだ。
そのまま2人で教室を出て、学院の食堂へ向かった。
昼時の食堂は普段から騒がしいが、今日はいつも以上だった。席につく前から、あちこちでクリスタルラッシュの名前が聞こえてくる。
「守備役ってもう決まってるのかな」
「知らない。でも、強い人がいたら避けた方がいいよな」
「その前に誰と組むかでしょ」
近くでは1年生らしい生徒たちが、食事を受け取る列に並びながら話していた。
少し離れた席からは、2年生の声も聞こえてくる。
「今年は3人だからな。去年と同じつもりで動いたら絶対きついって」
「そこは始まってから考えるしかないわ」
参加する側が落ち着かないのは分かるが、騒いでいるのはそこだけではない。
「去年は散々ひどい目にあったからな。今年は1年に返してやる」
「相手違うだろ」
「細かいこと言うなよ」
後ろの席から聞こえてきた会話に、キツキは思わずそちらを見る。
「……楽しんでるな」
「3年生から上は、守備役に選ばれる人もいるからね」
向かいに座ったブロムが笑った。
「去年参加した人なら、色々思うところもあるんじゃないかな」
「だからって1年生に返すのは違うだろ」
「それは僕もそう思うよ」
……こうやって負のループが続くんだろうな。
どこへ耳を向けても、話題は似たようなものだった。普段の昼食より、食堂全体が少し浮ついている。
「そういえば、今年は5年生のかなり強い人にも声がかかってるらしいよ」
ブロムがパンをちぎりながら言った。
「5年生か」
「誰が出るかまでは知らないけどね」
◇
「ディオン、起きろ」
「……起きてます」
5年生の教室がある棟から少し離れた中庭。
芝生の上に寝転がった青年は、顔に本を載せたまま答えた。暗い緑色の髪が芝の上に広がっている。
「起きてるならせめて顔を出せ」
「眩しいんで」
「お前なぁ……。とにかく、クリスタルラッシュの守備役に出ろ」
「嫌っす」
「去年もそう言って逃げただろ」
「昨年は忙しかったんで。ちなみに、今年はもっと忙しいです」
「ふざけるな。クラス6のお前が出なくてどうする」
「ジルも出るんですよね?」
「ああ」
ジルも、ディオンと同じ5年生のクラス6だった。
「あいつが出れば十分ですよ」
「はぁ……。いいからお前も出ろ」
教師が取り合わなかったところで、別の声が割って入った。
「あんた、まだ断ってるの?」
近づいてきたのは、肩より少し下まで金髪を伸ばした少女だった。
ディオンが本を少しずらす。
「よお、ジル」
「よお、じゃないわよ」
ジルはそのまま顔の上の本を取り上げた。
「ちゃんと先生の話聞きなさいよ」
「返せって」
「話が終わったらね」
ディオンは仕方なく上半身を起こす。
「お前、出るんだろ?」
「ええ。出るわよ」
「じゃあ俺まで出る必要ないだろ」
「なんでそうなるのよ。私が出るのと、あんたが出ないのは別の話でしょ」
「……」
「あんたも頼まれてるんだから、5年生として少しは協力しなさいよ」
ディオンはしばらく黙ったあと、教師を見る。
「……やっぱりジルだけでよくないですか」
ジルがため息をついた。
「そういえば、この前の食事代」
ディオンの動きが止まる。
「まだ返してもらってないんだけど」
「……それ今関係ある?」
「その前の立て替えもまだよね」
「……」
「それから、あれも。あと、この前の――」
「わかった、わかった。出るよ」
「最初からそう言いなさいよね」
「……ったく」
「なによ。返してないのは事実でしょ」
ディオンは何も言い返せず、ジルの手から本を取り返すと、そのまま芝生へ寝転がった。
「よし、今ので決まりだな。もう逃げるなよ、ディオン。ジル、助かった」
「いえ。5年生なんですから、出るのが当然ですよ」
教師はようやく満足したようにその場を離れていった。
ディオンは小さくため息を吐くと、再び本を顔に載せた。
「ジル」
「何?」
「今日の昼、奢って」
「自分で払え」
◇
冒険者ギルドを出たところで、フィリンは足を止めた。見覚えのある男が、少し離れたところに立っている。
「……ムルガド、さん?」
「ああ」
直接話したことはなかったが、顔も名前も昔から知っている。それほど有名な人だ。
「私に何か?」
「少し話がある」
「……私にですか?」
「そうだ」
ムルガドはその場から動かず、まっすぐフィリンを見ている。
偶然ここにいた、という様子ではない。どうやら、わざわざフィリンが出てくるのを待っていたらしい。それだけでも妙だった。
「なんでしょうか」
「お前、精霊使いだろ」
フィリンは眉を上げた。ムルガドほどの人物が、自分に目を留めているとは思わなかった。
「それが一体なんだというんですか?」
「精霊使いで、クラス3。放っておくには惜しい」
精霊使いだと知っているだけなら、まだ分かる。だが、今の自分がクラス3だというところまで知っているなら、話は別だ。
どうやらムルガドは、自分のことをある程度調べてきたらしい。
「……それを言うために、わざわざ待ってたんですか?」
「それだけじゃない」
ムルガドは少し間を置いた。
「俺なら、お前を助けてやれるぞ」
フィリンがわずかに目を見開く。
「……どこまで知ってるんですか」
「それなりには知ってるつもりだ」
「答えになってません」
「はは」
ムルガドは小さく笑った。
少し間を置いてから、改めてフィリンを見る。
「俺のところに来ないか」
「…………はい?」




