第108話 そんなもの予想できるはずがない
その日の昼休み。
午前の授業が終わり、レニアは1人で教室を出た。
学院長から研究室の連絡は、まだ来ていない。朝から何度かそのことが気になっていて、昼休みになっても少し落ち着かなかった。
そんなことを考えながら廊下を歩いていると、前からセドリックがこちらへ向かってきた。3年生の彼がこの辺りにいる理由もない。おそらく自分に用があるのだろう。
「レニア殿下、少しよろしいでしょうか」
レニアは内心で小さくため息をつき、足を止めた。
近くを歩いていた何人かの生徒が、こちらへちらりと視線を向けた。レニアだけでなく、セドリックも学院ではそれなりに目立つ方だ。2人が廊下で話していれば、気にする者がいるのも仕方ない。
レニアとしては、こうしてセドリックと話しているところを見られるのも嫌だった。
「……なんでしょうか?」
「昨日の件ですが――」
その言葉に、レニアはわずかに眉を動かした。
「研究場所が使えなくなったと耳にしまして。研究に支障が出るのではないかと気になっていたのです。使えそうな施設を1つ見つけましたので、そちらなら――」
レニアはセドリックの話を聞きながら、少しずつ違和感を覚えていた。
研究場所が使えなくなったのは昨日のことだ。それをもう知っているだけでなく、代わりに使える場所まで見つけている。
……まさか。
「その件でしたら、もう解決しました」
「……はい? 解決?」
「はい」
本来なら、わざわざ学院長の名前まで出す必要はない。けれど今は、少しくらい言ってもいい気がした。
「学院長が研究室を貸してくださることになりました」
「学院長が?」
セドリックの顔が目に見えて固まった。
その反応を見て、レニアは少しだけ気が晴れた。
それと同時に、さっき浮かんだ疑いもますます強くなった。
「セドリック先輩」
「はい」
「学院に、私たちの研究について確認をお願いしたのは先輩ですか?」
ほんの一瞬、セドリックが黙った。
「……ええ。そうです」
やっぱり。
「あの環境には安全上の問題があると思いました。学院に確認してもらうのは当然でしょう。ですが、レニア殿下の研究そのものを止めるつもりはありません。ですから、代わりの場所も用意して――」
そこまで聞けば十分だった。
自分には何も言わず、先に学院へ話を通す。そのうえで、使えなくなったところへ自分の用意した場所を差し出すつもりだったらしい。
姑息だ。
学院が小演習室を止めたことに不満はない。それでも、このやり方は気にいらない。
「お気遣いありがとうございます。ただ、もう研究場所は決まっていますので必要ありません」
「ですが、学院長の研究室というのは――」
「用がありますので、これで失礼します」
一礼して、レニアはその場を離れた。
セドリックは何も言えないまま、その背中を見送った。
しばらくして姿が見えなくなっても、その場から動けなかった。
学院長が研究室を貸す。しかも、昨日の今日で。
そんな話になるはずがない。いや、普通なら、だ。
危険な場所を止めて、代わりまで用意した。レニアの研究を続けるために動いたはずだ。それなのに、どうして――。
キツキだ。
あの男が関わってから、何度も予想外のことが起きている。今回だって、自分が動いた直後に、すべてをひっくり返された。よりにもよって学院長まで出てくるなんて、そんなもの予想できるはずがない。
まさか。そもそも、あの小演習室を使っていたこと自体が――。
あえて不十分な場所を使い、自分が危険性に気づいて学院へ確認を求めるところまで読んでいたのではないか。
そして、自分だけがレニアの心証を悪くする。そこまで狙っていたのだとしたら。
セドリックは、レニアが去っていった廊下の先を見つめたまま、眉を寄せた。
◇
夜。ミザル中立都市の街外れ。
街明かりもほとんど届かず、周囲には崩れかけた石壁と草地が広がっていた。
ヒュンッ――!
エリルの放った風が、フォールンの胸を貫いた。
フォールンの身体がびくりと震え、次の瞬間には端から細かな塵となって崩れ始めた。少し離れた場所では、先に倒した2体もすでにほとんど姿を失っていた。
「ふう……これで終わりかな」
エリルが息を吐く横で、キュルはすでに周囲に目を向けていた。
「たぶんもういない」
「そっか」
少し前、この辺りでフォールンらしい者を見たという話をエリルは耳にしていた。
クルエルヴェールを追っている途中だったこともあり、何か手掛かりになるかもしれないと、キュルと2人で様子を見に来たのだ。
けれど、どうやら期待していた相手ではなかった。
「……やっぱり、クルエルヴェールじゃなさそうだね」
「うん」
「3体いた割には動きもバラバラだったし、なにより弱い」
これまで追ってきた連中とは、どうにも噛み合わない。周囲も一通り確認したが、クルエルヴェールにつながりそうな手掛かりは見つからなかった。
「空振りだね」
「うん」
「ま、フォールンを3体減らせたし、何もなかったよりはいいけど」
エリルは、もうほとんど塵になったフォールンに目を向けた。
「噂通り、やっぱり別の連中もいそうだね」
以前から、クルエルヴェール以外にもまとまって動くフォールンがいるという話は耳にしていた。
「まだ、はっきりしたことは分からないけど」
「ふーん」
それにしても、とエリルは少しだけ考えた。
前にも、クルエルヴェール以外の連中はいた。でも、こんな時期からこんなに目についたっけ。
少し早い気もするし、数も多そうだ。
ま、前と違うことなんて今さら珍しくもないか。
いい方に変わったことだってあるし。
「エリル」
「ん?」
「来る」
キュルが街の方へ顔を向けた。
少し遅れて、エリルも複数の気配を感じた。この情報を嗅ぎつける早さからして、おそらくギレルの騎士団だ。
「思ったより早かったね。じゃ、あとは騎士団に任せよっか」
「うん」
2人はフードをかぶり直し、騎士たちが姿を見せる前にその場を離れた。




