第107話 ……昨日の今日で?
原初の塔の最上階まで来ると、エストは学院長室の扉を叩いた。
「どうぞ」
返事を聞くと、エストは慣れた様子で扉を開け、キツキもその後に続いた。机に向かっていた学院長は、2人を見ると穏やかに笑った。
「珍しい組み合わせだね。どうしたんだい?」
「ちょっと頼みがあってな」
エストはそう言うと、キツキたちが使っていた小演習室が使えなくなり、代わりの研究施設も必要な頻度では確保できなかったことを簡単に説明した。
キツキも、学院が小演習室を止めた判断そのものに不満はなく、レニアと話した結果、このまま研究を続けるならいずれ別の場所が必要だったと分かったことだけ補足した。
「なるほどね」
学院長は小さくうなずいた。
「七環術式であれだけのものを出した若者が、場所がないなんて理由で研究を止めるのは惜しいだろう。ギレルにとっても悪い話じゃない。何とかしてやれないか?」
「相変わらず急だね」
「問題ってのは、こっちの予定に合わせて起きてはくれないからな」
悪びれもせず言い切るエストに、学院長は少し笑い、そのままキツキへ視線を戻した。
「研究の方は順調なのかい?」
「え? はい。今のところは」
「無理はしてないかい?」
「……えーっと、大丈夫です」
そんなことを聞かれるとは思っていなかった。最近あまり寝ていないことが一瞬頭をよぎったが、まあ、わざわざ言わなくてもいいだろう。
学院長は少しだけキツキを見たが、それ以上は聞かなかった。
「それで、どんな場所が必要なんだい?」
「えっと……今までより安全に試せて、結果もちゃんと見られる環境がいいです」
キツキは昨日レニアと話したことを思い出しながら続ける。
「それと、今は試作品を少しずつ変えながら比べてるんで、同じ環境を継続して使えないと困ります。できればプライムフォーラムまでは、何度も使えるところが助かります」
口に出してみると、求めている条件は思ったより多い。そんな都合のいい場所があるとは、キツキもあまり思っていなかった。
「ふむ」
学院長は少し考えてから、顔を上げた。
「それなら、1つ使えそうな部屋があるね」
「……え、本当ですか?」
「学院の研究に使っている部屋なんだけど、先日まで入っていた研究が一区切りついてね。今は空いているし、しばらく次の予定もない」
学院長は机の上の紙へ目を落としながら続けた。
「普段、生徒に貸し出している研究室ではないんだけどね。設備も生徒向けの施設よりずっと整っているし、継続して使える。今聞いた条件なら、全部満たせると思うよ」
「……いいんですか?」
「もちろん。ひとまずプライムフォーラムまでは、君とレニア殿下の研究に使うといい。明日までには使えるようにしておくよ」
「ありがとうございます!」
考えるより先に声が出た。
研究を続けられる。しかも、理想通りの場所で。
「さて、もう時間も遅い。君もそろそろ寮へ戻りなさい」
「あ、はい。ありがとうございました」
キツキは学院長へ頭を下げ、それからエストを見る。
「エストさんも」
「ああ。今度も楽しみにしてるからな」
「はい!」
2人にもう一度頭を下げて、キツキは学院長室を出た。
原初の塔を降りて外へ出る頃には、学院内を歩く生徒もかなり減っていた。キツキはそのまま寮へ向かいながら、さっき聞いた話を何度も思い返していた。
研究室。しかも、今までよりいい場所だ。
レニアも絶対喜ぶだろう。よし、すぐに伝えに行こう。
そこまで考えたところで、ふと顔を上げた。空はすっかり暗くなっていた。
さすがに明日の朝にした方がいい。そう思ったものの、レニアが喜ぶ顔を想像すると、やっぱり今すぐ伝えたくなる。
……少しくらいならいいだろう。
問題は、どうやって中に入るかだ。正面から行くのはさすがにまずい。なら、他に入れそうなところは――
そこまで考えたところで、キツキははっとした。
……待て。
俺、夜の女子寮にどうやって侵入するか真面目に考えてなかったか?
前に入った時はホンペクに飛ばされた結果だった。あれは事故だ。少なくとも、自分から入ろうとしたわけじゃない。
でも今回は違う。
研究室が見つかったのが嬉しくて、一刻も早くレニアに伝えたいから、自分の意思で夜の女子寮に忍び込もうとしている。
「……頭冷やすか」
せっかく問題が解決したのに、新しい問題を自分で起こしてどうする。
キツキは大人しく自分の部屋に戻ることにした。
◇
翌朝。
キツキはいつもより少し早く教室に来ていた。まだ人のまばらな教室で席について待っていると、やがてレニアが入ってきた。
その姿を見るなり、キツキは立ち上がって駆け寄った。
「レニア! 昨日の研究場所のことなんだけど」
朝から妙に勢いのあるキツキに、レニアは少しだけ眉を寄せた。
「……何?」
「なんとかなったぞ!」
レニアの足が止まった。
「……見つかったの?」
「見つかったっていうか、貸してもらえることになった」
「誰に?」
キツキは人のまばらな教室をちらりと見回してから、少し声を落とした。
「学院長」
「……は?」
レニアが目を瞬かせる。
次の瞬間、キツキの袖を軽く引いた。
「ちょっと、こっちに来なさい」
「え?」
「いいから」
そのまま教室の隅まで連れていかれ、2人は自然と声を落とした。
「それで、どうして学院長が出てくるのよ」
「昨日、エストさんと話す機会があってさ。研究する場所がないって話したら、そのまま学院長のところに連れていかれて」
「それで、貸してもらえることになったの?」
「ああ」
「……昨日の今日で?」
「俺もびっくりしてる」
レニアは少し黙ってから聞いた。
「どんなところなの?」
キツキは学院長から聞いたことを簡単に説明した。自分たちが求めていた条件をすべて満たし、プライムフォーラムまでは継続して使える研究室だと伝えた。
「……本当に?」
「本当に。今日までには使えるようにしてくれるって」
「なら、連絡が来たらすぐ見に行きましょう」
いつもより弾んだ声に気づいて、キツキは思わず笑った。
「なんか、すごい嬉しそうだな」
「悪いかしら?」
「いや、全然」
そう答えるキツキを見ながら、レニアは思った。
まただ。
自分がどうすればいいか迷っている時に、キツキはいつも思ってもみなかったところから道を持ってくる。
やっぱり、キツキは――
その先は、うまく言葉にならなかった。
人に頼ることも必要だとは分かっていた。けれど昨夜は、どうすれば自分で解決できるかばかり考えていた。
キツキは、困っていることをエストに話した。それが学院長へとつながって、研究場所が見つかった。
1人で答えを探さなくても、誰かに話したり、頼ったりすれば、そこから先につながることもある。
自分も、もう少し周りを頼ってみてもいいのかもしれない。
「キツキ」
「ん?」
「連絡が来たらすぐ教えなさい」
「分かってるって」
「絶対よ」
念を押すレニアに、キツキは思わず笑った。
「はいはい」
昨日、研究場所を探していた時とは違い、レニアの声は少し弾んでいた。
そんな声を聞いているうちに、キツキも自然と嬉しくなった。




