第106話 それなら、あいつに話しに行こう
「言われた通り、見てきました」
そう言ったのは、セドリックより2つ下の男子生徒だった。
「2人とも小演習室から出てきましたよ。箱とか道具とか、荷物も全部持ってました」
「そうか。ご苦労だった」
セドリックは短く答え、用意していた硬貨を何枚か渡した。男子生徒はそれを受け取ると、軽く頭を下げて離れていく。
その背中を見送り、セドリックは小さく息を吐いた。
やはり、確認を頼んでおいて正解だった。何の問題もなければ、そのまま使えていたはずだ。研究道具まで持って出てきたのなら、学院側も何かしら問題があると判断したのだろう。
レニア殿下に何かあってからでは遅い。まして、相手は何を考えているのか分からないキツキだ。
七環術式の問題なら、あの男の底を少しは見られると思っていた。エリルが満点を取ったことは知られている。それなのに、キツキが解いたという話はどこからも出てこなかった。
普通に考えれば、解けなかった。それだけの話だ。
だが、セドリックにはそう思えない。
あの男なら、自分の異常さを悟られないために、わざと答えなかったとしてもおかしくない。そう考えてしまえば、結果が出てこないことすら安心材料にはならない。
レニア殿下へ近づいている理由だって、本当にただの好意や共同研究だけなのか。万が一、何か危害を加えるつもりなら、なおさらだ。
今回の確認で、危険は未然に防げた。やはり動いて正解だった。
あとは、レニア殿下が研究を続けられるようにすればいい。殿下にとって、これからの成果につながる大切な研究なのだから。
そのための場所も、すでに1つ当たりをつけてある。設備も十分に整っていて、話を通すのも難しくない。殿下が望めば、すぐにでも手配できるはずだ。
このことを話せば、殿下も誰を頼るべきか分かってくれるだろう。次からは、まず自分に相談してくれるに違いない。
明日にでも、直接話をしよう。
◇
利用予定表を見たまま、レニアが口を開いた。
「……問題は、空きだけじゃないわね」
「え?」
「場所も、なるべく同じところじゃないと駄目だわ。今は試作品を少しずつ変えてるでしょう。使う場所まで変わったら、結果に違いが出ても、何が原因なのか分かりにくくなるもの」
「ああ……そっか」
言われて、キツキもこれまでの実験を思い返した。杖の形を変え、術式を変え、また試す。それなら、比べるための環境まで毎回変わるのはまずい。
「それに、この先のことも考えるなら、もう少しちゃんと結果を見られる環境じゃないと厳しいわね」
キツキは腕の中の試作品の箱に視線を落とした。
「なあ……これ、今日止められてなくても、そのうち場所を変える必要があったんじゃないか?」
「……ええ。そうなったでしょうね」
「やっぱそうだよな。なら、しょうがないか」
キツキは一度うなずいた。
「じゃあ、次探すか」
「……ええ」
返事が少し遅れたのが気になって、キツキは箱を抱えたまま、視線だけをレニアの方へ向けた。
レニアは利用予定表に目を向けたまま、しばらく黙っていた。
必要なものは明確になったが、それを満たす場所をどう用意するかとなると何も浮かばなかった。
王女なのに、研究する場所1つ自分ではどうにもできない。
もっと自分に使えるものがあれば。自分の意思で動かせるものが、もう少しあれば。
そんなことを考えているうちに、後ろから何人かの足音が近づいてきた。
レニアが振り返ると、上級生らしい生徒が3、4人、少し離れたところに立っていた。利用予定表を見に来たらしい。
「あ」
キツキも気づき、2人はその場を離れた。
すれ違う時、何人かの上級生がレニアへ目を向けた。王女だからというだけではなく、その容姿に思わず目を留めた者もいたが、やがてそれぞれ空いた利用予定表の前へ集まっていく。
それを横目に、2人がそのまま廊下を少し歩いたところで、レニアが口を開いた。
「今日はもう戻りましょう」
もう少し探すものだと思っていたキツキは、一瞬だけレニアを見る。だが、そのままうなずいた。
「ああ、そうだな」
「私の方でも、何か方法がないか考えてみるわ」
「分かった。俺も考えてみる」
話はそこでいったん終わり、2人は途中で別れた。
キツキはそのまま廊下を歩きながら、どうするか考える。
こういう時、なんだかんだ最初に浮かぶのはエリルだった。彼女なら学院のことはもちろん、それ以外でも何でも知っていそうな気がする。研究に使えそうな場所にも、心当たりがあるかもしれない。
そう考えていた時だった。
「キツキさん」
後ろから声をかけられて振り返ると、学院の職員が立っていた。
「お客様がお見えです」
「……俺にですか?」
「はい。こちらへお願いします」
客と聞いて、真っ先にムルガドの顔が浮かんだ。
いや、さすがにないだろう。
少し前に嵐のようにやって来て、嵐のように去っていったばかりだ。夜にいきなり部屋に来て驚かされたことも、まだ少し根に持っている。
そんなことを思い出しているうちに、先を歩いていた職員が応接室の前で足を止めた。
キツキも立ち止まり、抱えていた箱を見る。レニアとの研究の試作品が入っている以上、ここに置いていく気にはなれない。少し失礼かと思いながらも、箱を抱えたまま扉を開けた。
「やあ」
中にいた老人が、キツキを見るなり明るく片手を上げた。
「……エストさん?」
予想していなかった顔だった。
「急に呼んですまない。いくつか確認しておきたいことがあってな」
キツキは箱を足元に置き、エストの向かいに座った。
エストの用件は、七環術式の解法の今後の扱いや記録の残し方、それからプライムフォーラムへの推薦についてだった。
どれもすでに話が進んでいるものではあったが、思っていたより細かな確認が多かった。
ひと通り話を終えると、エストは満足そうにうなずいた。
「よし。これで大丈夫だ」
そこでエストの視線が、キツキの足元に置かれた箱へ向いた。
「ところで、それはなんだ?」
「ああ、これは……プライムフォーラムに出す研究の試作品です」
エストの顔がぱっと明るくなった。
「少し見てもいいか!?」
「え、あ、はい。どうぞ」
思ったより食いつかれたことに少し面食らいながら、キツキは箱を開け、その中から1本を渡した。
エストは受け取ると、しばらく黙って眺めた。向きを変えたり、持つ位置をずらしたりしながら確かめ、途中で少しだけ目を細める。
その表情からは何も読み取れず、キツキは黙って反応を待った。
やがて、エストは小さく息を吐いた。
「……いや、やめておこう。楽しみに取っておくと決めたんだったな」
そう言って杖を返す。
何か言われると思っていたキツキは、少し拍子抜けした。
「それで、研究の方はどうだ?」
「あー、それが……今日ちょっと問題が出まして」
「問題?」
「研究に使ってた部屋が、今日から使えなくなったんです」
エストが不思議そうに首を傾げると、キツキは小演習室が使えなくなった経緯と、他の施設も何度も使うには空きが足りなかったことを話した。
「それでレニア殿下と話してたんですけど、場所は空いてればいいってだけでもなくて。同じような環境で試して、結果を比べられないと厳しいって話になったんです」
「なるほど。つまり、研究を続けるための場所がないわけか」
「今のところはそうですね」
「ふむ。それは惜しいな」
エストはすぐには続けず、キツキを見たあと、足元の試作品へ視線を落とした。何かを考えるように目を細め、やがて顔を上げる。
「それなら、あいつに話しに行こう」
「……あいつ?」
「ここの学院長だよ」




