第104話 まだやれる
その後は、過去に確認された事例だの、今後どこまで警戒を広げるかだの、具体的な話が続いていった。細かい確認や今後の対応にまで入ると、キツキの知らない名前も次々と出てくる。
最初は身構えて聞いていたが、知らない話が増えるにつれて、だんだん頭に入らなくなってきた。そのうち、知らない分野の講義を聞いているような気分にまでなった。
大事な話なのは分かる。多分、ちゃんと聞いた方がいい。
でも眠い。
足元へ目をやると、ホンペクはいつの間にか丸くなって寝ていた。
(……俺も今だけ犬になりたい)
本気でそう思った。
途中からはキツキも、理解できるところだけ拾って聞くことにした。
それからしばらくして話が一区切りつくと、キツキだけ先に戻るよう言われた。学院長たちは、まだ話を続けるらしい。今日も授業がある身としては助かった。
それでも会議室を出る頃には、あれから2、3時間は経っていた。
廊下の窓の向こうが、薄く明るくなり始めている。
「……朝じゃん」
会議中は何度も寝落ちしかけていたのに、会議室を出た途端、妙に目が冴えた。
「……なんでだよ」
眠くないわけではない。まぶたは重いし、部屋へ戻って横になれば普通に寝られると思う。
なのに、頭は妙に普通だった。
前の世界で寝不足になった時は、もっとひどかったはずだ。頭がぼんやりして、考えるのにも少し時間がかかった。今はそういう感じがほとんどない。思い返せば最近も、寝不足の割に研究で頭が回らなくなった覚えがなかった。
もしこれが『健康な身体』のおかげなら、魔法を使った時の疲れもどうにかしてほしい。鍛錬の時も集中力が切れれば普通にきついし、無理をすれば眩暈だってする。そこは何度も経験している。
まあ、そんなことを言い出したら、他のチートにだって言いたいことはいくらでもある。キリがない。とりあえず寝よう。
そう考えて、キツキは寮へ戻るために歩き出した。ホンペクも欠伸をして、その後ろについてくる。
そのまま廊下を抜け、建物を出た途端、ホンペクが走り出した。
「おい」
呼んでも止まらない。どこかに行くのかと思ったら、少し先まで走ったところで急に草の匂いを嗅ぎ始める。今度は花壇へ行き、その次は建物の壁際だった。マジで犬だな。
しばらくすると満足したのか、また何事もなかったようにキツキの近くに戻ってくる。
そんな姿を眺めながら歩いていると、ふと、こんな生活にも随分慣れたものだと思った。
こっちに来てから、まだそれほど経っていない。最初は魔法を使えるだけでかなり興奮していた。火が出ても、水が出ても、いちいち感動していた気がする。
それが今では何も思わない。必要なら普通に魔法を使うし、学院へ行って、研究して、鍛錬して、次に何をやるかを考えている。随分と馴染んだものだ。
もし今さら向こうへ戻ったら、魔法が使えないことを不便に思うかもしれない。
そんなことを考えていると、自然と自分の魔法のことに意識が戻った。
少し前、ブロムが正式にクラス4になったと聞いて、キツキはいても立ってもいられなくなり、自分も学院に頼んで実力を見てもらった。その結果、正式にクラス2と認定された。
自分でも前より使える魔法が増えた実感はあったし、それを学院側にも認めてもらえたのは普通に嬉しかった。
無限の魔力があるのも大きい。魔力切れを気にせず何度も試せるのだから、人より有利なのも分かっている。まあ、魔力より先に集中力が切れるので、いくらでも鍛錬できるわけではないのだが。
数か月前までは、魔法なんて使ったこともなかった。それを考えれば、かなり成長している。それくらいは自分でも分かっている。
けど、チートまであって、まだクラス2なんだよな。
ブロムはもうクラス4だ。それに、さっきまで同じ部屋にいたムルガドは、自分たちが殺されかけた相手を雑魚と呼んでいた。上を見ればきりがない。
けど、焦る理由はそれだけでもない。
レニアは、これまでに何度も危険な目に遭っている。これまではどうにかなったが、次もそうとは限らない。今となっては、レニアだけの話でもない。失いたくない奴は、いつの間にか増えていた。
また何かあった時、何もできないのは嫌だ。
好きな人が目の前で死ぬところを見るなんて、もっと嫌だ。
けれど、鍛錬だけしていればいいわけでもないのが現実だ。授業もあるし、知らないことが多すぎるから、自分でも勉強しないといけない。プライムフォーラムの研究だって進めたいし、鍛錬そのものもまだ足りない。そのうえ、さっきみたいな話まで増えた。
1日がもう少し長ければいいのに。
そこまで考えて、キツキは足を止めた。
眠いのは眠い。それでも頭は普通に動いている。身体も特におかしくない。
(……じゃあ、別に今すぐ寝なくてもいいのか?)
眠くてどうにもならなくなったら、その時に寝ればいい。動けるうちは、研究や鍛錬に時間を使おう。そうしよう。そっちの方がいい気がする。
キツキは少しだけ寮の方を見た。それから向きを変える。
「……やるか」
そのままキツキは鍛錬区画へ向かい、いつもの鍛錬を始めた。
少し離れたところでは、ホンペクがもう匂いを嗅ぎに行くこともなく、眠ることもなく、ずっとキツキを見ていた。




